学校の役割とは
前回から少し時間がたちましたが、その2を。
何を書こうかなと思っていたのですが、生い立ちを詳しく書く前に、
そもそも不登校の舞台たる学校の役割とは何なのか、今に至る経験をもとに考えてみたいと思います。
結論から言えば三つあると思っていて、それは
1、学力を身に付ける場
2、友人を作る場
3、社会的常識を身に付ける(感じとる)場
この三つです。
1と2は割と世間でも言われていて、かつ学校にいかなければならないと子供に親が主張する際の理由でもあるでしょう。
勉強しないといい就職ができないぞ、と。
しかし、僕は3が一番重要なファクターだと感じています。
つまり、いい就職なるものが出来たとしても、
その先続くか?
ということです。
不登校支援というのは結局のところ、社会に何らかの形で関わっていけるようにするということだと思っています。
そして、そのためには1と2より3が大切だと社会人になってから強く感じるわけです。なにせ私自身が3が欠けている人間だからです()。
正直言って、親も先生も、学校に子供が戻れれば万事解決、大学に進学できれば解決、そう思っている節はありませんか?
僕はそう感じていました。
しかし、解決しないことが多いんではないですかね。
学校へ行くのも、大学へ行くのも結局は通過点で、
社会の中で生きていくことがある種のゴールなわけです。
そして、社会の中では何らかの形で戦っていかないといけない。
いわゆる普通のサラリーマンになったとしても、公務員になったとしても、社会の中では理不尽や納得できないことが多数あります。その理不尽やらに耐えられるだけのメンタルの強さはある程度必要なものなのではないでしょうか。
果たしてそこまで考えて不登校支援ができているのでしょうか。支えるとはいったいどのような定義なのでしょうか。
いい大学、いい就職先と言われているルートを結局は通ったとしても(世間的に「戻った」としても)、3が不足しているがために折れるということは十分すぎるほどにあり得ると考えています(誰のことかな(棒))。そしてこれは期間が長くなるほど大きく影響してくると。
学校に行かなくても大人になって生きていくことはできますが、
その為の生き抜く力を養うことこそ不登校支援の本質
ではないかと思うわけです。
したがって、1や2だけに着目するのではなくて、3の要素にもしっかりとフォーカスを当てていくのが重要であり、学校のメリットのひとつなのだろうと今振りかえれば思います。
まあ、バイトやサークルその他色々な経験で代替は十分にできるので、学校でなければならないとは全く考えません。
しかし、
3の要素を学校は提供していて、学校の役割のひとつなのだ、という意識を持つことは大切なのではないでしょうか。
今日はこの辺にしておきます。