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最高のゼミ活動でした。


こんにちは!あいでんです。

本日、退去をしました。引っ越してきたのがちょうど2年生の春休みでしたから、もう2年も経ったのかと感慨深いものがあります。

今までお世話になりました。さらば、一人暮らしライフ。

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この子はお留守番


▷はじめに


今日は本来であればゼミの追いコンでした。既報の通り卒業式の中止に伴って追いコンも自粛という本当に残念な形となりました。

誰から花束を受け取るのだろうかとか、最後のメッセージは何を喋ろうかとか、あーしようこーしようとたくさん考えていたのに…(笑)。


ということで、追いコンが中止になってしまった分、今日は思う存分書きたいことを書いていこうと思います。

そのため随筆というよりも口語体で書いていこうかなと考えております。多少読みにくい部分があるかと思われますが、まあ元からの文章力ともそう変わりませんのでご容赦ください。

ご興味ある方はどうぞご一読ください。


それでは、、、いってみよっ!


▷後輩たちへ


まずは何から書こうか。

……なんてことで悩みません。なぜなら追いコンのメッセージもここから話すと決めていたからです(笑)。


私は7・8期ともにゼミ選に関わってたので、直接もしくは濃密に全員と喋ったことはないにしろ、ゼミ活動が始まる前からどんな人たちが入ってくるかはだいたい認知していました。

率直な当初の印象として、7期は「関わりたくない部類のウェイ系」、8期は「勉強できます系の頭のいい子たち」という印象だったと記憶してます。


▶︎7期生との思い出

そのため7期生とは香港・深センの旅で仲良くなったダンサーを除いてはほとんど喋ったことがありませんでしたし、喋ることもないだろうと感じていました。

そんな7期生と喋るようになったのはゼミ選に関わることが決まったあたりからでしょうか。その後ゼミ合宿、マルシェなどの機会を経て、気づけばすごく仲が深まっていました。

私の世界観が広がり、いろんな人と絡もうと思うようになり、学びが深まり、ゼミがより面白かなったのは君たちのおかげです。また、(勝ち負けの定義はさておき)創Pでの手痛い経験も間違いなく私の糧となりました。

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7期生の新歓


▶︎8期生との思い出

8期生ともゼミ選からの付き合いですが、間違いなく7期生のゼミ選よりも物腰柔らかくなっていたし心の余裕もあったし、初めからある程度の距離感を保てていたのかなと感じてます。

新歓のときに(読んでくれたかはしらんけど)わざわざnoteにメッセージを書いたのはいい思い出です(読んでなかったらぜひ読んでね笑)。

君らは本当に入ってくる前から優秀で、自分の志望理由書と見比べて大爆笑した記憶があります。また、創Pでの取り組み方などを見ていても何度舌を巻いたことか。

君たちに煽られたからこそもっと学ばないといけないと精進し続けることができました。それに多くのことを学ばせてもらいました。

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8期生の新歓


▶︎メッセージ

実は何を書こうと考えていたら、8期生に向けて送ったメッセージが割と今届けたいメッセージだったので引用しつつ少し改変して送ります(笑)。

私からのメッセージは「素直、実直、嘘をつかない」人間でありながら、「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」を心がけてゼミに取り組んでほしい、ということです。

ゼミに3年間いても社会で役に立つようなスキル(資格)を得ることはできませんでした。そういったことはゼミの外でほとんど学びました(なので外に出ましょう)。

しかし、ゼミで学べることはスキル以上に有益なものであると思っています。それは、これから社会で生きていく上での基礎体力のようなものになるでしょう。

それを自分の血となり肉とする、もしくは将来の貯金として蓄えておくためには「素直、実直、嘘をつかない」人間である必要があると思っています。どんなことからも学ぶことができる人間は「素直、実直、嘘をつかない」人間だと私は思います。


ゼミには多くの機会が転がっていますし、転がってきます。

その機会によって自らを変える=アップデートし続けることができれば、ゼミに入る時に思い描いた将来像に近づけるかもしれません。

だから、今の前にあることを素直に、実直に、嘘をつかずに、コツコツと頑張るしかない。その環境が整っているのがTゼミであり、それを体現する場がTゼミなんだと思います。


