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「共同親権」は日本にはまだ早いんじゃないかなと思う4つの理由

お疲れさまです、uni'que若宮です。

共同親権が話題ですね。

いや…
というか実際は、法制度が変えられようとしている割にはびっくりするくらい話題になってないですね…。メディアでもほとんど取り上げられてすらいない…

署名やパブコメが多く寄せられてもいるのにあまり議論が深まらずに立法プロセスだけが進んでいることに僕の周りでも(主に女性ですが)懸念の声が挙がっています。


個人的な意見としては、共同親権は時期尚早であり、懸念が上がっている中で議論せず法制度を急いで変更する必要はない、と考えています。(むしろもっと先に法制度議論した方が良いことが色々ある気がする)少なくとも共同親権についてはより多くの人が理解を深め、合意形成を図るためにもっと時間が必要かなと。


①「共同親権」のメリットは本当に可能?

共同親権には勿論、メリットデメリットがあります。ただこのメリットの部分がちょっとピンとこないのが正直なところです。

たとえばこちらの記事

https://www.sankei.com/gallery/20191122-QQD757UXEVLKZIBV2DN6CPZUPA/ より引用

「離婚後も父母が協力が得られる枠組みが得られる」となっているんですが、これが本当にそうなるかは疑問ではないでしょうか。そもそも協力的な場合なら単独親権でも極力可能なはずで、それを拒否する理由がある場合には親権をもったからといって協力的になるとは限らないと思います。

また、一方で「単独親権のデメリット」には「父母の敵対」が起こる、とも書かれてます。でも敵対って果たして本当に「親権争い」が原因なのでしょうか…?


離婚にはさまざまなケースがあり、お互いの同意のもとの円満離婚というのももちろんあります。そしてそういう場合には単独親権であってもすでに協力して子育てされているとケースも多いと思います。

しかし、なんらか衝突があったりして離婚した場合には感情的になっている場合も多いでしょう。離婚協議で揉め、そうして親の感情的な関係が壊れた後の親同士に、事後も関係を続ける状況を強制的につくれば上手くいくか、というとそうでもない気がします。

何らかわだかまりがある場合、「共同親権のデメリット」の方で書かれているように、子育てが円滑に進められなくなることが懸念されます。たとえば子供の進学や入院などで相手方が合意しないと決められないとかなり困った状態になってしまいますし、DVがあって避難的に離婚したのに加害者と連絡を取らねばならない、というのは精神的にも負担です。

「共同親権」は円満な場合はよいかもしれませんが、感情がこじれている場合、合意形成がすごく難しいのです。

例えば起業家の場合でも、共同創業者が方向性の違いから離脱するケースがありますが、こうした場合株式を手放してもらって関係を清算するほうが一般的でしょう。「喧嘩別れ」とまではいかないにせよ何らかの感情的対立があり離れる判断をした共同経営者がいつまでも株をもって関わり続けると経営が円滑に進められなくなり、経営にとっていい結果にならないからです。

同じようにこじれた状態で「共同親権」になった時、「子育て」にとっていい形になるかというとちょっと疑問なんですよね…

なので、これに尽きる気がしてます。

メリットがはっきりしない一方、デメリットの側はかなり具体的なものが挙げられています。

・別居となった親の同意を得なければ転居や進学ができない
・DVで避難している場合、いつまでもその手から逃れられない
・両親の収入が合算になることによって支援が受けられなくなる

などなど。メリットは有名無実化しそうなの割にこうした具体的なデメリットがあるのに解決されていない、この状態ではたして進めるべきなのか、というところが引っ掛かりポイントです。



②国際的には「共同親権」が一般的?

そもそも、共同親権についての議論が急がれているのは、海外からの批判という外圧が後押しになっているところがあるようです。

欧州連合(EU)26カ国の駐日大使は昨年3月、日本で離婚した加盟国出身の親が子供と面会できないケースがあるとして、子供の権利に注意を払うよう求める書面を当時の上川陽子法相に出した。

こうした国際世論的な観点から、海外では共同親権が一般的であって単独親権の日本が例外的だから変えるべきというような意見もよく聞きます。


ただ海外では共同親権が普通、というけれど、日本では前提がだいぶ異なるところがあったり国による違いもあるので、いっしょくたにせず丁寧に見る必要があるとおもうんですよね。

たとえば米国では共同親権な分、養育費の強制執行など実質的に両親に義務も課されます。ドイツでは養育費の不払いは刑事罰で、親権の剥奪も結構普通にあるようです。オーストラリアは見直しの動きもある。

こうした各国の仕組みは、共同親権で起こる不具合やデメリットを手当するための義務や仕組みもよく考える必要がある、ということでしょう。


僕は「共同親権」が未来永劫必要ないと思っているわけではありません。共同親権のベースとなる(ジェンダーの平等を含めた)枠組みと文化がきちんとできてからであればよいと思うのですが、そうでなく「共同親権」だけを取り入れるのはどうなのかなと思うのです。


③議論が「男女の対立」になるうちは無理では?

