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脱サラ研修講師が語る 独立開業のリアル

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誰もが自由に起業できる今だからこそ伝えたい、独立・起業のリアル! 起業してからの厳しい個人としての生活の実態、厳しい資金繰り、クライアントとのトラブル、人間関係で救われた話など…
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#仕事

他人のせいにしたら自営業は終わり【46】脱サラ研修講師が語る 独立開業のリアル 綱を信じて、バンジージャンプ!

 他人のせいにしたら自営業は終わり  自営業者になってつくづく思うことは、「経営者は他人のせいにした時点で終わり」ということです。景気が悪い。国が悪い、政府のせいだと言ったところで、当座の金は自分が工面して回さないといけません。貸してくれない銀行が悪いと言う奴はアホです。貸してくれる経営者になる努力を怠った自分のせいなのです。 サラリーマン時代は、仲間と赤提灯行って、「○○が悪い」「△△△のせいだ」とブーブー言っていた自分とは様変わりです。サラリーマン時代は、なんだかんだ

決して一喜一憂しないこと【45】脱サラ研修講師が語る 独立開業のリアル 綱を信じて、バンジージャンプ!

決して一喜一憂しないこと 晴れもあれば雨もある。雨ばかりでもない。  2010年4月に、大阪市内の事務所を兵庫県宝塚市の自宅に統合しました。大阪市内の事務所は賃貸に出して家賃収入を得られるようになって、経営上もかなりの身軽になりました。なんとかその年を越えて、迎えた2011年3月に東日本大震災が起こります。 あの日、私は千葉の船橋にいました。出向いていた研修センターから避難して、屋外で待機していましたが、高層ビルがあんなに揺れるのをはじめて見ました。最初は様子も分からず、

華美な事務所はいらないと思い知る【44】脱サラ研修講師が語る 独立開業のリアル 綱を信じて、バンジージャンプ!

 華美な事務所はいらないと思い知る  2009年12月。悪化の一途を辿る経営の状況にさらされながら、私は一つの決断をしました。それは、大阪市内の自宅と兵庫県宝塚市のアトリエ(事務所)を一つに統合することでした。大阪市内の自宅は空にして賃貸住宅として借家にします。ちなみに、この時点でも二軒とも住宅ローン返済中です。もうダブルの負担には耐えられないと観念しました。  引っ越しは2010年の3月に敢行しました。作業はできるだけ自分たちでできることをやるという方針で行ないました。

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銀行とのお付き合いを軽んじていた報い【43】脱サラ研修講師が語る 独立開業のリアル 綱を信じて、バンジージャンプ!

 銀行とのお付き合いを軽んじていた報い  経営危機に陥り、資金繰りに詰まった時。そういう時は、メインバンクに相談です。ところが、当社にはそういう銀行はありませんでした。急に相談に行っても貸してくれるものではありません。それを「冷たい」と思うなかれ。立場を替えてみれば、それは致し方ないところです。 どこの誰だか分からない人に貸したその金は戻ってくるかは疑わしい。そりゃ、担保はないか、保証人はいないかと要求します。それに対して、当方は担保もないし、保証人も立てられません。いく

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生命保険は最初の堤防【42】脱サラ研修講師が語る 独立開業のリアル 綱を信じて、バンジージャンプ!

 生命保険は自営業者の最初の堤防  金が入らなくなって困った自営業者が、手っ取り早く取る金策の手段は生命保険の解約です。これで戻る金額で足りなければ我が身を換金してという恐ろしいコースになりかねません。自営業の恐怖ワールドあるある話の中では、「腎臓を1個売る」というのもあります。とある自営業者の方に、借金の取り立ての際に「お前、まだ腎臓2個あるじゃないか」と言われたという話を聞いたことがあります。恐ろしい話です。 私の場合は、幸いそこまでの事態にまではいかなかったのですが

大型投資のあとのリーマンショック危機【40】脱サラ研修講師が語る 独立開業のリアル 綱を信じて、バンジージャンプ!

 大型投資のあとのリーマンショック キャッシュ吐き出しのあとの悲劇  「創業は易し。守成は難し」という言葉があります。  この言葉の意味が昔はよく分かりませんでした。正直、「何ゆうてんねん。創業は大変だし、そのあと続けるのが大変なのは分かり切ってるやんか」くらいに思っていました。ただ、これは頭で表面的なことを分かったふりをしているレベル。これが遥かに難しいということが分かるようなるには、まだまだ経験の足らない私でした。  2001年創業期の苦境を脱すると、一生懸命やり遂

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第4章スタート脱サラ研修講師の危機突破法 創業期の目論見外れ【39】脱サラ研修講師が語る 独立開業のリアル 綱を信じて、バンジージャンプ!

