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関係性と孤独

kdyです。

昨日は久しぶりにコーチ仲間の1人とお話ししてました。

1人で考えているだけでは浮かばない事、互いの経験の中で感じた事のシェアの中で気づく事が盛り沢山。

対話する事もまた向き合う事であり、自己理解を深めていく事なんだと改めて感じた1日でした。

関係性と孤独

以前は、こういった感じた事を話したりシェアしたりする事を

あんまりやろうと思う事がなかったです。

やったとしても、そういった場面では聞き役に徹したり、相手に合わせた話題を話したりしていました。


自分の本音や気持ちをシェアしようとすると、

受け入れられないのでは?

相手にとってはどうでも良い事なのでは?

自分だけが過剰に感じているだけなのでは?

といった不安な感覚を感じる事も多かったです。


だから何気ない雑談とかも苦手でした。

何話していいんだろう?

って思って、なるべく会話をキリの良い所まで持って行って打ち切ろうとしていました。

だから周りの雑談が盛り上がっているのを聞いている時、すごいなぁ何て思ったりも(苦笑)。

そうやって人に合わせる為、会話を終わらせる為に、頭を結構使ってました。


昨日の記事で

「自分は求めてはいけない」

という事を無意識がで思っているという事を書きました。

自分自身を深掘りしていく中で

結局これも自分が求めてはいけないと

無意識の内に縛っていたという事が見えてきました。


人が他者と関係をもち、考えや本音の気持ちを伝えるのは

自分にとっての仲間を探す行為です。

人それぞれ意見や考えている事は違いますし、それと近い人が居れば密なコミュニティが形成されていきます。

それが個人から村や町、国や社会といったようにどんどん大きくなっていきます。


その初段である個人とのコミュニティや絆を作る事に対して、自分の中に

それを求めてはいけない

という事を感じていたわけです。


そうなると孤独で生きるしかなくなります。


もちろん所属するコミュニティの中にはいますが、そこには何も繋がりがない。

深い関係性がないので感情を持った交流が生まれない。

そこにいても常に孤独。

無意識の縛りの中でこういった環境で自分は過ごしていました。

そして自分と向き合うまで、求めてはいけないと思っている事にも気づかなかったですし、孤独であるとも思っていませんでした。

が客観的に見えた時に、なるほど確かにと納得できた記憶があります。


長く人と関係性を続けられない時

もしかしたら、あなたの中に

それを望んではいけない

という事を無意識下で思っているのかもしれません。


という事を、自分の感じた経験をもとにシェアさせていただきました。


この記事が読んでいるあなたに、何らかしらの気づきやヒントが得られるきっかけになったら嬉しく思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

kdy

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