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「アヘン」はかつて、喜びをもたらす神様の薬だった! 歴史を振り返る

ピエール瀧、田口淳之介(元KAT-TUN)、岡崎聡子(元五輪選手)、國母和宏(同)、田代まさし、沢尻エリカ…昨年は薬物関連による著名人の逮捕が相次いだ年となりました。違法薬物は私たちの周囲に確実に浸透し、それを常用する人も増えています。

こうした中、薬の歴史に関心を寄せる人が増えています。今回は「歴史を変えた10の薬」(すばる舎)を紹介します。著者は、フリーランスのメディカルライター、トーマス・ヘイガーさん(久保美代子さん翻訳)。ここでは“ある薬”の歴史を振り返ります。

アヘンはどのように広まっていったか
約2000年前、古代ギリシアの医者、薬理学者、植物学者のディオスコリデス(40年ごろ~90年)は、ケシから乳液を集める方法を記述していました。

花が咲いてしばらくすると花弁が落ちます。数日すると実ができて成長します。乾燥し、茶色くなるタイミングで切れ込みを入れると不思議な乳液がにじみ出てきます。数時間、空気にさらされることでネバネバしたものに変化します。それらをダンゴ状にまとめて、煮詰めて不純物を取り除くとアヘンが出来上がります。

当時、アヘンは薬の貴重な原料だったのです。ワインに溶かしたり、ほかの成分と混ぜ合わせたり、どのような方法で摂取しても効果がありました。眠気を誘い、幻想が見え、痛みも消えました。使用した患者が幸福になれることが素晴らしいとされ、治療を超えた快楽への扉だったのです。

ある歴史家は「アヘンが魅力的なのは、体が楽になり、想像力が湧いてくるところだ。精神的・身体的な不快感は希望と幸福な平穏に取って代わった」と述べています。

時代を超えて、この薬の使用は中東や西欧に広がっていきます。シュメール人、アッシリア人、バビロニア人、エジプト人、そして、エジプトからギリシャ、ローマに行き渡ります。アレクサンダー大王の軍は、ギリシャからエジプトを経てインドへと征服を続ける際にアヘンを携帯し、行く先々で現地の人に広めます。ケシの花は眠りのシンボルとなり、睡眠の神、夢の神、生から死への道を示す変換の神と関連付けられました。

紀元前3世紀、ギリシャの医師は、アヘンが患者を恍惚(こうこつ)とさせるのと同じくらい危険なものになり得ることに気付いていました。患者への過量投与を心配し、使い始めるとなかなか止められないことにも気付いていました。アヘンの“依存性”について初めて記述したのは、ギリシャ人だったといわれています。

また、ローマが世界を支配していた頃までには、アヘンはワインと同じくらい広く消費されていたといわれています。ローマの道端では、アヘン、砂糖、卵、蜂蜜、小麦粉、果物の果実で作られたお菓子が売られており、民衆は気分を穏やかにし、ちょっとした痛みを和らげるために食べていました。ローマ皇帝マルクス・アウレリウスは眠りにつくためにアヘンを使用し、詩人オウィディウスも使用者だったといわれています。

スイスの医師パラケルスス(1493年~1541年)は、すべての悪い状態を和らげる丸薬(ローダナム)を発明します。現在では、その成分の4分の1がアヘンであることが分かっています。1804年、ドイツの薬剤師フリードリヒ・ゼルチュルナー(1783年~1841年)が、アヘンからモルヒネの単離に成功し1874年、ヘロインがモルヒネを原料に生成されます。すべて、神の薬であるアヘンから派生したものです。

私たちは薬物をどのように考えるべきか
現在、薬物汚染はとどまるところを知りません。私たちは薬物をどのように理解すべきなのでしょうか。アヘンをはじめ多くの薬には、驚きの物語が存在しているのです。

本書では、鎮痛薬やワクチンなど昔からある医薬品を中心に、その起源や開発のいきさつなどが紹介され、その薬と社会との関わりが描かれています。現在の製薬企業のあり方や医薬関連の規制に関する話、特に米国で社会問題となっている薬物依存症の状況も盛り込まれ、製薬をめぐる世界を俯瞰(ふかん)できます。

薬に関する科学的な説明部分も分かりやすく簡潔で、開発のいきさつは物語を読むようにドラマチックで興味を引き、しかも全体的にコンパクトにまとまっているので一般の人も抵抗なく楽しめる内容です。有史以来、ヒトはどのように薬と付き合い、開発し、法律を定め、これからどうなっていくのか。きっと、世界史を見る目が変わるでしょう。

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外部リンクです。画像はオトナンサーから引用。
オトナンサー(2020.2.1)より転載。
※16冊目「頭がいい人の読書術」(すばる舎)を上梓しました。

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