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未知との対話

この番組を観ました。

このドキュメンタリー番組は―
タレント業と平行してアート活動も行う
ベッキーさんを中心に。
この日初めて顔を合わせた、
さまざまな個性を持った6人が、
1泊2日の合宿で
巨大な絵を完成させるまでの記録です。

参加者は、大学生で演劇を主宰する視覚障害者の関場理生さん。大学で手話講師を務める聴覚障害者のかえでさん。3年前に歯肉がんを患った80歳の原田泉さん。アメリカで生まれ、現在は日本の大学で英語を教えているディラノさん。車椅子ジャーナリストとしてマイノリティの取材を続ける徳永啓太さん。


そんな、年齢も、性別も、バラバラの6人が、筆談や、手話などのコミュニケーションを交えながら、対話をし、1つの絵を完成させていきます。番組の最初、それぞれが自己紹介をしますが、言葉が違う、それぞれの抱える背景の違いなどから、参加者同士は若干の戸惑いを見せ、距離を測っているようでした。
しかし、どのようにすれば自分の意思が伝わるのか、その為にはどんなコミュニケーションの手段が適切なのか、自分の表現はわかりやすいか、ということを考え、少しづつ意思疎通を図り、更に絵を作るという1つの共同作業を通じて、徐々に心を通わせていきます。
22時間という制作時間の中で、全員で考え、絵を描き、寝食をともにすることで、番組の後半では明らかに距離が近くなり、最初のぎこちなさのようなものはなくなっていました。


「ダイバーシティ」という言葉が認知され始め、社会として多様性が尊重されるようになってきましたが、個人レベルにおいてダイバーシティを意識することはまだまだ少ないように感じます。
なぜなら、人間はどうしたって自分と同じような属性の人と一緒にいてしまうことが多いから。
しかし、自分とは大きくバックグラウンドが違う人たち(例えば目が見えない、耳が聴こえない、言葉が通じないなど)と接することで、普段自分で行なっているコミュニケーションでは意思疎通が図りづらい、図れないとなった時にどうすれば良いか人間は考えます。


「未知」よりも「既知」の方が楽だからどうしたってそちらを選んでしまう。


「未知」は怖い。
「未知」はめんどくさい。
「未知」は疲れる。


だけど楽だからという理由だけで、「既知」ばかりを選ぶわけにはもはやいかない。
ダイバーシティが大切にされる社会では、積極的に「未知」と触れ合っていかねばなりません。


番組の中ではわかりやすく、年齢や性別、その他のバックグラウンドが異なる人々が集まっていましたが、自分たちが普段生活している中でも、それぞれの価値観や大切にしているものは異なるでしょう。


「自分の当たり前」は「みんなの当たり前」じゃない。
自分の常識を押し付けるのではなく、常に相手との距離を図り、適切なコミュニケーションを心がけるという本質は同じはずです。
番組中で「ダイバーシティは社会の問題と考えられがちだけど、自然界はダイバーシティにあふれている」という言葉がありました。
「ダイバーシティ」とは特別なことじゃなくて、当たり前にあるもの。
「自分と違うから特別」なのではなく、「自分と違うのは当たり前」「みんな1人1人が違うことは当たり前」という風に考えるへまきなのです。
普段の生活の中で、一緒に絵を描くような共同作業を誰かとする機会はなかなかないでしょうが、同じ社会を生きている、同じ世界を生きている、という意識を持てば、より理解して、歩み寄ろうとする第1歩になるかもしれません。
「未知との対話」は「既知」への1歩
「未知との対話」はみんながそれぞれ異なる、異なるのが当たり前という事に気づくこと。

「未知」への一歩を踏み出したいと思いました。


もし良いと思ってお気持ちをいただけるとやる気がでます。コーヒー代にします。