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見えない人参めがけて走る

思い出しては真顔になる、入社時の「ワークライフバランス」研修。3年後・5年後・10年後にどうなっていたいか、仕事とプライベートの欄にそれぞれ記入をさせられた。

夢しかない未知で無知な22歳。出来上がった表の上で、27歳の私は「自分でやりたい仕事を仕切っている」が「出産をしたい」ことに苦悩していた。27歳、まだ仕切れてなかったな。そして、出産どころか結婚もしてないぜ

結局どうしたら良いかの答えは貰えず「長年働くと迷う時が出てくるんだよね〜」で研修が終わった記憶がある。あれで良かったんだろうか。。。


進むべき道を定めなさいと諭される様になった。多分モチベーションを保つ為のヨイショ込みで「なんでも大体やればできるけど、何かに特化する方向で道を定めた方が良いよ」と2年連続で言われている。自分でも得意不得意はあるにせよ、物凄く秀でているものは無い気がする。それは集中してやれば伸びるのか、そうでないのかは解らない。

居るべき場所がやっぱり此処だと信じたり、此処じゃないと迷ったり。もうすこし自分の未来に真剣になるべきだと解ってはいるのだけど、楽天的な方向に馬鹿だから「困ったら考えれば良いや」と思ってしまう。明日死ぬかもしれないのに、数十年後に備えるのは非現実的な気がしてしまう。刹那的に生きてる方が、よほどそう思われるのにね。

未来をしっかり考えている方が「現実的」で、今のことしか考えていないのは「非現実的」。叶う気のしない夢を見るのは「非現実的」で、勤労し貯金して堅実に生きるのは「現実的」。それは現実がずっと続くという前提の上に成り立っているから。明日、事故って死ぬかもしれないし、子供がいなければ学費とか貯めても仕方ないし。とは言え独りで生き続けるなら、いつか老人ホームに入れるお金くらいは貯めておかなければ。でも家族が居なかったら世話されてまで生きたいと思うのかな? 美味しいものもどんどん食べられなくなるし…。その時は好きなアイドルだって役者だってみんなジジイだよ、こっちもババアなんだから(笑)

今の生き方が間違ってるとも正解だとも思ってないし、その時なりたい・目指したい自分に背伸びして成りきっていくようにしか今は生きられない。どうせそのうち息切れして諦める時がくるから、飽きるまでは眼前に自分でぶら下げた人参めがけて走りたいなと思う。…騎手じゃなくて馬本体なのがポイントね!

馬は、入社3年目?くらいの研修で印象に残ってる話。同期で何種類かに分けられる中、私は「人参があるよ!と聞いたら実物を見なくても走れる」タイプだった(笑)。ちなみに3〜4種あった気がするんだけど、他には「それはどんな人参なんですか?」って聞くタイプとか、それこそ「現実的」な馬だった…。

想像の人参の為に走れる、「楽しそうだな〜」だけで走り出せる(そして時に後悔する)タイプ…。昔は考えなきゃ走り出せなかったけど、今は想像できれば大体実現できるって解ってるから。でも「見えない」ものに向かっていくのはやっぱり「非現実的」。


昔「自分がやったと言えることを持って辞めた方が良いよ」と退職する先輩に言われた時、本社で領域に特化してる人だったから「そりゃ出来るでしょ」と何処か自分には関係ないこととして聞いていた。それが、ここ最近は思わぬ所で結果が出てきて、気づいたら彼がちょうど辞めたくらいの年次。自分の努力が目に見える形になると改めて嬉しく思う。それが「やりたいことをやれるようになった時にライフステージが次へ進むから迷う」最初の話に繋がる。ステージを進ませないことでやりたいことがやれてるなら、進ませることでやれなくなるなら。そこに他人の目が介入するからより複雑になるアラサー問題。

現実的、って何なんだろうな。解らないまま、生命保険なんか調べてみたりして。ああ、このお金でライブ何回行けるかなぁ…(笑)




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