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幸せって何だろう?デンマークで幸せについて考えたら根本的な問いにいきついた

わたしがデンマークに行く前にデンマークについて知っていたことは、ヒュッゲと幸福度が高い幸せな国ということでした。

幸せな国。

良いですよね。
幸せになりたいですよね。

なぜデンマーク人は幸せなのでしょうか?

興味があったので、デンマークの学校の友人たちに聞いてまわりました。


友人へのインタビューの前に、ちょっとだけ真面目な話を。幸福度ランキングについて簡単にふれたいと思います。

ちなみに2023年の結果では、デンマーク2位、日本47位となっています。1位はフィンランドです。北欧が強いですね。

数字を言われちゃうとショックを受けます。
なんでだよと。
日本にいても幸せだよと。

なんでデンマークは順位が高いのか、この辺りを紐解いてみようと思います。

この幸福度は、6つの要素から計算されているらしいです。

  1. ひとり当たりのGDP

  2. 社会的支援

  3. 健康的生活

  4. 社会的自由

  5. 寛容さ

  6. 汚職のなさ

これらが幸せの要因らしいです。幸福度ランキングと聞いて「へ〜凄いな〜」と思っていたのが、ここまでくるとちょっと疑わしくなってきますね。そんなんで決まるのかと。

たとえば、わたしは「大切な人とワインを飲みながらお喋りしているとき」が幸せだけれど、それってこの中の要素に入ってくるのかな。ワインが飲めるゆとりはGDPと関連しているかもしれないけれど、誰かと繋がっている感覚は、社会的支援とは違うし、この中にはなさそうです。

幸せの要因というよりは、不幸せにならないための条件な気がします。

幸福度ランキングについては、幸せの要素を含めて詳しく書かれたレポートがあるので、気力のある方は読んでみてください。わたしは眺めて終わりました。

幸福度ランキングに疑問を持っちゃいましたが、デンマークが2位であり、日本が47位であるという事実は変わりません。なぜでしょうか?

先程のサイトにデータがあったので、デンマークと日本を抜き出して比べてみました。よいしょっと。

各要素のポイント比較(GDPはひとり当たりGDPです)

色々と差はあれど、大きな違いは「汚職の少なさ」のようです。
日本も問題はあれど国の情勢は安定しています。なぜだろう?疑問がとまらないのです。

気になったので、「汚職と腐敗」についてデンマーク人の友人たちに聞いてみる事にしました。
(ようやくです!)

「デンマークでの汚職と腐敗についてどう思う?」

の質問に対して、全ての学生が、

「デンマークではほとんどないよ。」

との回答でした。社会への信頼が高いっ!

もちろん少しは汚職もあるけれど、警察や政治に対して独立した別の機関あり、ちゃんとチェックされているから問題が少ないとの事でした。

あまり汚職のニュース自体がないそうです。

すごいよね。

インタビューの内容とは別ですが、わたしは、デンマーク人たちが政治に興味を持っていることも汚職を防いでいるのではと思います。学校では、彼らが議論している姿をよく見かけるし、憲法記念日には議員に対して学生が質問する時間もありました。

それにしても、こういう項目ってどうやって計算されているのだろう。GDPは明らかだし、健康については健康寿命で計算されています。社会的支援、寛容さなど数値にし辛いものもあります。やはりレポートを読むべきか…。


幸福度ランキングについては、ここまでにします。次は、もっと分かりやすい切り口で「幸せ」について質問してみました。

「幸せですか?」
「なにがあなたを幸せにしてくれますか?」

シンプルな質問を2つしました。
回答はもちろん「幸せです」とのこと。

もちろん大変なときもあるけれど、今は幸せだよ、と素直に答えてくれました。

幸せにしてくれるものについては、音楽、友人、デンマークの社会そのもの、など多岐にわたっていました。

ここで気になったのは、誰に聞いても、

「幸せです。」

と即答することです。


即答できますか?


わたしは「幸せですか?」と聞かれたら、少し考えちゃいます。

(えっ、幸せかどうか?考えたこともなかった。)
(やりたいことはできているしなあ。)
(あとはパートナーが欲しいけれど…。)
(総合的に見れば今は幸せかな。)

「幸せです。」

少しして自信がないように答えると思うんですよね。

デンマークの友人たちが考える幸せと、わたしの考える幸せは、なにが違うのでしょうか?

わたしの思考をもう一度追ってみると、わたしにとっての幸せって、「満たされているものと満たされていないものを比べて、満たされているものが優っている」ときに、幸せと考えているようです。それを考えるには少し時間が必要です。

つまり、幸せの定義が彼らと違うのではないかな。

というわけで、早速、彼らにとっての「幸せ」の定義を聞いてみました。

「幸せの定義?うーん、ただその瞬間に心地いいとじわ〜っと感じるものだよ。」
「幸せとは?足のつま先がキュッとなったときに幸せかな。」

彼らのいう幸せって、もっと瞬間的なものなんだなと分かります。
日本人的に解釈すると、寒い日にお風呂に入ったときに「じわ〜っ」として「はぁ〜っ」と声がでるじゃないですか、あんな感じなんじゃないかな。

そう考えてみると、幸せを感じる瞬間ってたくさんあります。もっというと、どんな瞬間も捉え方によっては幸せを感じられそうです。

道を歩いていてふと冷たい風が横切ったとき、道端に咲いている花の可愛らしさに気がついたとき。

どんなときも幸せを見つけることができそうです。


「木漏れ日」という言葉が日本語にしかないことを思い出しました。「木漏れ日」この言葉があることで、木々の間から差し込む光を認識することができ、温かな光によりいっそう愛おしさがまします。

デンマーク語にはヒュッゲ(デンマーク語で心地良いこと)という言葉があります。

友人たちや家族など気のおけない人たちと、楽しかったり穏やかな時間を共有する。そんなときにヒュッゲといいます。

きっとこの言葉があるから、すぐそこにある幸に気付けるのでしょう。


デンマークに行って幸せを学びました。
いえ、幸せを再発見したという方が正しいでしょうか。

すぐそこにあるものを、幸せであったと気づく。

幸せがなにを知らないと、気づくことすらできないのですから。



お読みいただき、ありがとうございます。
次に記事でお会いしましょう。

またねー!


ヒュッゲについてはこちらの記事から読めます

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