また、今回の件で一番違和感があるのが、共同親権の話がしばしば「女性vs男性」という対立構図になっていることです。

以前Voicyで共同親権について話した時、

Xでは共同親権に反対すると、悪質な攻撃をされるという話もあり、またメディアも全然なので、取り上げてくださり、嬉しいです

というコメントをいただきました。


え、共同親権に反対すると攻撃されるの…?


ジェンダーやダイバーシティのことでもそうですが、こうしたことが本当に多くてがっかりします。どうして痛みやつらさについて声を挙げると攻撃されるのでしょうか…。

本来、「共同親権」というのはどちらかの親だけのための権利ではないはずです。それなのに意見をしただけで叩かれる… なんでも対立視されてしまうこういう日本の状況で「共同親権があれば男女協力できます!」と言われてもうーん…と思ってしまいます。

そもそもなぜ女性の方が共同親権に反対が多いかというと、そこに非対称性があり女性側が困ることが多い現状があるからです。それについて声を挙げると聞いてもらえない(それどころか「フェミ」と言われて攻撃される)。夫婦別姓とか緊急避妊薬とかもそうなのですが、難癖をつけているわけではなくて問題が見えている人が声を挙げているだけなのですが、「社会的強者はデメリットに気づかない」ので認識がズレていて、「文句」としか思えないのです。


社会の仕組みというのはどちらかのためのものではありませんから、マイノリティや弱者の意見をしっかり受け止めた上で決める必要があります。

そもそも、人権を始めとした「権利」というのは本来僕は常に弱い側に寄り添うためのものはないでしょうか。なぜなら社会は強者に有利にできているために強者は権利を自由にしやすく、それはしばしば「権力」として濫用されがちだからです。権利が強者に集中すると弱者の権利が踏みにじられる。だからこそ、権利について議論するときは強者やマジョリティのためよりもマイノリティや弱者の声をしっかり聞くべきだと思うのです。

④子どもにとってはどうなの?

先ほど「共同親権」は男女どちらかだけのものではない、と書きました。

しかし本当のことをいえば「親の権利」を親同士で取り合うのではなく、当事者である「子供にとって」を一番に考えた制度であってほしいと思います。


ぜひ、こちらの離婚家庭の当事者・子どもとしての立場から「共同親権」について書かれた記事を読んでみてください。

子どもの貧困は、子どもの意欲を奪います。
生きる気力を奪っていきます。
(中略)
その子達は、いずれ自分の本当の気持ちや やりたい事も分からなくなります。

「無理だ」「無理だ」「無理だ」と、何度も何度も何度も現実を突きつけられるから。

子どもの貧困って、こういう事なんです。

共同親権の問題で「子どもの貧困が増える」という事を思い出して下さい。

「共同親権」って、誰のためのものでしょうか。

「親権」は親の権利ですが、それは親が子供の人生を自由にできる権利ではないはずです。大前提としてその前に子供のためを思い子供の貧困をつくらないための親の義務や責任があるはず。

「親権」とは字義通りいうと「親の権利」なわけですが、親にとって望ましいものを目指す議論でよいかというとそうではないでしょう。「親」というのは子どもがいるからこそ「親」であれるのです。子どもをないがしろにした「親権」とは空虚な概念だと思います。


先ほども書いた通り、僕は「共同親権」がいけない、とか未来永劫導入すべきでない、とは思いません。しかし明らかに議論が足りていない。

これには日本の政治の状況もあると思います。政治家の多くが高齢の男性であり、そこにはこの問題で苦しむ女性の意見や子供の意見が反映されづらい。

(野田聖子議員が反対しましたが、「厳重注意」を受けたそうですね)


当事者の声を聴かない、声を挙げると攻撃されたり「厳重注意」されたりする。一部の人にはメリットがあるかもしれないが、それを大きく上回る懸念があるのにそれを議論しない。少なくともこの状態で子供の人生を大きく左右するような法案を拙速に通してはいけないのでは、と思いますがいかがでしょうか。

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