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世渡り上手な男と交流が下手な女

こんにちは。きたかぜコンロです。
今回は夫婦のエピソードを書こうとしたのですが、書き終えてみると、どうも雲行きが怪しくなりました。まだまだ文章力が不足しているようです。伸びしろですね。そこで、少し方向転換して「対人関係」についてお話しようと思います。夫との会話で気づいたこと、学んだこと、そして過去との対比。その一部を、記事を通してお伝えできれば、この上ない幸せです。

会社や学校、SNSの世界で孤立してしまうのはなぜか。わたしもいまだに、明確な答えをだせていません。でもあのとき感じられなかったこと、気づけなかったことが、今になってようやくクリアになったのは紛れもない事実です。手厳しいことをいいますと、「孤独」を選んでいるのは、実はあなた自身なのです。

コミュ力お化けになりたい人生だった

私の夫は世渡り上手です。鬼のようなコミュ力はありませんが、人とのファーストコンタクトにためらいがありません。SNSでもそうです。わたしが何年もかけて構築したネット民との絆を、たった数週間で、数十人の仲間と会話を楽しむくらいには。人生で初めて登録したSNSをいとも簡単に使いこなし、ボイスチャットまでやってのける始末。正直、とても羨ましかった。

一方、交流が下手な女とはわたしのことです。タイトルのネタバレはお控えください。

みるからに交流下手そうな文面で大変見苦しく、申し訳ないと思うのですが、少し聞いてください。わたしは人と話すのが好きな、交流下手なのです。でも好きなだけ。上手ではありません。

距離感を掴むのが恐ろしく下手

人と仲良くなれた瞬間を感じ取ったことはありませんか?敬語がなくなった、もしくはあだ名で呼ばれたこと、さまざまなきっかけがあると思います。それとは逆に、人が離れていった瞬間を味わったことも。
例えば、誤解を与えたり、怒らせたり、呆れられたり。例を挙げるとキリがありませんし、うっかり古傷がひらいてしまうと厄介なので、このへんでやめておきます。

今では「そんなこともあったね」と流せるほどには精神が安定していますが、当時は気が気でないくらい悩んでいました。昨日のことのように、鮮明によみがえる会社員の思い出。一時期、「発達障害では?」と考えたこともありました。しかし右にならえと言われれば左寄りの右を向くし、指示されたことには「めんどくせえな…」と思いつつも従うし、ひりつく空気をなんとなく読むことはできたので、違うかも、と判断しました。たぶん、ただの長い反抗期でしょう。悔しいです。

会ったこともない人からの誹謗中傷に脅えている

人がこわい理由はさまざまですが、いちばんこわいのは、見えない敵を24時間、無我夢中で探していることです。なんでやねん。今年30歳を迎えたアラサー、こじれすぎてどういった心理なのかわかりません。自分のことなのに、いまだによくわかっていません。昔いじめられた記憶や、SNSでのネトストやマウントを浴びた傷跡が残っているせいかもしれません。何者でもないわたしが、何者でもないあなたたちに影響を与えられたのは、とても名誉なことだとは思います。嘘。思うわけないだろ。反省しろ。

こういった「形の見えない」傷をつけたまんま歳を重ねた結果、メンタルがムキムキになってしまい、対人関係のトラブルや仕事も、それなりに乗り越えられました。ですから、何に怯え、恐れていいのか、だんだんわからなくなっていきました。

話すのは好き。だけど、接するのがこわい

人と接することが、こわくてたまらない。わたしを含め、そう思っている人は片手で数えられるほどしかいないかもしれない。それでもわたしは、こういった悩みを持つ人とお話がしたいし、繋がりたいと思っています。

交流が下手な人は、「自分から話しかけられない」「何を喋っていいかわからない」ならいっそのこと、接するのを諦めてしまおうといった考えに辿りつくのではないでしょうか。その根底に、自分が発信した言葉で「人を傷つけてしまったらどうしよう」「変な空気になったらどうしよう」と一生懸命に趣向を凝らした結果、傷つきたくないと塞ぎこみ、「孤独」を選んでしまうのです。

