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「さらす」ことの重要性
昨日は年に一度のスピーチコンテストの地区予選。日本語、英語、それぞれ7分前後のスピーチを発表しました。
圧倒的に準備不足でしたが、それでも、自分の日常や体験から感じたことを言語化し、人前で話すことで想いを伝える。この作業に逃げずに取り組んだことからは、やはり学びがありました。
準備不足でも前に立つ勇気
英語スピーチでは「準備不足でも、まだ早いと思っても、どんどん挑戦してみよう」といったメッセージを込めました。「自分の準備不足を正当化してるのか!」というなんとも言い訳がましいスピーチでしたが、やはり「やらないより、やる」ことの重要性を伝えたかったので。
たとえ、十分な準備ができていなくても、やれば、必ず学びがあります。
いつでも準備万全で臨めるわけではない
VUCAな時代、事前に準備万端に整え、周到に備えている間に、どんどんチャンスは逃げていきます。多少準備不足でも、それを承知したうえで着手する人が、どんどん成功します。
また、周到な準備はかえって手戻りを生むことがあります。準備している間にも、時代は進んでいくのです。
「さらしてもいいですか〜」
以前、職業訓練校でプログラミングを学んでいた時のことです。書いたプログラムが想定通りに動かない時が何度もありました。前のプロジェクターにコードを投影し、みんなでどこが間違っているのかを検証するのですが、その時に講師が
「ソース、さらしてもいいですか〜」
と毎回言います。最初は恥ずかしいしみっともないし、失敗を指摘されるので気が重く感じました。何度もやっていると「そういうものだ」と受け入れられるようになり、最後の方では「さらすから早く間違い見つけて〜」とまで思うように。
失敗したと揚げ足を取ったり責めたりするのではありません。改善のためにどこをどう直せば良いか、前向きに検証するのです。この作業はとても建設的で重要なことです。
本人の意識と環境の変化が必要
とはいえ、「失敗は恥」「人に迷惑をかけない」「粗相のないように」と刷り込まれてやってきた私には、意識を変えることはとても難しいことでした。
訓練校では、「最初はそんなもんですよ」と、淡々と作業的に進めてくれました。恥ずかしい、とか感情的になる余地がなかったのが良かったのかも。
「失敗しても当たり前」「みんな失敗する」
それがデフォルトになるように。本人の意識の変化も重要ですが、周りの環境としても、そのベースで何事も進められる場があれば、失敗を恐れず挑戦でき、進化していけるのかもしれません。
あえて「さらす」マインドを
noteを書き始めたころは「うまく書かなきゃ」「たくさん「スキ」が欲しい」と、ついノウハウやテクニックに目がいったり、自分で納得いかないものはずっと下書きのままだったりしました。今はとにかく「さらす」ことが大事かな、と思い、ばーっと書いて、即公開しています。
仕事や他のことでも、「あ〜、まだまだだなぁ」と思っても、気にせずズンズン進んでいきたいです。
失敗や未熟さ、不完全な成長途中の自分をあえて「さらす」。まだまだですが、少しずつ意識を切り替え、実践していきます。
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