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孔雀の話とイニシャルトーク

入力作業に疲れた。ちょっと軽い話を。

■笑い話その1:孔雀の話

『辻潤著作集2 癡人の独語』「ものろぎや・そりてえる」より
 孔雀の夢で思い出したが、いつそや上野の池の端になんとか博覧会のあった時、Y社の催しで、博覧会の屋根の上から孔雀を飛ばせたことがあった。誰の思いつきかは知らないが、僕はそれを読んだ時にその考案者は多分なロマンチストに相違ないと、ひどく興味を持って当日上野に出かけてみようかとさえ考えた。
 ところで――人よせの景気づけに孔雀を単に屋根から飛ばせるというのならよかったのかも知れないが、孔雀には懸賞という――孔雀にとってはまったく致命的な――プレミアムがつけられていた。
 孔雀は飛ばなかったばかりではなく、会場の群集の中へ――脆くもころげ落ちた。慾に目の眩んでいる群集は忽ち孔雀の争奪戦を始めた。瞬くひまに孔雀は首をもがれ、羽をひき抜かれ、脚をもぎとられ、――殆んど形体のなくなるまで寸断々々に虐殺された。さて、――懸賞は誰の手に渡ったか、渡らなかったか知らないが、僕はその記事を読んだ時程、腹のたったことはなかった――世に大衆と称する手合いが多分孔雀をねらって群がり集まっていたのであろう。――行かなくっていいことをした。恐らく発案者もこの有様をみて孔雀のために歎き悲しんだにちがいない。
 巴里の客舎で、つれづれなるままに孔雀の夢を懐かしんだり、残酷無智な大衆と称するやからを憎悪したり、奈良の仏や伎楽の面を思い出したり、隣室にいるヒステリイの独身の婆さんのひとりごとに悩まされたり、無想庵の手紙を待ちわびたり、ノルに手紙を書いたりした。

辻は腹を立てているが、思わず笑ってしまった。
蒼天を飛翔する孔雀。ロマンである。だが飛び去った孔雀をどのように回収すればいいのか。他者に捕獲され横領される心配はないのか。主催者はそこを心配し、その担保としてかけた懸賞だったのであろう。きっと。
しかし、孔雀は飛ばなかった。群衆の中に転げ落ちた。懸賞が仇となり、群衆の間で繰り広げられる争奪戦。孔雀はもみくちゃにされ引き裂かれたのだった。
 孔雀は主催者の元に返されたのかもしれないが、主催者の想定したのとは違う姿に変わり果てていた。切なくはかない話なのかもしれない。だが残酷無智な大衆の一人として、率直な感想を言いたい。笑い話ですよね、これ?

■笑い話その2:イニシャルトーク
辻潤の文章には、実名で登場する者とイニシャルで登場する者がいる。著名人や名前を売るべき者は実名で書き、プライバシーを守るべき者はイニシャルで書いているのか。近しき者は実名で書き、そうでない者はイニシャルで書いているのか。その基準は定かではない。ちょっと引用してみよう。

『辻潤著作集2 癡人の独語』「いずこに憩わんや?」、序文に相当)
 版元のS氏は僕のことをなにか「聖者」の出来損ねみたいに吹聴してくれるのであるが、それはまったく贔屓の引き倒しというものでまことに微苦笑ものである。尤も「聖者」も見方によれば一種の「変質者」であり、「狂人」でもある。私の場合に於てはもはや改めて説明の必要もない程正札付きなのである。
(『辻潤著作集2 癡人の独語』「陀仙辻潤君」、跋文に相当)
陀仙辻潤君
斎藤昌三
 いつ、どうした機会から知り合ったか判らぬ友人で、親しく往復したり文通する仲になった友はかなりある。それらの数多い友人の中で、超人的な一種の聖人にもちかい、自然に悟道に徼していると思われる者が二人ある。一人は秋田雨雀老であり、一人は陀仙辻潤君で、二人共物慾に超然として居り、名誉慾など淡として薬にしたくもない。

版元のS氏が斎藤昌三氏。イニシャルにする必要があるのかコレ?
序文で著者は気遣いから名前を伏せてイニシャルを使用し、同じ本の跋文で編集者はそんなこと全く気にせず堂々と実名を公開している。そのすれ違っている様子がちょっと面白い。
斎藤昌三は雑誌『書物展望』の名編集者と言われる人。知る人ぞ知る著名人。余談だが、あの荒川畔村も關根康喜の筆名で『書物展望』に寄稿していたりする。

■真面目な話:イニシャルトーク

『辻潤著作集2 癡人の独語』「ものろぎや・そりてえる」より
 すると向こうから見なれない日本人が二人やってきた――ひとりは毛髪を逆箒木のように縮らしているのがすぐに眼についた。もう一人は無髯の一見不景気な顔をした男だった。すれちがいざまに相互の視線が交流したが、無髯の男は、
 ――ヤ、君はツジクンじゃないか?――と、如何にも馴れなれしげに呼びかけるのだ。しかし、僕には彼が誰だかをサッソクに思い出すことは出来なかった。
 ――忘れたのか――君の来ているということはきいていたので一度尋ねたいと思っていたのだ――大阪のYだよ、
 ――ああ、そうだったのか?――と、やっと朦ろ気な記憶をたどって、彼が巴里で客死した画家の住田の友達ということがようやくわかった。しかし、彼が巴里へ来ているということはまったく知らなかったのだ。
 ――今日は少し忙しいから、いずれゆッくり遇うことにしよう――これは雑誌をやっているM君だ――そういって、逆箒木氏を彼は紹介した。
 ――ああM君ですか――実はN社のIからあなた宛の紹介状をもらって来ているのですが、つい無精をして今迄御たずね出来なかったのです――
 ――I君からも手紙をもらっています――では、いずれゆっくり――かれ等は忙しそうに反対の方へ歩み去った。

パリで客死した画家は住田良三。
その他はイニシャルで意味不明な文章。
M君:松尾邦之助
N社:東京日日新聞社
I:井沢弘
と見ているが、どうなのだろうか。そして肝腎のYとは?
Y:吉田保(松尾邦之助の雇う植字工)か?

わからない。
来年、もう一度ここを見返してみよう。

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