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文化人類学は捉えなおしてみる行為

デザイナーのはーちゃんです。
長らく更新が滞っておりましたが、更新します。
下書きはパンパン。書きたいと思うテーマだけメモして、そのまま。笑

さて、今年の下半期は文章能力を高めようと思い、その一歩をいま踏み出そうとしています。

最近ふらりと図書館に立ち寄って、人類学に関する本を2冊手にとってみました。

今回のテーマは「捉えなおしてみる」です。
文化人類学に触れる。
2冊とも固すぎない文体で、思いのほか読みやすかったです。
ある民族の風習や文化から人間の関係性の構築について深ぼったり、哲学者や人類学者の思考をなぞらえながら、社会・人との向き合い方や生きるためのヒントが自然と見えてくる、視界がひらけていくような感覚がありました。

こうやって考えなさい、とお作法的なことが書いてあるわけではないけれど、問いをみつめる・読むことによって気づきがえられる、そんな本でした。

「文化人類学の思考法」の冒頭「これを読み終えた時、あなたの見える世界が変わります」的な怪しいことが書いてあったけど、うん。たしかに視野が広がる。

構築人類学とは、越境行為のことだそうです。
ラベリング・カテゴライズされたもの、コト・ヒトの前提を疑い、冷静に立ち止まって俯瞰する。
枝分かれしたものの境目を越えて関係性を捉えなおし、さらに結び直す行為。
そして、昔の文化や先人たちの思考と現代の問題を比較して生きるヒントをもらう学問。

まるで、私が愛聴するTakram Radio 渡邉康太郎さんのコンテクストデザインとリンクするような営みですね。なんかデザインと関係してくる思考。

Takram Radioは Podcastなどで聴けます↓
https://spinear.com/original-podcasts/takram-radio/

2冊とも、フランスの社会学者モースの贈与論がたびたび登場します。
(恥ずかしながら本を読むまでモースさん、知りませんでした。)
北西アメリカの先住民のポトラッチという儀式を例に、贈与によって生じる義務や共感スイッチのON/OFF、うしろめたさという人間特有であろう感情について分析していて、かなり面白かったです。

カテゴライズすることで、本来近接している関係や大事なものを覆い隠してしまうことってあると思います。「働くこと」と「私」と「社会」の関係性を見つめなおすきっかけにもなりました。

デザインをするとき「あたりまえを疑い、捉えなおす」という行為は、要件を整理する場面で意識することが多々あります。
(人類学とデザインの思考って実はかなり近いのでは?という気づきは、かなり発見でした。)
人類学を学ぶことで人間の根本的な性質や感情のしくみを深く知ることができて、ひょっとしたらデザインの心理的なアプローチのヒントになるかもです。
デザイナーの方は一度読んでみる価値、あると思います。

カテゴライズや、自分には関係ない、そんな無関心がバランス感覚を麻痺させる。
市場や国家というシステムを私の行為が内側から支えている。
働くこと、は市場での労働力の交換だと説明される。
この当たり前の理解が、労働が社会への贈与にもなりうることを見えなくする。(会社への贈与ではない)

労働の送り手と受け手とのあいだをつなぎあわせることで、倫理性を帯びた共感を呼び覚ます回路が生まれる。

「うしろめたさの人類学」著 松村圭一郎

少し離れた場所では戦争が起こっている世の中。。
意思を持って考えて行動できる人間になりたい。
その意思を形づくるのは知識だと信じて、学び続けよう。。

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