いろいろな人に会うことで人生は豊かになる

一時帰国中のちょうど一か月前、旧知の友人と飲んでいるときに、隣のテーブルに座っていた女性と話す機会があった。フリーランスでデザイナー、スタイリストをやっており、ロンドンにも半年間飛び込みで修業をしたとのことであった。

これまで私は、デザインとかスタイリストといった世界に興味を持ったことはなく、また「パリコレ」のイメージから、そのような世界は全てパリを中心に回っている、と思っているくらいに無知であり、聞く話は全てはじめて聞く話だった。その女性自身が、あこがれの人に弟子入りすべく、ロンドンまで直接直談判に行ったという話もおもしろかったし、その行動力にも驚いた。生き方がカッコ良いし、きっと大物になるのだと思う。

仕事を通じた人間関係はどうしても似たようなものになりがちだ。私は、日本、アメリカ、中国など、さまざまな国、地域で働いているが、やはり同じ金融業界の人間であり、特に仕事観、ものの見方などは近いと感じる。全く違う世界に生きている人と会い、深く接するのはおもしろい。違う世界に生きる人と出会うことで人生は楽しくなる。

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これも一つの大きな教訓だが、この時、もう一つ得難い経験をした。

この女性はフェミニズムを勉強しているとのことであった。私も当然フェミニズムという言葉は知っていたし、世界中にさまざまなフェミニズム団体があることや、さまざまな問題提起をしていること、エマ・ワトソンの国連でのスピーチくらいは知っていた。ただ、直に触れたのははじめてだった。

フェミニズムというと日本では『権利主張が強い人間』、『逆差別的』などネガティブな文脈で使われることが多く、フェミニストというと、面倒な人という目で見られることが多いように思う。

各論では、同意できるものがあれば、もちろん、同意できないものがある。ただ、フェミニズムが問題提起している内容に、自分自身が如何に無自覚であるか、ということは痛感させられた。私は、私自身のことをそれなりにリベラルな人間で、フェミニズムについても感覚的にわかっていると評価していたが、決してそんなことはなかったのだ。

たまたまフェミニズムを勉強している人との出会いがきっかけになったが、これはフェミニズムに限った話ではないと思う。フラットに考え、生活しているつもりでも、どこかにバイアスが掛かり続け、長い年月を経てそれが固まっていく。

個々の思想、考え方に対して是非があっても良いし、あって当然だと思う。こだわりが強いことは悪くないし、何事にもこだわりが強くない私からすると、素敵だとすら思う。ただ、他人の考えを一旦受け止める柔軟性は失いたくない。人の話を聞けなくなったら、そこで成長が止まってしまうような気がするのだ。

そんなことを強く感じさせられた時間だった。こんなタイミングになってしまったが、寧ろこんなタイミングだからこそ人に会う尊さを感じていると。落ち着いたらとにかく色々な人に会いたいと思う。

一か月前の素敵な出会いを忘れないうちに。ではでは。








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