プラスチックのベンチとキレートレモン。おじいちゃんと若い男の子 の話
コンビニの前のベンチに腰掛ける。
座ろうとすると、ギシギシと今にもプラスチックがひしゃげてぺしゃんこになってしまいそうな音が鳴るから、思わず危険を感じて一瞬腰を浮かしたくなるくらいドキッとする。
『やっべ、やっぱ身体重くなっ・・・。』と脳裏をいや〜な考えが横切ったのも束の間、
すぐにベンチのバランスが安定し、音を立てなくなった。
このベンチが危機感満載のギシギシ音を演出するのは最初だけで、実は結構安心感のある座り心地を提供してくれることも知っていて、愛用していたりもする。
この心配が取り越し苦労だということはわかっているが、
隣に座る男の人に体重をバラされたような気分になって、恥ずかしさでいっぱいになった。
今日は久しぶりのパン屋のアルバイトで、身体はクタクタだった。
しかも朝ご飯に持参したお味噌汁を、知らぬ間に袋の中でひっくり返して半分ダメにしていたから、おなかもペコペコだった。
さすがにお味噌汁がリュックの中で90度垂直にしっかり綺麗に縦向きに入っていたのを発見した時は、お弁当箱のままリュックに突っ込まずにビニール袋に包んで持ってきた自分に感動した。
リュックの中でぶちまけていたとしたら。と想像しただけでもあぁ身震いがする。
着替えても身体にまとわりつくパン屋の残り香をタオルでぬぐって、いつも通り黒いキャップをかぶって事務所を降りる。
事務所は、コンビニが1階に入ったビルの、一本路地を挟んで向かいのビルの5階にあった。
入り口の自動ドアが開くと同時にポップな音楽に歓迎され、足を踏み入れる。
迷いなく栄養ドリンクコーナーからキレートレモンの ”疲労軽減クエン酸2700” バージョンを手に取った。
そのまま奥へ入ってお惣菜コーナーで足を止めた。陳列されたパックの食べ物たちを吟味する。
スープの気分か、どんぶりの気分か、野菜の気分か。
麻婆豆腐に旨辛豚しゃぶサラダ入れたらおいしそうだな。。。
狙いを定めて、レジに並んだ。
ベンチに座りながら、ノートと着替えを詰め込んだリュックサックの上に、温めてもらった麻婆豆腐と旨辛豚しゃぶサラダを取り出す。
私がベンチと格闘しているうちに、いつの間にか隣に座っていた男性はいなくなっていた。
空いたところに二人組が座ろうとしているのに気づく。
少し隙間を開けてあげた方がいいかな?
ちょっとだけ横にずれてみた。
ギシぃと、音を立ててベンチがきしむ。
さっきまで喋っていた二人が一瞬、静かになりベンチを見つめたのを感じ、きっと私と同じ危機に陥ったんだと彼らの頭の中を妄想して勝手に満足感を覚える。
そんなことをしているからだ。
キレートレモンがバックから転がり落ちる感触がした。
割れるかもしれない。と気づいたと同時に手が伸びたが、間に合わず、瓶の底が地面を叩いた。
瓶は割れていなかった。
伸ばしたその手のまま、瓶の中身の無事を確かめるようにふたをあけた。
瞬間。
ぶしゃあ。
まさに効果音が見えるような勢いでしゅわしゅわの炭酸が噴き出し、あたりをびしょびしょにする。
つい隣に人が座っていることも忘れて、悪態をついていた。
今日はついていない。
気にしてもしょうがない。
ツキの悪さを残ったキレートレモンで流し込み、爽快感で気持ちよくなる。
麻婆豆腐の開封の続きに取り掛かった。
今度は別の二人組がコンビニから出てきて、
ベンチのほうを興味あり気に見ていた。
ひとりはおじいちゃんで、一人は若い男の子だった。
おじいちゃんのほうはやさぐれたジーンズに、ジャケット。航空機のモチーフが付いたキャップをかぶっている。一昔前のアイコニックなイケオジがタイムスリップしてきたみたいな風貌だ。
昔はもてたんだろうなあ。と言いたくなってしまうどこか哀愁が漂っていた。
男の子のほうは、今どきのファッションセンスで、ダークグレーのワイドジーンズにセーターを着ている。クリクリの金髪で、少し伸びた根本の黒色さえもおしゃれに使いこなしている。
座りたいのかしら。
彼らの視線に気が付いて、もう一度すこし横にずれてみた。
ベンチの真ん中には誰かの飲み残したアイスコーヒーのガラと、たばこの吸い殻が何本か入った空箱が置いてあった。
男の子が近づいてきて、空箱の中身を確認しながら
「これももうぜんぶ吸い殻なので大丈夫です。ゴミです!そしたらここに座れますね!」
と明るく言って、誰かの残したごみを両手にコンビニの中に戻っていく。
今どき誰のか知らないたばこの箱を開けて素手で吸い殻を確認できる男の子がいるんだなあ。
入っていったかと思ったらすぐでてきた。
「ゴミ箱が無さそうです!」
と泣きそうな顔をして店から顔を出した姿に、なんだか彼の純粋さを感じてすこしきゅんときてしまった。
「カウンターに聞けばいいよ。」
やっぱり90年代からタイムスリップしてきたのだろうか?
今どきコンビニのレジのことをカウンターって呼ぶおじいちゃんがいるんだなあ。
荷物をえっちらおっちら引っ張ってベンチの端に寄って、二人分の席を空ける。
ありがとう。と隣に座ったおじいちゃんがお礼を言ってくれた。
男の子が戻ってきて、
「ありがとうございます。いいんですか。すみませんいただきます。」といってジュースを開ける音が聞こえる。
男の子はマッチのレモン味で、おじいちゃんはミックスフルーツジュースを持っていた。
粛々と麻婆豆腐を口に運びながら、
隣の二人が全く会話をしていないことに気が付いた。
そういえばやけに他人行儀な会話だった。
この人たちは一体どういう関係なんだろうか。
アルバイト先の上司と部下か。
ついそこで出会った、もらいたばこをした仲間か。
はたまた、本当にタイムスリップして、昔と今のかっこいいを共有しあう仲なのだろうか。
あまりどうでもよかったが、ぼんやりそんなことを考えながら
丁度私が麻婆豆腐を食べ終わるタイミングで彼らがアディダスの靴について話始めたのを感じた。
食べ終わってからも、しばらくベンチに腰掛けて目の前を通り過ぎてゆくサラリーマンや観光客たちの動きを眺める。
何も考えなくていいこの時間が好きだ。
景色が全てスローモーションに見える。
疲労で痺れすら覚える身体がじんじんとほぐれていくのがわかる。
ベンチに座っているのに、ソファに座ってうたた寝でもしているような気分になる。
軽やかで穏やかな音楽が聴きたくなって、首にかけたヘッドホンを耳に当てなおした。
#何色でもない花 by宇多田ヒカル
そのベンチに座る全員が、同じ時と景色を共有していた。
きっと心地のよさとぬくもりも皆が感じていたと思う。
もう少しここにいたい。と思うような空気が漂っていた。
しばらくすると最初の二人組もいなくなっていて、
おじいちゃんと男の子も席を立っていった。
アイスクリームがたべたい。
帰りにフルーツたっぷりのアイスバーを買って帰ろう。
ベンチを立って、カウンターに聞いてみた。
「すみません、ゴミをお願いしてもいいですか?」
地面に落としたキレートレモンの瓶と麻婆豆腐の残骸が入った袋を差し出す。
受け取ってくれた店員さんの名前は、私と同じ名字だった。
なんでもない話
陽
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