少倫疑天

自分はキャメレオンであり、マソヒストであり、なんでありかんである。なんかんてんところて…

少倫疑天

自分はキャメレオンであり、マソヒストであり、なんでありかんである。なんかんてんところてんである。低人教徒であることは間違いない。時には師の頭を撲ったりする。これは不可思議な宗教なのである。

マガジン

  • 辻潤書籍の月報

    『辻潤集』『辻潤著作集』『辻潤全集』付録の月報

  • 辻潤と萩原朔太郎

    辻潤と萩原朔太郎の交錯点

  • 辻潤のひびき

    かつて存在した「辻潤のひびき」とは。 et.vi.of nothing氏による辻潤の研究サイトである。

  • にひる・にる・あどみらり

    第一次『虚無思想研究』に掲載された辻潤の文章について

最近の記事

生きていたんだよな

15年前、某所に書いた「鎮魂歌」 2003年05月23日。昆明の雲南大学に留学していた時のこと。 当時の中国はSARS問題で騒がれていた。この日、久しぶりにメールをチェックしてみる。友人から一通のメールが届いていた。送信日は05月21日。本来、私信の公開は慎むべきだが今回はおおめにみてもらおう。 -------------------------------------------------------- 佐々木嬢の件、ご存じですか? 深夜まで仕事の日々が数ヶ月続きま

    • 孔雀の話とイニシャルトーク

      入力作業に疲れた。ちょっと軽い話を。 ■笑い話その1:孔雀の話 (『辻潤著作集2 癡人の独語』「ものろぎや・そりてえる」より)  孔雀の夢で思い出したが、いつそや上野の池の端になんとか博覧会のあった時、Y社の催しで、博覧会の屋根の上から孔雀を飛ばせたことがあった。誰の思いつきかは知らないが、僕はそれを読んだ時にその考案者は多分なロマンチストに相違ないと、ひどく興味を持って当日上野に出かけてみようかとさえ考えた。  ところで――人よせの景気づけに孔雀を単に屋根から飛ばせると

      • 癡人の独語

        親記事>『辻潤著作集2』の入力作業と覚え書き ―――――――――――――――――――――――――――――――――― いずこに憩わんや?   ――或は『癡人の独語』の序に代う――  われわれが生きている間は太陽や空気や、「宇宙線?」の影響を免がれないと同時にさまざまなバイ菌の影響から兔がれることも出来ないのである。聴きたいと思わない時でも無遠慮にラジオはさまざまな音響を放送して来る。われわれも亦ひどく饒舌である。「文学」は畢竟、饒舌の異名に過ぎない。溪聲山色長廣舌という有名

        • 『辻潤著作集2』の入力作業と覚え書き

          <書籍『癡人の独語』> ■1935年08月『癡人の独語』書物展望社  →特製版(限定100部、3円)/ 普通版(限定600部、2円) □1970年01月『辻潤著作集2 癡人の独語』オリオン出版社 □1976年07月『辻潤著作集2 癡人の独語』R出版  → 同一内容(社名変更、2版発行、月報ナシ) □1978年10月『辻潤選集』五月書房/玉川信明編  → 掲載順をカテゴリー別に変更、群題「錯覚した小宇宙」等は全て除去  → 群題「れみにせんちゃ」以下を割愛 □1982年08月『

        生きていたんだよな

        マガジン

        • 辻潤書籍の月報
          20本
        • 辻潤と萩原朔太郎
          5本
        • 辻潤のひびき
          17本
        • にひる・にる・あどみらり
          3本

        記事

          辻潤全集月報9

          親記事>『辻潤全集』月報の入力作業と覚え書き ――――――――――――――――――――――――――――――――――辻潤全集別巻 月報9 1982年11月 五月書房 小島キヨヘ 辻潤  手紙拝見。  自分はこんな風に思っているといってみたところで、それを他人が信じなければそれまでの話だ。またハッキリとそれを他人に押しつけることも出来はしまい。だから――僕はいつでも自己弁解という奴のつくづく無意味なのに呆れているのだ。  君が「ふくむところ」があると思うなら思うがよろしい。

          辻潤全集月報9

          辻潤全集月報8

          親記事>『辻潤全集』月報の入力作業と覚え書き ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 辻潤全集第8巻 月報8 1982年11月 五月書房 思い出(八) 松尾季子  ずっと前に「俺は自分が行きたい時は一人でさっさと行く、君なんかおいて」と話された事がおりましたが、その言葉通りさようならともいわずに、その気振りも悟られぬように、私が静かに待っているように、落ち付いたら知らせるとの最後の葉書をくれたまま消えたように他界してしまわれました。辻さんは

          辻潤全集月報8

          辻潤全集月報7

          親記事>『辻潤全集』月報の入力作業と覚え書き ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 辻潤全集第4巻 月報7 1982年10月 五月書房 思い出(七) 松尾季子  不用意に部屋に入ってギョッとすることもありました。 一歩外に出て酒が入ると歌を歌って騒いだり友人知人の誰彼に毒舌を吐いたりであったらしいのです。歌といっても古今東西の歌といってよいでしょう、ある時矢橋丈吉氏の奥さんが「あきれたわ、辻さんたらよくまああんなにおぼえられたこと」とあき

