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「私なんて。。。」と「まだまだ!」の狭間で

何もしない日曜を過ごした。
娘はテスト勉強、夫はひとりで「シン・ウルトラマン」を観に行った。
リビングにひとり。スマホを見つめる。
数独はデイリーパズルと、「むずかしい」レベルのもひとつやった。
Wordleは1日1題しか出来ない。
朝刊も隅々まで読んだ。面白いテレビはない。

することがなくなった。

「ワタシ、コノママ、オワルンダロウカ」

ふと、物足りなさが頭をよぎった。

時間はできたけれど

仕事と子育てに追われた30代。
とにかく休みがほしかった。
ひとりの時間がほしかった。

体と心が悲鳴をあげ、正社員を辞めた。

何もしない週末がめちゃくちゃ嬉しかった。
「一日中、ぼーっとゴロゴロしたいわぁ」という積年の願いが叶った。

まぁ、また何かできるやろ。
そのうち、やる気も起きるでしょ。

数年そんな調子で過ごすと「働いていない」罪悪感が芽生えてきた。

何をしてもケチケチする。
メイクや服は5年前のもの。
夫に負い目を感じる。
キラキラしている人から離れたくなる。

が、いざ「さて!」と動き出そうとした時には、自分では気付かなかった「現状維持希望」という名の根っこが、怖いくらい頑丈に生えていた。

「いやいや、ワタシなんて」が枕詞に

やりたいことが、ないわけじゃない。
できることも、いくつかはある。

でも、私のスキルや過去の経歴を「すごいですね〜」と言ってもらっても「いやいや〜、私なんて、そんな〜。。。たまたま、なんですよ。運が良かったんです。」と、素直に受け取れない。

そして、本気で、自分をスゴイ人間だとはこれっぽちも思っていない。

インポスター症候群と言うらしい。
謙遜も度が過ぎると不健全だし、嫌味になる。

自分なりに頑張ったこともある。
素直に認めればいいのに、認めてしまうとまた頑張らないといけなくなるのが怖い。
もうしんどい思いをするのは嫌だ。

「こんなもんじゃない」と思う自分

とはいえ、「じゃぁ、これでいいの?」と自問すると、自分の中から小さいかすれた声が聞こえる。

「コンナモンジャ、ナイデショウ」

いくつになっても「まだまだ!」と思いたいのか。
過去の栄光にしがみついているのか。
正社員じゃなくても、十分やっていけると示したい意地なのか。

人と繋がりたいのか。

誰かの役に立ちたいのか。

自分を信じたいのか。

「やってみる」に賭ける

「私なんて。。。」と思う一方で、「でもこのままでは。。。」と別の自分に急かされる。どうすりゃいいんだ。

私は、やってみることにした。

文章を書いて、出してみる。
イタい部分もさらけ出してみる。
妄想も話してみる。
「きっと、こんなこと、できるんじゃない?」と言ってみる。
人と出会う場所に顔を出してみる。
新しいことを学んでみる。
仕事に応募してみる。
仕事を引き受けてみる。

「いや、そりゃ、当たり前でしょ。」と思われるかもしれない。
働くのは当たり前。自分を磨くのも当たり前。発信も当たり前。

でも、会社を辞め、何にも「所属」せず、
うちに引きこもった生活を続けていた私には、
1つひとつの「やってみる」が、結構たいへんなこと。

それでも、自分はまだまだ何でもできると思いたい。
「やってみたよ!」と言いたい。
「まだまだこれからですね〜」と言い合いながらグフフと笑いたい。

そして、自分が何かやってみることで、自分自身が満たされるだけではなく、
他の多くの「いや〜私なんて、、、」と「でもこのままでは。。。」の狭間で揺れ動く人が何かやってみるきっかけになれれば嬉しい。

ひとりじゃできない。そんなこともたくさんあるから、誰かと一緒にやっていけたら嬉しい。

*****

先日、新しい働き方LABの募集を知り、かねてより温めていた「おかん世代のITリスキリング『おかんDX』」の妄想を文章にして提出した。

採用されるかどうかは分からないけれど、もしダメでも違う形で何か動いていこうと思う。

スキルを身につけ、もう一度、社会と関わろう。
「おかん」の人生経験や多様な人との関わりは、絶対、社会から必要とされる。

「いや、私なんて。。。」「まだまだ、これから!」
相反しているようだけど、そう思っている自分はどちらも自分だ。
どちらの自分も満たしていけるように。
一緒に満たされていける人と出会えるように。
いろいろやってみようと思う。


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