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自分を演じる狂気の凶器 / 漫画『アクタージュ』マツキタツヤ・宇佐崎しろ

書きっぱなしで放置していた文章をこんな形で供養することになるとは…。原作者の罪はきちんと裁いてほしいし、被害に遭われた方の心身回復を心から祈ります。ただ漫画自体は面白かったので続きを読みたかったなと残念な気持ちを拭い去れない。作画の宇佐崎先生もジャンプ編集部や集英社も、舞台化に関わる方々も相当な損害だろうなと他人事ながら心中お察しして辛い気持ちに…。

以下、加筆修正しながら読んだ感想を。

*****

流行ってるものには理由がある。
流行ってるものは、おもしろい。

ずっと気になっていた『アクタージュ』試し読みから止まらなくなって、一晩で最新巻まで読んだのが6月初旬。ebookjapanでは8/13現在まだ閲覧・新規購入可能。

大手芸能事務所スターズが主催する俳優オーディション。未来のスターを目指す3万人の応募者の中に、異彩を放つ少女が1人──天才女優と鬼才監督の出会いから始まる、1本の映画を巡るアクターストーリー、開幕!!


無感情で恐ろしく思えた夜凪景の「理由」がすこしずつ解き明かされ、進化成長していく彼女や彼女を取り巻く人々の生き様をもっと見たいと期待していたところだった。黒山監督が撮る映画も観たかった。


夜凪景は経験を思い出し、感情を纏って演じる。
私も経験を思い出し、感情を纏って創っている。

表出する形が変わっても根本の感情が存在する限り、その魂は嘘にならない。

彼女の狂気のような凶器が目立つけど、誰しもが日常の何らかの場面では「演じる」ことがあるのではないかと思う。役者という職業だけではなく、ただ呼吸を続けるだけでも。

想像できたことを体現できるようになる過程は夜凪景だけに許されたものではない。私たちだって、そう在っている。ただ彼女はそれが恐ろしく巧いのだ。

自分ではない誰かになるのではなく、自分の感情のままで役を演じる夜凪景。そこに彼女の器用さと不器用さがある。多重人格は現実逃避の末に生まれるという話をよく聞くが、彼女も目を逸らした先に映画があり、その感情や感覚を喰らっていた。

本作を読み、改めていろんなタイプの役者が居るのだと思わされたし、たとえば千世子のような役者が夜凪景に影響されて変わっていくのも面白い。私は演じる側にはならず、それを見つめる/見つける側だけど、「生み出す」という行為を曲がりなりにもやる上で『アクタージュ』は新たな気づきをくれる予感がしていた。

だからこそ、打ち切りは惜しい。仕方のないことだと解っているが、本来起こってはいけなかったことが原因だ。

私たちは『アクタージュ』の痕跡を喰らって、彼女らの命を自らに灯らせることが出来るだろうか。それは大袈裟な言い方だけど、感情を喰らって纏って演じるように、目にして反芻して心に宿らせることが弔いであるような気がしている。

消化できない気持ちのまま、しばらくは画面をスライドし続けてみたい。彼女らの生きた証を焼きつけて、生きるヒントにする為に。


★「シナリオクラブ」の竹森さんが書かれた『アクタージュ』関連記事、密かに気にしていましたがようやく読めて、改めて熱量が素晴らしいなと思っていました。本物の役者さんが語ってくださっている素晴らしい記事、投稿当時も読まれていたと思いますが、貼らせていただきます。



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