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辻潤全集月報9

親記事>『辻潤全集』月報の入力作業と覚え書き
――――――――――――――――――――――――――――――――――辻潤全集別巻
月報9 1982年11月

五月書房

小島キヨヘ
辻潤

 手紙拝見。
 自分はこんな風に思っているといってみたところで、それを他人が信じなければそれまでの話だ。またハッキリとそれを他人に押しつけることも出来はしまい。だから――僕はいつでも自己弁解という奴のつくづく無意味なのに呆れているのだ。
 君が「ふくむところ」があると思うなら思うがよろしい。そんなことはないといったところで始まらんよ。僕に詫びるところがあると思うなら、他人に一々相談などせずにひとりでかってにやったらどうかね――夫の救いの一言でそれをする必要もないとかんじる程なら、別段改めて僕に詫びる理由もないのじゃあるまいか? 僕は君からわびられるなんにもかんじてもいないし、わびろといったこともないはずだ。
 人間の気持ちというものは天気のようなものだから――そういつも同じようにモン切り型に、今日は雨だから明日は必ず晴れるというわけにもゆかんよ。そうして複雑な人間程そいつがよけいめんどうにこんがらかって、かんたんにはゆかぬものだ。
 己れのところにやってくる人間共はみんな各自かってに、自分で「辻潤」のイリュージョンをこしらえておいて、それにアテはまらぬと色々不平をいったり、ケチをつけたり、幻滅したりするにはまったく僕も降参する。買い被られることはまったく迷惑子万だ。
 君の忠告はありかたく頂戴するが御心配はム用だ――酒クセは益々よくなるばかり、酔えば近頃は「事々物々」――ユカイになり、まったく馬鹿くさい程おかしくなる――もっともこれもいつまで続くかわからんよ。たえず移
り変わるのが人間でもあれど、世の中でもある。
 君はまだ若いから中々のアイディヤリストらしいが、「文学」で飯を食うことをあきらめたのはなによりも結構だ。僕もとっくにあきらめているのだが、他に能がないので仕方なしにくっついているばかりだ。
 僕は自分一人さえも「文学」で生活できるという自信はない。ジャアナリストになりたいがなれんのだよ――なれるなら、とうの昔になっている。
 だから、これまでだって僕のは「生活」ではなく、なんといっていいかわがらぬ「生き方」をしてきた。
 人間は「定収入」のない場合に「生活」は不可能だよ。したがって「女」と生活する資格などさらにない。おれがたとえだ――たとえば君としばらく一緒にいたような、あんなのは「生活」とはいわれない。だから、いつでもたまたま木賃宿で落ち合った男女が便宜上しばらく一緒に暮らしたというまでの話だ。
 だが、君にしても普通の家庭生活をする資格を備えているとはまさか思ってもいまいし、そんなことは充分にわかっているはずだ。しかし、今のような世の中で一体何処にそんな立派な、理想的「生活」かおるだろうか、考えてみたまえ。
 僕は自分達の「くらし」方を勿論上等だとは思わんが、世間の連中のやっているのと較べると遥かにコッチの方が賢明だと考えるよ。他人の不幸はかんじるが、僕は自分ではあまり不幸とかんじてはいない。――しかし、僕は決して自分の生活をしているとは思っていない。「おふくろ」の生きているうちは彼女の生活をも生きなければならないのだから――これは少なからず僕にとってメイワクな話だ。
 君がまだ母や秋生のために助手にきてくれることはありかたいことだ――少なくとも僕のおふくろは喜んで君を迎えるに相違ない。気心の知れん「小女」をおくよりは勿論よかろう。しかし、二度と絶対にかえらんなどと豪語した君の「おろかさ」を取り消してもらいたいと思う。
 ユキ子はかなりわるいらしいが――近々死ぬようなこともなかろと思う――ハシモトはそれ程わるいとも思えない。
 しかし、当人達はひそかに「死」を覚悟しているらしいが――。
 人の世話をすることは金でもあればやるという程度、その上にどうすることも出来はしない。況んや他人の「生命」を左右することなどは論外だ。
 つまらぬセンチメンタリズムや馬鹿気だアイディアリズムのなくならんかぎり、人間はこのままではとうてい救われんよ。
   仕事上の弁明
   親友、朔太郎の最近の著書より
    反芻獣
 青草の上にねて、静かに楽しげに、牛はその食物を反芻している。かく我々孤独者等がいつも瞑想の芝生の上で、長閑かな食欲を楽しんでいる。食うことの悦びではなく、既に胃袋の中にあるところの物をふたたび反芻して舌に味わい、日向の暖かい牧場の隅で、長く懶惰に味わうのである。
    浅間山に登りて
 或る芸術家等の生活は間歇な山にもたとえられる。彼らは長い時日の間死んだように眠っており、何事にもキヨミがなく、退屈の欠伸を噛み続けている。しかしながら或る朝不意にまた情熱が炎えるのであろう。それから一時に爆発して、なお暫時の間だけ溶岩の美しい火花を噴き続ける。
    偉大なる要素
 ……あらゆる他の場合に於て、天才の一般的範疇は、単純なる道徳的潔癖性を決して持たないということである。より偉大な精神にとってみれば、それが融通の利かない小規範で、一つの「狭量なもの」にすぎないから、宗教に於てさえも、聖者はケッペキにすぎる徳行を悦ばない。かれ等は漠然としており、どこかに不徳を包括する雅量を持っている。
   太々しさの本源
 物臭さからも、人はしばしば傲慢と誤まられる。たとえば義理や、挨拶や、返礼などを欠くことから、しかしながら誤解ではなく、真に太々しく尊大な精神が物臭さの気質に性根づいているのである。

