見出し画像

私がオンラインゲームを5000時間くらいやって気づいたこと。

ゲームっていいよね。

ゲームをしている時間というのは現実から解放されて自由にいちプレイヤーとして全力でその世界を遊ぶ、ということができる。

私はそんなゲームという遊びが大好きで、私の人生という未だどこに到達するかわからない26年という短い歳月もそれを、あるいはそれでできた繋がりを抜きにして語ることはできない。

繋がり。そうゲーム、特にその中でもオンラインで人と繋がる事ができるものはそれを軸とした一つの社会であり、ある種アリの巣のようなものだ。

餌を探すやつがいて、見つけてその情報を伝えるやつがいて、運ぶやつがいて、それを分配するやつがいて……。そうやって作られるコミュニティはSNSなどでゲーム名を入力してみると、思いのほか巨大な共同体だったことに気づく。

その中で学んだことは多いが、一つだけ挙げるとすれば、私は『人を変えるということ』についての話をしたい。


オンラインゲームをやっていると、あまりにも多くの人と関わることになる。

Apexというゲームで言うと、3人チームの1試合なので、味方として2人とマッチングする。敵も含めると60人が一つの目標に向かってしのぎを削るのだ。

1試合だいたい長くても20分くらいなので2時間もすれば4試合分、240人の人間と関わっていることになる。

それだけの人間がたった3つのイスを取り合って戦っているのだから、当然諍いは起きる。そしてそれは大抵の場合、「もっと上手くやれよ」という形で。

私の統計によると、ゲーム内のいざこざの90%くらいはこの「もっと上手くやれよ」が占めていると思われる。(異論は認めます)

実際にこういうことを言われることは本当に多い。「回復ほしい」とか、「一緒にあいつ狙おう」という提案などとは違って、この「もっと上手くやれよ」はほとんど人格否定に相当する。

重要なのは、下手な味方をどう変えるかではなく、下手な味方がいるとしてそれで自分をどう変えるか、だ。

これは1人でゲームをやっていると自然すぎて気づかないことだが、「負け」という結果には必ず自分の力不足が含まれているのだ。

『東京喰種』の名言の一つに「この世のすべての不利益は当人の能力不足」というのがある。ちょっと古いかもしれないけど。ゲームもこれに当てはまる側面がある。


だから各々がこのマインドさえ持っていれば、ゲーム内の揉め事はほとんど解決できる。

だから「もっと上手くやれよ」と言ってくるやつは、ただ自分の責任から逃避しているだけ。気にするだけ無駄なのだ。そいつのためにゲームしてるわけじゃないし。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?