これから多くの壁にぶち当たることもあると思いますし、落ち込んでしまうような時期もあるかもしれません。

しかし、安心してください。

あなたたちは、私よりも優秀な7期生、そしてそんな7期生が自分たちよりも優秀だと評価した8期生なのですから。


香港・深センの旅の時に「6期(私)はゼミに何を残せるのか、貢献できるのか」をゼミ生Sと熱く語り合ったことがある。

その時からそれはブレてなくて、「卒業しても立ちはだかる壁というか、ひとつのメンターというか、リスペクトされる先輩であること」だと私は思っている。それは4・5期生の先輩が残してくれたものがそうだったと私が理解しているからだ。

もし、後輩たちの中で私を含む6期生がそういう存在になれているとしたらこんなに喜ばしいことはない。


7期生は2年間、8期生は1年間ありがとうございました。こんなに仲良くなれるとは思ってませんでした。仲良くなれてよかった。最高でした。

僭越ながら、これからも活躍を期待しています。

そして、こんな私でもよければこれからも仲良くしてください。


▷同期たちへ


やっほー。
無事卒業した人、大学に残る人、自ら決めた新しい道を歩む人。いろんな人がいるけど、まずはこの言葉からはじめよう。

おめでとう。そして、お疲れ様。

進む道はそれぞれとはいえ、苦楽をともにした仲間たちの門出をまずは心から祝福したい。そして、これから進んでいく道での活躍を願ってやまない。


堅苦しいのはここまでにしよう(勝手にやった)。

それにしても何をやっても全然人が集まらないし、19人が12人まで減るし、卒業旅行や追いコンもなくなるし、タイミングが悪いというか6期生らしいというか。最後まで本当に締まらない(笑)。

で、今日は腹を割った話をしようと思う。まあ、興味があったら見て欲しい。


▶︎切腹トーク

顔合わせで初めて会ったとき、これからどうなっていくのかと心底ワクワクしたのを覚えている。そう、創Pで社長志望だったからだ。

だが、対抗馬が出たことによって唐突に行われたスピーチで相手方のKに圧倒的熱意負けをした私はこれからどうなっていくのかとドキドキした。メンタル弱いので。

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恒例行事のBBQ


写真を見返せば合宿くらいまでは普通に仲が良かったことがわかる。問題は夏休み明けからだった。

コンフリクト、コンフリクト、コンフリクト。

当時の取締役会と組織成員の関係性や思ったようにいかず徐々に生まれる不穏な空気によって我々の関係性は大きく崩れていった。決定的だったのは事業計画発表会前後の出来事だろう。

あのあたりから「仲の悪い6期」が誕生したのだ。良くも悪くも創Pの配役が6期の命運を分けたと言っても過言ではない。その後の時系列についてはゼミ最終回の時のnoteでも読んで物思いにでもふけって欲しい。

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仲が深まったはずの合宿の夜


私は怒りっぽい。これは自覚してる。
友人曰く、周りに気を遣わせる怒り方らしい。これは自覚してない。

私は自己完結型で説明を面倒くさがる。これは自覚してる。
友人曰く、言い方がとても悪いらしい。これは自覚してない。

こんな感じにたくさん迷惑をかけてきた。とくに創Pの社長のとき。口がまめることで有能感に浸っていた私はすんごい嫌な社長だったと思う。

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2年時の創P振り返り


一方で、誰よりも成長したいと思ってたし、それ以上にいろんな意味で創Pがみんなにとっていいものになって欲しいと思っていて、あの頃の私はとても空回りしていた。

迷惑かけました。ごめんなさい。

素直でいることや優しくいることの重要性を教えてもらいました。でもみんなのおかげで成長できたし、いい経験や思い出ができたし、なにより就職することができました。

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箱崎頑張ったなあ


6期生は本当に「苦楽」をともにした仲間だと思ってます。うまくいかない苦しみも、上手くいきそうな刹那が垣間見えた喜びも、卒業旅行や追いコンがない悲しみも(笑)。

私は自分が優秀だと思ってたし、みんなよりも秀でていたかった。でも、みんな私より優秀だった。よくわからん尖り方をしている6期生だったからこそ今の自分があるし、ゼミを楽しめたし、6期が6期たれたのだと思う。

やっぱり私は6期でないと上手くやれていなかったと思う。

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珍しく6期生が集まった創Pの打ち上げ(映ってない人がいるけど)


