最後のゼミを終えて…
こんにちは!あいでんです。
昨日は大学生活最後の講義でしたが、本日は大学生活最後のゼミでした。最後の最後がゼミというのは何か縁深いものを感じます。
本日は最後のゼミについて綴っていこうと思います。
▷ゼミを終えて…
2年半に渡り計75回行ったゼミ講義。
包括的な振り返りみたいなものは卒業前後やら追いコン前後にやるでしょうから今回は75回のゼミを経て私の今の心境を書いていきます。
あとこれまでの歴史を振り返るスライドショーも勝手にやっていきます。
ゼミ最初の恒例行事である親睦会的なやつ
(最初っから全員集まらないのが6期らしい)
全75回のなかでは実にいろんなことがありました。
創業体験プログラム、ゼミ募集プロジェクト、社会課題をビジネスで解決するプロジェクト、運動会の運営、マルシェプロジェクト、卒論etc...
その75回を入れ替わり立ち替わり含めれば総勢19名で走ってきました。各々いろんな事情があって最終的には12名になってしまったけれども、よく言えば枠におさまらない個性的な人が集まってきたなという印象です。
悲しいかな、最初の合宿の集合写真はありません
(今では考えられない格好をしております)
6期生のゼミ活動は決して順風満帆ではありませんでした。
1年目の創Pはアクシデントは多発するわ製品売れんわ利益でらんわの躓き。ゼミ選考Pは当初なかなか人が集まらず慌てふためき、集まった19名を見るとなんかすごい色の7期生になり。社会課題をビジネスで解決するプロジェクトは思うようにどのプロジェクトも進まずなあなあで終わる。2年目の創Pでは後輩にボコられ。運動会の運営もうまくいかず。気づけば人も少なくなる。
いろいろとクセが強く仲が良くないと噂され、いつも思い通りにいかずに躓きばっかりだった6期生だけど、僕はこの6期生で良かったなあと本当に思います。
この個性的なメンバーだったからこそ無駄に尖っていた部分が丸くなれたし、相手のことを思いやれるように多少なったし、学ぶことの楽しさを知ったし、何より取り残されまいと精進するマインドセットを持つことができたと思っています。
そして、僕個人としては6期生という組織から得るものもたくさんあったけど、何より各メンバーから今の自分を形作る”何か”をプレゼントしてもらいました。
この後に事件が起こった合同ゼミの飲み会
(人見知り全開で発揮していた頃)
6期生が私にどういう感情を持っているかは不明ですが、私はこの2年半はかなり迷惑をかけてきたなと思います。ごめんなさい。
2回目の創Pでは今よりもはるかに無能で頭でっかちで相手のことを全く考えないクズな僕にとって大きな転機でした。皆さんが2年目の創Pをどのように捉えているかはわかりませんが、2年目の創PでT先生に叱責されたこと、同期生から言われたこと、うまくいかずに悩んだ日々、そういうものから受けた恩恵は計り知れません。
当時、クズな僕になんだかんだいいながらついてきてくれたことや機会を与えてくれたことは感謝でしかありません。
2年次の運動会
(若い、以上。)
T先生からまじまじと6期生単体で叱責をされたのは私の記憶する限りは3回のみ。
1回目は2年時の創P当日2日目の振り返りの時。オペレーションは崩壊し、製品も売れず、険悪なムードが漂い、目も当てられないような状態の時に叱咤激励という意味も含めていたのか初めて叱責されました。
2回目は3年生の合宿の最終日。ほぼ全員が誰かの意見に耳を傾けることなく勇往邁進し、チームとして成り立っていなかったどころか目も当てられないような状態の時に二回目の叱責をされました。
3回目は4年生の卒論の時。なかなか卒論の報告者が出てこず、進捗できていなかった時。最後の叱責をされました。
こうやって振り返ると一年に一回しか叱責されていないんですね。これくらいの歳になると誰かに怒られることってのは滅多にあるものではないので、とてもありがたいことです。
創Pの営業が終わったとき
(男性と女性で表情が全く違うのが面白い)
僕は個人的にも6期的にも3年生の合宿の最終日に叱責されたのはターニングポイントだったと思います。約1時間くらいひたすら叱責をされたわけですけど今でも覚えているお話があります。
『いつまで子供みたいなことをやっているのか。なぜもっとお互いに寄り添わない。お互いに腹を割って話しなさい。男と女とか、感情と論理とか、良い悪いとか、あってるあってないとか、好き嫌いとか、そんなことに囚われるな、いい加減大人になりなさい。
相手のことを思いやりなさい。感情的になるな。崇高な目標が君らにあるんだったら目先のことに囚われるな。(意訳)』
春合宿の写真
(めっちゃ少なかったのを覚えている)