 辻潤によってこの返事を書かれる小島キヨは彼によって軽蔑されていないということを、証拠立てられているのだ。だからといってすぐさま自惚れるようなことがあってはならない。
 小遣いに困ったら一冊の「女人芸術」を携えて、アチコチの酒場の「リャク」にゆきたまえ。返事としての忠告。
                           十一月二十五日

手紙について
高木護

 この手紙は大正十一年に知り合った広島の十日市町の洋服屋の娘で、その翌年から一緒にくらしはじめた小島キヨ(のち再婚して玉生清)さん宛のものです。日付けは十一月二十五日となっていますが、年は不明です。しかし、文面から察しますと、別れる直後の縁切り状みたいなもののようです。八年間同棲して、昭和四年に別れているので、そのころのものではないかと思われます。別れたものの、キヨさんが押しかけてきたり、二・三日同衾したりして、ズルズルのところがあったようです。辻潤とキヨさんとのあいだに一人子供がうまれています。手紙に朔太郎の作品を引用してあるのもおもしろいです。キヨさんはなかなかの文学少女らしかったらしく、辻潤と別れるころは文筆で立ちたいと考えられていたようです。キヨさんにお逢いしたおりに、そのことを聞きましたら、「彼の顔もあって二・三原稿が売れたよ。でもね、米塩の足しにもならなかったよ」とのこと。「ウワバキのおキヨ」という渾名があり、辻潤以上の呑ん平だと耳にしていましたので、「酒代の足しにも、でしょう」といったら、「米塩よりも、酒代のほが高いよ」といい返されました。キヨさんの話によると、彼は自分にきびしく、自分自身に対してもプライドが高くて、女たちにはやさしいところもあったけど、アル中状態のときは淫乱でね、とのこと。にこにこ笑いながらの話でしたが、「淫乱」ということばから、「女と男との葛藤」といったことを思い浮かべました。むすびに「辻潤によってこの返事を書かれる小島キヨは彼によって軽蔑されていないということを、証拠立てられているのだ」とありますが、これなどはいかにも辻潤らしいところではないでしょうか、彼の手紙のいくつかを別巻に入れたかったのですが、頁数などの都合もあって、割愛しなければならなくなりました。彼はハガキー枚書くにも、何か一つ作品を書くくらいの苦労だよといっています。そんなものですから、いずれ「書簡集」として一冊にまとめたいと思っています。まずは完結しました「辻潤全集」(別巻入れて九冊本)をぜひ読んで下さい。――――――――――――――――――――――――――――――――――
 ○本紙連載の松尾季子さんの「思い出」は生きた姿の辻潤が生々しく描かれていて大変好評でしたので、いずれ自叙伝一冊にまとめてもらおうと企画中です。御期待下さい。――――――――――――――――――――――――――――――――――

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