私は6期生に何か貢献できただろうか。正直あまり自信はない。迷惑を散々かけたし、一方的に何かを受け取ったような気がしているから。

だから、これから少しでも恩返しができればいいなあと思う。

もうちょっと仲良くできたらよかったけど、まあ私がガキンチョだったので仕方ありません。これからも仲良くしてくれると大変嬉しいです。

どうも6期生への想いはこれっぽっちの文章では書き連ねることができないらしい。それくらいには思い出深いし感謝してます。

全員が集まることはないんだろうけど、また機会があったら集まりましょう。そしてそれぞれの「苦楽」でも語り合いましょう。

ありがとう。なんだかんだ6期生が大好きです。

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卒業旅行の代わりに開かれた飲み会(これまた何人か写ってない)


▷T先生へ


こういう形は大変失礼だとは思いますが、追いコンがなくなった分を勝手に書かせてください。

T先生との最初の出会いはおそらく入学最初の説明会みたいなやつだったと思います。「本当は〇〇駅の方が二号館に近いけど君らは調べもせず△△駅から来たでしょ〜」と初っ端からすごいことを言われた記憶があります。

そして私の人生を変えた出会いは学籍番号で振り分けられる基礎ゼミで、本当に偶然の出会いでした。そこでも初っ端から「電気をつけないのはバカだ〜」と30分くらい叱責されたのを今でも覚えています。あの時から面白い人だなあと思うと同時に、基礎ゼミの時間を経る中で(当たり前だけど)すんげえ頭がいい大人だなあと(失礼ながら)感じていました。


その後、ゼミ選期間が始まり、最初から最後までTゼミ志望でした。初っ端研究室に行った際に「君らは何しに来たの?」とすごい勢いで言われたのを思い出します。

それまでに既に数回もすごいことを言われたのに嫌悪感を抱くどころか「面白い人だ」という印象が高まっていたのは自分でも不思議です。私は先生に惹かれてゼミを選びました。

ゼミに入ってからは本当にお世話になりました。プロジェクト、海外、懇親会、記事や本の紹介、数え切れないほど恩を受けました。少しでもその恩を返そうとゼミでの活動も頑張ったつもりでしたが、それでまた迷惑をかけました。

そんな私を見捨てることなく拾っていただいた上にお世話していただき感謝でしかありません。私の世界が広がったのは間違いなくT先生のおかげです。


私はゼミ選期間のときから掲げていた目標があります。

それは『T先生と同じフィールドに立てる人間になる』という目標です。

卒論のテーマを管理会計に拘っていたのもこれが関係しています。しかし、プロジェクトをすればするほど、卒論を書けば書くほど、時を経れば経るほど、先生の偉大さに気づかされ、自分がちっぽけであることを痛感させられました。

でも、身近に偉大な尊敬できる人がいたからこそもっと学ばなきゃと思える自分がいました。今もまっっっっったく足元にも及ばないことは理解しているつもりです。


だから同じフィールドに立てる人間になるためには「ゼミ生」から卒業し、一人の社会人になる必要があって、そのために社会の荒波に揉まれる必要があるんだろうと就職を決意しました。

奇しくも私の仕事は会計業務です。神様も粋な計らいをするじゃないかと勝手に思っています。

新たに加わった目標は「ゼミで講演出来るような人間になること」「論文の参考企業になるような興味深い企業や事業を作る」です。尊敬できる偉大なT先生に少しでも近づけるように頑張ろうと思います。


「選んだ道を正解にする努力をしていこう」

「素直、実直、嘘をつかない」

「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」


この言葉たちが私をここまで連れてきてくれたのだと思います。

これからもご指導ご鞭撻、そしてお付き合い頂ければ幸いです。

4年間、本当にありがとうございました。

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懐かしき基礎ゼミの写真


▷おわりに


これを喋ろうと思ったら多分すごい尺をとったことでしょうからnoteに書いたというのは本当に正解でしょう。それに多分喋ってたら泣いてたので(笑)。

思い返せば思い返すほど、noteの内容の傾向を見てもゼミが私の中心にあったんだなあと感じます。毎週が楽しみでしたし、毎回のゼミが楽しみでしたし、全ての時間が私にとってはかけがえのない貴重な時間でした。

それがこんな形で終わりを迎えてしまうのは本当に悲しいけれど、時の流れには逆らえないので仕方がありません。前を向いてコツコツ頑張ります。


そして、Tゼミで培ったものを糧にこれからの人生を楽しもうと思います。

本当に最高のゼミメンバーで、ゼミ活動でした。幸せでした。

それでは、また次回!


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