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夢とギフトと共犯者

ちょっとだけ愚痴らせて欲しい。

先日、少しだけ嫌なことがあった。

とあるイベントで知り合った人から頻繁に連絡が来て、「会いたい」と誘われていたのだ。特別に仲良くなった記憶もないので、なんでだろうと思っていたのだけど、なかなかタイミングが合わず会うことはできなかった。

そんなある日相手から連絡があり

「実は自分には夢があって、夢のために〇〇という副業をしているんです。夢の為に、もしよければ協力してもらえないでしょうか?」

※〇〇は想像にお任せ。

そのメッセージに返信をすることはなかったし、相手とは二度と会うことはないだろう。

大して気にはしていないが、やはりモヤモヤはする。

ただ、メッセージに書かれていた内容を読み返していると、別の考えが浮かんできた。同様の内容を頻繁に見かけていたような気がしたのだ。

そう、クラウドファンディングだ。※以下、クラファンと呼称。

クラウドファンディング(crowdfunding)とは群衆(crowd)と資金調達(funding)を組み合わせた造語で、インターネットを通して自分の活動や夢を発信することで、想いに共感した人や活動を応援したいと思ってくれる人から資金を募るしくみです。

僕自身クラファンは頻繁に支援する。

クラファンにはプロジェクトの説明、なぜそのプロジェクトを実施するに至ったかのストーリーが記載されているのだが、そこには「夢」という単語が出てくることが多い。

そしてプロジェクトを発起する彼や彼女は端的に言えば「自分の夢を実現するためにお金を出して欲しい」ということを書いている。

これは、僕がメッセージで受け取った内容とほぼ一緒だ。

それなのに、一方にはメッセージを一瞥しただけでげんなりし、もう一方は自分から嬉々として支援する。

それはなぜか?

クラファンにはリターンと呼ばれるものが存在し、支援金額に応じて手紙だったり、メッセージだったり、商品だったりのギフトが送られてくるのだが、中にはただただ感謝する、という実質的にはリターンが存在しないものもある。だけど、そんな場合でも数多くの人が支援し、莫大な金額を集めるプロジェクトも多い。

つまりリターンの内容や有無はクラファンの最も重要なファクターではないということだ。

同じ夢を語り、資金を集めようとしながら捉え方がなぜ違うのか?

それは「共感性」と「共犯性」ではないだろうか。

クラファンはなぜそのプロジェクトを始めたのか、そしてプロジェクトが実現した未来がどうなるのか、というストーリーに共感しなければ支援しようとは思わない。

例えば、いきなり「孤児院を作るから支援して」とだけ言われても「なぜ?」という疑問が解消されなければ支援する事はないだろう。

そして、最も重要なのは「共犯性」だ。

クラファンは一見プロジェクトの実行者と支援者という関係性はあれど、本質的には共にプロジェクトを実現へと導く「仲間」、たくらみに参加する「共犯者」を求めている。

実行者は自分の実現したい夢の為に必要な資金を集めることが出来るし、支援者も自らが共感したプロジェクトに対して、支援という形でプロジェクトへの「参加券」を得て内側からプロジェクトを見ることで愛着が強くなる。

クラダンはただいたずらに自分のやりたいことだけを述べ、お金を無心するだけでは決して成功しない。自分のやりたいことに「共犯者」を巻き込むためのプロセス作りが必要不可欠だ。

※実際、海外旅行に行きたいとプロジェクトを立ち上げた大学生が炎上したりした事例もある。

誰かの夢はできる限り応援したいけど、誰も彼も応援する事はできない。

だからこそ、そのプロジェクトのストーリーに共感したいし共感させて欲しい。そして共犯者として巻き込んで欲しい。

僕にメッセージを送ってきた人も、夢を叶える為にプロジェクトを立ち上げて、僕がストーリーに共感すればその時は支援するかもしれない。

少なくともメッセージをそっと閉じた時のようなことはしない。

僕に連絡してきた時とは別のやり方で、あの人の夢が叶う日がくればいいなと思う。

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