          辻潤全集月報7

          辻潤全集月報6

          親記事>『辻潤全集』月報の入力作業と覚え書き ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 辻潤全集第7巻 月報6 1982年9月 五月書房 思い出(六) 松尾季子  ある朝お祖母様が私を「ちょっと」とお蒲団のそばに呼んで、御自分は敷蒲団の上に正座して話されますには、「昨夜夢を見ました。それは潤を子供の頃可愛がっておられたお祖母さん(多分光女のお母さんのことらしいのです)が夢に現れていわれるのに、光や、ちょっと起きなさい。お話かおるから……といわ

          辻潤全集月報6

          辻潤全集月報5

          親記事>『辻潤全集』月報の入力作業と覚え書き ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 辻潤全集第3巻 月報5 1982年8月 五月書房 思い出(五) 松尾季子  彼は晩年私に「自分は自己愚弄の天才だ」といっておりましたが、人間の苦しみの深さを自分の心身でためしてみた人でございました。それを音譜でなく文章で表現したのが彼の特異な文学であろうと思います。彼の文章を私が一番初めに読んだのは女学校の一年生頃で十三歳位だったと思います。大震災の後に書

          辻潤全集月報5

          辻潤全集月報4

          親記事>『辻潤全集』月報の入力作業と覚え書き ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 辻潤全集第6巻 月報4 1982年7月 五月書房 思い出(四) 松尾季子  私は最初「ふもれすく」を読んだ時にどうあがいても助からぬ地獄の底から助けを求めている声をきいたように感じました。やはり彼は何とも気の毒な悪因縁を背負った人でございました。その著書に興味を持つということは同じような因縁を背負っているからだろうと思います。彼の本は何となく秘密性を持って

          辻潤全集月報4

          辻潤全集月報3

          親記事>『辻潤全集』月報の入力作業と覚え書き ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 辻潤全集第2巻 月報3 1982年6月 五月書房 思い出(三) 松尾季子  寝相といえば一番美しいのはお釈迦様の死を表現した涅槃像でございますね。北枕にして軽く西に向かって右手を枕に、左手は胴にそって自然にのばし、両足はゆっくりのばしておられます。少し西向きなのは心臓が身体の圧迫を受けない様にとの配慮だそうで、これが人間の自然な寝姿だと誰かに教えられたこと

          辻潤全集月報3

          辻潤全集月報2

          親記事>『辻潤全集』月報の入力作業と覚え書き ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 辻潤全集第5巻 月報2 1982年5月 五月書房 思い出(二) 松尾季子  人間が飢えた時まず犠牲にされるのは血族以外の者であって、それまでどんなに忠実であったろうと血族でない者がまず犠牲にされたそうで、一つの血が存続するために異質の血が犠牲に供せられる、これは現世の掟なのでございましょう。嫁いじめなども精神的カニバリズムの一表現ではないでしょうか。経済的

          辻潤全集月報2

          辻潤全集月報1

          親記事>『辻潤全集』月報の入力作業と覚え書き ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 辻潤全集第1巻 月報1 1982年4月 東京都千代田区猿楽町2-6-5 五月書房 思い出(一) 松尾季子  彼は戦争と云う暴風の中で一夜のうちに人知れずこの世から消え去ってしまいました。  人生と云う行路の行きずりに私がふと眺めた池の汚泥の中に、一本の蓮華が咲いて居ました。数年の歳月が経ってから私は手をさしのべましたが、岸がずるずると崩れて足をとられ、私は

          辻潤全集月報1

          『辻潤全集』月報の入力作業と覚え書き

          <関連する辻潤書籍> 1982年『辻潤全集』を五月書房より刊行。月報は各巻の付録。 『辻潤全集第1巻』著作1 浮浪漫語他 (1982年04月15日発行) 『辻潤全集第2巻』著作2 絶望の書他 (1982年06月15日発行) 『辻潤全集第3巻』著作3 癡人の独語他 (1982年08月15日発行) 『辻潤全集第4巻』著作4 脱線語 勉めよ春夫!他(1982年10月10日発行) 『辻潤全集第5巻』翻訳1 天才論 (1982年05月15日発行) 『辻潤全集第6巻』翻訳2 自我経 (1

          『辻潤全集』月報の入力作業と覚え書き

          辻潤著作集月報6

          親記事>『辻潤著作集』月報の入力作業と覚え書き ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 辻潤著作集 月報6 昭和45年10月 オリオン出版社 東京都中央区銀座8丁目19番地3号・和泉ビル 辻さんと私 花園宥運  大戦末期の昭和十九年十一月廿四日、辻さんが下落合の下宿屋で誰にも相手にされず全くの世捨人として、虱に食われて世を去ってからすでに廿有余年、あれだけ著名だったのに現在では彼と直接に面接のあった人々が少なくなりそのためか著作集の月報に拙

          辻潤著作集月報6

          辻潤著作集月報5

          親記事>『辻潤著作集』月報の入力作業と覚え書き ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 辻潤著作集 月報5 昭和45年7月 オリオン出版社 東京都中央区銀座8丁目19番地3号・和泉ビル 辻潤渡仏記念号 秋山清  畠山清身・清行兄弟と和田信儀らでやっていた『悪い仲間』の第四号には「虚無思想改題・文明批評併合」の文字がはいっている。そしてその次号の『悪い仲間』(昭和三年二月号)が「辻潤渡仏送別記念号」である。とはいっても至って簡素、語るに足るほ

          辻潤著作集月報5