見出し画像

確認症候群

kdyです。

今日も自身と向きあっていきましょう。

確認症候群


仕事や日々生きている中で突発的な事が発生し

焦ってしまってミスや不手際がある事は誰にいでもある事だと思います。

私自身、仕事でそんな事があり、最終的には何とか対応できたものの、

終わって帰り道で忘れている事があったのに気づいて、

戻って完了させて帰宅するって事をやってしまいました(苦笑)。

ミスしたその時は、その時の内容にもよりますが

恥ずかしさや、やっちまった感はあっても

喉元過ぎればその感覚は薄れて

冷静に反省点を考えて、次に活かしていく。

というのが普通の感覚なのかなと思いますが、

以前の自分はそうではなく

些細なミスでも長期にわたって引きずる事が多かったです。


やってしまった、次ミスしたらどうしよう

恐れを感じて

例えば

書類のチェック漏れをやってしまった時は、1,2回チェックすれば良いところを何遍も確認してしまったり、

作業の中でミスをしてしまった時、上に必要以上に確認を求めたり

ミスをしない為に過剰なまでの確認を行っていました。


そのミスは普段する事がなく

たまたま起こっただけなのかもしれないのに

1回起こしてしまったら過剰に気にしてしまう。

そうなると必要以上に精神力が疲労困憊し、

さらにミスが増えるのは目に見えてわかるのに
(実際にそうなったことも多くあります)

大丈夫と思えない限り何遍も確認しなければ心を落ち着かせる事が出来なかったです。

客観的に見てもやりすぎだったと感じますし、たまにその傾向も出てくる時があるので、何とか恐れを振り払うように心がけています。


この感覚はなかなか普通の人から見たらわからない感覚なのかもしれません。


自分の中の一つの何かが崩れ去ると不安になる感覚は

その形でなければいけない、そこから外れてはいけない

という心の認識から生まれるものです。


失敗してはいけない

正しくなければいけない

正解でなければいけない

成功している形であらなければならない


という認識の裏側に

そうでなければ自分は生きていてはいけない

そうでなければ人には認めてもらえない


大袈裟に聞こえるかもしれませんが、そんな感覚を無意識的に私は感じていました。

それは自分を深掘るまでは言語化出来なかったです。


言語化できないから何でそうなってしまうのかもわからなかったです。


長年同じ事で悩みでループしていると感じている時

自身の持っている言語化できない感覚の中に、あなたを停滞させるブロックがあります。


そういった感覚もそうですし

認識や信条、気質などが作り上げられる時に

ベースとなるのが、今まで生きてきた環境です。


それは、大人になってからの環境よりも

子供の頃に生きてきた環境の中で生まれた

「自分の当たり前」の中にブレーキが眠っている可能性が高かったりします。


様々な経験をして大人になると自己判断できる部分も

子供の時は相対的に認識している世界が狭く

その世界が当たり前と無意識に定義してしまいがちです。


なので、

自分がどう生きてきたか、


特に子供の頃どういう環境で育って

何を当たり前としてきたかを

少しでも良いので、考える時間を作ってみてください。

「当たり前」としている事は何故「当たり前」なのか?

そこはあまり考える経験がないかもしれませんので、違った視点で新たな自分を発見できるかもしれません。

この記事が読んでいるあなたに、何らかしらのヒントや気づきを感じられるキッカケになったら嬉しく思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

kdy

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?