こういうようなお話をされた。
これがとても心に響いて、自分を見つめ直すきっかけになった。実はその前日も学びの姿勢についてゼミ全体へ釘を刺されたことなどもあり、自分としてもこの合宿は大きなターニングポイントでした。
この叱責をされた後に鹿児島から福岡まで車で帰るわけですが、同乗者と”自分たちの何が悪くて、これからどうするべきか、どうあるべきか”について永遠と話していたのを鮮明に覚えています。
決して仲良しこよしではなかったけれど、志を違えることなく創P然り6期生としてここまでこれたのは、お互いに寄り添い,腹を割って話し,相手のことを思いやった結果ではなかろうか。
3年次の運動会
(運営で疲労困憊だったのを覚えている)
少し話はずれるけれども、ブログを始めようと思ったきっかけも実はゼミ生が理由だったりする。もちろん周りが始めていたことで影響されたというのもあるのだが、周りのゼミ生においていかれないようにするために始めたというのが本音だったりする。
当時は、ゼミでいろんなことを任せてもらっていたことで変にあぐらをかいて自分は成長できると思っていた。しかし、実際には自分の成長スピードよりも周りの方が断然早かったのだ。
起業した人、インターンをする人、留学する人、鞄持ちをする人、みんながしないような経験をしている人、自分のやりたいことをやっている人etc..
自分も追いつき追い越すためには何かをしなければと思い、まずは自分が創Pで学んだことを言語化,整理する、自分の強みを伸ばすために始めたのがブログだったのだ。
余談ではあるが、ブログを当初始めた際は「どうせ三日坊主だ」と言われていたらしい。いい意味で裏切ることができてよかったですね。
3年次の創P
(これが全員が映る最後の集合写真になるとは)
▷まとめ
到底まとまるはずもないのだが、どこかでまとめなければ際限なく書いてしまうのでそろそろ締めとしたい。
わたしがTゼミで過ごした2年半はとても貴重なものであった。みんながどう思っているかは知らないけれど楽しいゼミ活動でした。やめようと思ったことは一度もないし、休みたいと思ったことも一度もない。
毎週が、毎回がとても楽しみだった。現に刺激的でとても楽しかった。そして学びの場でもあったし、自分をさらけ出せる居心地のいい場でもあった。
珍しくプライベートで集りバーベキューをした際の写真
(実は最初のバーベキューと同じ格好をしている)
スライドショーを見ていただければおわかりいただけるように6期生が全員集合したのはそう多くない。いつも誰かがどっかにいってる(笑)。
まあでもその自由奔放さがあったからこそ最後まで個性強くあれたのかもしれない。各々が6期全体に影響を与えるくらいには。
何より、お互いがリスペクトしあい、お互いが研鑽しあえる関係性を最終的には構築できたいたのは非常に喜ばしいことである。少なくとも私はそうである。
6期生は常に躓いてきたからこそ、その度にあーでもないこーでもないと考えコツコツと積み重ねてきました。躓きばかりでいい思い出はないのかもしれないけど、この躓きの軌跡こそ6期生の歩んだ歴史であり成長の歴史だと思う。
最後の運動会
(徐々に太ってきてんな、おい)
志を共にしている心強い仲間ができたということがゼミに入っての最大のプレゼントなのかもしれない。
やめてしまった人ももちろんいるけれども同じ組織に所属していることが必ずしも重要なわけではない。そういうのはいわば時の運でもある。
やめていった人が6期にTゼミに不要だったというわけでは決してないし、彼ら彼女らがあってこその今の私であり6期でありTゼミだと思う。
卒論提出時の写真
(いや、男子少なっ!)
私がみんなに何をGiveできたのかはわからない。できてないかもしれない。嬉しいことに私はたくさんGIveしてもらったので今の私があると思う。
このメンバーで良かったなと改めて思うわけです。
ありがとう、そして2年半お疲れ様でした。
卒アル用にとった集合写真
(全員写ってないのが残念だが非常にいい写真)
▷おわりに
かなり長文になってしまいました。
もう少し前から書いておけばもっと整理できたのにとか思いつつ、まだ追いコンがあると思えば前哨戦的なものだなとか思いつつ。
後輩、同輩、これから私は暇です。でもたくさん喋りたいことがまだまだあります。ぜひご飯にいきましょう。
そうそう、こういう時間内には喋れなかったことを発散するためにもブログを始めたんだよなとか初心を思い出すことができた日でした。
そして、悲しくもゼミ75回目の最終日でした。
それでは、また次回!
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