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「みらい」

 三ヶ月ぶりの婦人科で、青ざめたのが自分でも分かった。

「は〜い、今日はエコーと、癌検診ですね〜」

 エコーだけかと油断していた。否、それだけでも昨夜から緊張して身を固くしていたのだ。それが、もっと痛い、癌検診も今日だって?

「荷物を置いて、お隣の検査室にどうぞ」

 にこやかに告げる美人女医に逆らえるはずもなく、涙目で立ち上がった。エコーの冷たい器具も不快だが、癌検診は、擦り取られるから痛いのだ。しかも今日は寝坊して朝食を摂っていなかった。自業自得なのだがコンディションは最悪だった。


「で、そんな不機嫌な顔してる訳だ」

 どこか面白そうに言う彼を私は軽く睨みつけた。二週間ぶりに会う日に病院なんて行きたくなかったが、ここ最近ろくに休みも取れていなかったので今日しか無かったのだ。生理痛軽減の為に飲み始めた低容量ピルも手持ちの最終シートの三週目に差し掛かっていた。

「超恥ずかしい思いしてるの、知らないでしょ? 下半身丸出しで椅子に座ってね、ウィーンって持ち上げられて、足がパカーンって開くの。で、冷たい器具とか挿れられてさ、『う〜ん、やっぱり腫れてるね〜』とか診られるの。こっちはもう気持ち悪いし何ならちょっと痛いからさ、凄いちっちゃい声で『はい……』とか呟くのが精一杯な訳」
「しおらしくしてるんだ、珍しく」
「殴るよ」

 軽く、では我慢できず鋭く睨みをきかせると、彼は大袈裟に肩を竦めてみせた。

「でさ、今日は癌検診までやったの。半年に一回、粘膜を擦り取られてさ、これが痛いんだって……それが終わったらさっきの冷たいやつですよ、二連チャン」
「どうせならこっちが良かったよね、分かるよ」

 熱弁する私の右手をさも当然のように自分の足の間へ持っていき、押し当てて微笑んでくる彼に呆れてしまう。

「聞いてんの? 人の話」
「聞いてますよ」
「痛いから今日はしたくないです」
「えっ」

 魂の抜けた阿呆面に思わず吹き出してしまった。三十代なのに時折十代みたいに求めてくる彼は歳下みたいで、年齢と逆に「姉と弟」なのが良いバランスだと常々思っている。

「あの、優しくするので」
「いやです。今もちょっと痛いし」
「痛いの痛いのとんでけ〜」
「必死じゃん」

 わりと本気で焦って下腹部を撫でてくる彼の、うなじが綺麗で見惚れてしまった。無意識に頭を撫でれば彼は私を見上げて、そのままくちづけてくる。呑気なやつ。そこがかわいくて憎めない。

「腫れてるね、って、病気じゃない?」
「たぶんね。ぱっと見でやばかったら言われるだろうし。とりあえず経過観察で、また秋にエコーで診るって」
「そっか。なんか、ありがとう。俺、頑張るわ」
「何を?」

 訝しげに問えば、彼は柄にもなく少し照れながら呟いた。

「そんな痛い思いしてるんだから、俺も……未来の俺たちと、子供の為に?」

 急にそんなことを言われて、嬉しさと同時にやや戸惑う。え、そんな、考えてたの。プロポーズもまだなのに、子供の話とか。思わず彼の顔を見つめると、案外真剣な眼差しだった。

「……そんな真面目に言うんだったら、そこは、笑わないで言ってよ」
「いや、だって恥ずかしいじゃないですか」
「……やさしくするなら、いいよ」
「えっ?」
「だから、その、してもいいよ」

 わー、大胆! と彼が笑い、あっという間に逞しい腕の中。学生の"ハジメテ"みたいな許し方に、俯く。

「めっちゃやさしくするわ」
「……どうだか、」

 纏う空気の柔らかさで痛みが少し和らいだ気がして、我ながら単純だなと苦笑した。


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