受け身でいたって何も始まらないのは、あなた自身がいちばん理解しているはずです。わたしの場合、転職したり突拍子もなく都会に遊びに行ったりする行動力はあるのに、人との交流だけは、金縛りにあったみたいに手足が動かなくなる、人と接するという思考自体を破棄してしまいます。

夫はわたしと正反対で、コミュニケーション能力が長けています。ただ、わたしと同じように人との距離感を掴むのが上手ではありません。以前、自分の過去を包み隠さず赤の他人に話したら、途端に生い立ちを馬鹿にされたり、まるで公開処刑のように人前でからかわれたりもしたと話してくれました。

言葉はときに、使い方を間違えるとれっきとした凶器になります。悪意のある言葉を振りかざすと、人は傷つきます。当人が気にしていなくても、周囲が騒がしくなります。そのうちの1~2割の人は、助けてくれるか、そっぽを向くか、気まぐれに手を差し伸べます。人の善意は、最後までどう転ぶかわかりませんから。余談ですが、夫はその1割に該当する人物に救済され、いまでも交流が続いています。

人は最初からあなたを傷つける対象として見ていない

ふと、夫にこんな質問をしました。「なんであなたは、すぐに人と仲良くなれるの?心が傷ついてしまうのなら、近づかないほうがいいじゃん」と。

夫はサラッと「出会ったばかりの人のことは、なにもわからない。わからないからこそ、最初から俺のことを傷つけない、良い人だと思って接している。むしろそういう風に思ったことがない」と言いました。

予期せぬ回答でした。まさしく斜め45℃の視点。ここが戦場だったら、確実に涙を流していました。この人は、前世でおなかいっぱいのステーキを食べたあとに、いのちが宿ったに違いありません。思わず反吐が出るような過酷な訓練を受けてもなお、こんなに真っすぐで純粋な心を育んできたのですから。
人に対して「恐れ」を感じているわたしにとっては、到底思いつかない発想でした。夫は人を、最初から「いい人」だと思って接していて、さらに「仲良くなろう」と自ら心のドアを開けて、受け入れていました。最終的に、自分が傷つく対象になる可能性があるとしても。

もしかしたら、これが世間でいう「ふつう」なのかもしれません。人がこわいなんて、アラサーにもなってまだそんなこといってるのか、社会経験が足りない、もっと大人になれとか。限りなくふつうに過ごしてるのに、わたしの許可なく、明日にでも四方八方から矢が飛んでくるかもしれない。それは、あまりにもむごたらしく、残酷な世界です。そんな世界に、あなたは住みたいと思いますか?

しかし世の中には不思議なことが起こります。俗にいう、ミラクルというものです。MP1しかない状態でも、勇気をだして話しかけると、9割の人はとても親切に接してくれます。嘘だと思いますよね。本当です。そして拍子抜けをするのです。そう思っていたのは自分だけだと。喜びもつかの間、悲しみは突然訪れます。スキップしながら辺りをうろついていると、残り1割の刺客にぷっすり刺されるときがあります。まるで「あまり調子に乗るなよ」と言わんばかりに。すると、いままで元気だった心がするすると萎んで、「人と接したくないモード」に切り替わってしまうのです。

もちろんすべての人が、悪意のある言葉であなたをなじったり、貶めたいと思っている人は、一定数にも満たないでしょう。そんな人がいたら、よっぽどの暇人か、今日食べたごはんが口に合わなかっただけです。

あなたを傷つけたいと思っている人は、あなたが気に入らない人だけ

それだけは確かで、認めざるを得ない事実です。人には相性があるので、全員に好かれようと思ってはいけません。疲れるので。仮にそんな人がいたらとっておきのひみつ道具で追放してやればいいし、近寄ってきてもスル―してあげるべきなのです。だってそれは、まだわたしを攻撃してもいいよってサインを送っているようなものだから。「優しいあなたが、傷つくことなんてない」。

知人の言葉に、わたしはとても救われました。
いま対人関係に悩んでいる人、どうか接することを諦めないでください。
つらくてしんどくて、逃げ出したいのに、そんな無責任なことをいうなと、おっしゃる気持ちがわたしにはよくわかります。わたしがそうでしたから。

理不尽まみれの世の中ですが、一度だけ。
どうかもう一度だけ、頑張ってみませんか。

わたしも、ぼちぼち頑張ってみます。



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