タダより怖いものはない!?
こんにちは!あいでんです。
本日は「タダ」ということに対して、最近の考え方について話をしていきたいと思います。
それでは、、、いってみよっ!
タダって嬉しい
世にある商品やサービスを消費するためには必ずお金という対価交換が必要になります。
「これら全部がタダだったらいいのに、、、」
一度はそう思うことがありますよね。タダだったらなんと嬉しいだろうかと。奢ってもらえる嬉しさってタダ(もしくはそれに近い)になるからこそですよね(笑)。
他にも友人間でなにかを頼むときにできれば”タダ”でお願いしたいですよね。しかし、現実的にはなかなかそう上手くはいかない。
なぜなら、向こうも何かしらを求めるからです。つまり対価交換を求めているわけです。
そのため、テストの試験範囲を教えてもらおうために昼飯を奢ることを条件に提示して対価交換を成立させようとします。
しかし、これが親しくなればなるほど、ちょっとしたことになればなるほど”タダ”でその恩恵を受けようとしてしまいます。
例えば、私には美容師の友人がいるのですが、できることなら”タダ”で髪を切ってもらおうという汚い根性がありました。
幸い友人は優しかったので”タダ”で切ってはくれましたが、今思えばよくなかったと反省しております。
タダはよくない!?
親しい中なら”タダ”でもいいやん!と思う方もいらっしゃるのではないでしょうか。むしろ親しい中であるからこそ”タダ”でいいやんと。
しかし、親しい中であるなら尚更”タダ”はお互いのために良くないと思います。
対価交換とはその名の通り価値と価値の交換というわけです。逆に言えば、自分が今から受けようとしているモノゴトの恩恵に対して価値を感じていると風に表現できます。
この価値を感じているということが大事であると考えています。
自分が価値があると思っているモノゴトに対しては、自分が提供できる価値あるモノゴトて返してあげるのは当たり前のことだといえると思います。
この”恩返し”ともいえる行為において一番その価値を明快に表現できて、共通的で、手っ取り早いのがお金なのです。
感謝の言葉や喜んでいる姿を見て恩返しを感じる人もいますし、アンダーマイニング効果もあるので一概にお金で済ませることをおススメはできません。
しかし、何かしらの対価交換は必ずお互いのために重要だと断言できます。
例えば、美容師の友人はそのスキル(価値)を磨くために必死に努力をしているわけです。友人である私もそのことを知っています。
努力して身につけた(磨いた)スキルで受けることができる恩恵に友人の自分が”タダ”でその恩恵を受けようとするなど、今思えば恥ずかしい限りです。
友人から受けることができるその恩恵(価値)に対して、お金という貨幣的価値で、価値を感じているということを表現したいと私は思います。
まとめ
少し話から外れますが、お金という対価を支払うことでそのモノゴトにたいして責任持たせるという役目も実はあったりします。
”タダ”だと「まあ、タダやしこれくらい良いやろ」という気持ちが相手に生まれたりします。その抑止力としても対価は効力を発揮するのです。
このように”タダ”でモノゴトを済ませようとするのことはお互いのためにならないということを感じていただけたと思います。
まさに、「タダより怖いものはない」という言葉そのものです。
価値を感じるのであれば親しい中であればあるほど、努力を感じることができればできるほど”タダ”ではなく、対価交換をしていきたいと思います。
今回はこのあたりで終わりにします。
それでは、また次回!
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