 第4章 脱サラ研修講師の危機突破法  あの時、あの人に出会っていなかったら、あの仕事がなかったら今はない。そういった記憶の中で、もっとも鮮烈なものは、2回あった廃業危機のこと。もうトラウマになっているぐらいです(苦笑)。 3回目に出くわなさないように、今も心の底ではびくびくしながら生きている面があります。そのためには、過去からしっかりと学んでおくべきだと頭では分かっていますが、性懲りもなくというのは人間の専売特許。さてさて、これからどうなりますやら。2020年になって、新

有名教育団体との出会い【35】脱サラ研修講師が語る 独立開業のリアル 綱を信じて、バンジージャンプ

 独立ひよっこ助け合い運動で、有名教育団体とご縁を結べる  2002年11月にコンサルの年間契約を結ぶことができた私でしたが、これはいわば帯番組のレギュラーみたいなもの。研修の依頼というのは、スポット契約です。必要に応じてのその都度の受注です。こちらは、不安定なことこの上なしでした。コンサル契約が取れたからといっても、これ一本で食べていけるレベルのものでもありません。仮にバカでかいコンサル契約を1本とれたからといって、これだけに頼り切ってしまうのは極めて危険です。クライアン

人事コンサルの基礎はサラリーマン時代に【34】脱サラ研修講師が語る 独立開業のリアル 綱を信じて、バンジージャンプ!

 人事コンサルタントの基礎をサラリーマン時代の終わりにつくれた幸運  2002年5月。思い切って、行政書士試験講座の講師を別の方に引き継ぎ、「行政書士カドワキ竜一」は休眠状態としました。これはのちに、大阪府行政書士会の脱会へとつながります。私はバッチを外しました。プロの研修講師、人事コンサルタントして、ノンバッチで生きていく覚悟を固めたのです。 2002年4月に開設した学習塾「活き活き基礎塾」はその後、塾生が増えていくこととなり、翌年、使っていなかった1階の車庫を教室に改

長期コンサル契約でしばしの市民権を【33】脱サラ研修講師が語る 独立開業のリアル 綱を信じて、バンジージャンプ!

 長期コンサル契約でしばしの市民権を得る  あきないえーどのコンサル出前一丁サービスで、「人事制度のスタートパック」なるものを提供していた私は、大阪市内のとある福祉サービスを提供しているウェストサクセスという会社から、コンサル派遣の要請を受けました。  この出前サービスですが、あきないえーどのねらいはあくまでも初動の支援でした。回数限定の限られたコンサルティング内容で、テーマとなっている経営課題のすべてを解決できるほど現実は甘くはありません。そこで、既定の回数を実施して、

荒れる研修会場で鍛えられ(後編)【29】脱サラ研修講師が語る 独立開業のリアル 綱を信じて、バンジージャンプ!

 荒れる研修会場で鍛えられ 営業同行研修~修練の道(後編)  この営業研修はその後、新しいスタイルのシリーズとして再スタートしました。教室を出て、受講者の方々とターゲット地域を歩き回りながら、この通信会社の提供する回線(ADSL)を販売するというもの。 私も講師陣の一翼を担わせてもらえることになりました。しかしこの研修は苦労の連続でした。教室内において仮想のロールプレイを行うのではなく、営業の切ったはったを実際にやるわけです。一般のお客様から思わず凹んでしまうような厳しい

荒れる研修会場で鍛えられ(前編)【28】脱サラ研修講師は語る 独立開業のリアル 綱を信じて、バンジージャンプ!

 荒れる研修会場で鍛えられ 営業同行研修~修練の道(前編)  ねらったタイミングというのではまったくありません。ホントにたまたまだったのです。5月に私が6日間仕事をしに行けた大手通信会社では、にわかに初心者向けの営業研修のニーズが湧き起こっていたのです。  さて、サブ講師で行ったその翌週、私のピンとしてのデビューがやってきました。先月行かせてもらった新入社員研修だけでは、とても食っては行けません。新入社員研修は基本的に、4月だけなのです。他のテーマでも講師ができるようにな

学ぶは真似るところから【27】脱サラ研修講師が語る 独立開業のリアル 綱を信じて、バンジージャンプ!

 見よう見真似で、お金をもらいながら形をつくる  2002年4月に天の助けか、クアトロ社からの新入社員研修で、はじめてまとまった売り上げを上げた私でした。幸運はさらに続きます。その前年の秋に坂口さんに引き合わせてもらっていた研修会社マネジメントフォワード社から研修登壇の依頼が来たのです。それは予期しない電話でやって来ました。  「研修のお願いなのですが、5月の7・8・9日の3日間、空いてますでしょうか」  その時の私は、外出先だったので、慌てて、手帳を見る暇もなく「あっ、は

プログラムのつくり方が分からないプロ講師!?【26】脱サラ研修講師が語る 独立開業のリアル 綱を信じて、バンジージャンプ!

 プログラムもテキストもつくり方が分からない  起業をする際に準備万端整えて飛び出す人ってどれぐらいいるのでしょうか?私の場合、清々しいくらいの準備不足。「やりたい!」という思いだけで飛び出したようなものでした。 独立開業して、半年間程は「何をいくらで提供する」これを明確には言えなかったのです。信じられないことなのですが、プロの研修講師を名乗っていても、どういう研修ができるかが語れないのです。そのくせ、「なんでもやらせてもらいます」と言っていました。今から思えば、とんでも