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こんにちは、平成

このnoteは平成30年4月30日の23時20頃に書き始めました。

つまり平成最後の日。

あと、30分ほどで新元号「令和」の時代が始まる。

僕は平成元年生まれの平成第一世代だ。

つまり僕の人生は平成とともに歩んできた。その平成が今日終わる。

だけど、特にこれといった感想はない。

感慨深いといえば、感慨深いが、「令和」になったからといって何かが劇的に変わることなんてないだろうし、自分の生活も今までと変わらず進んでいくだろう。

「令和」に浮き足立ってみんな喜んでいるのは良いければ、「令和」が良い時代になるかなんて誰にもわからない。

もしかしたら「平成」よりもずっと困難な時代かもしれないし、

「平成」で失われたものを取り返して余りある楽園のような時代になるかもしれない。

ただ、何もせず待っていれば良い時代になることは決してないと思う。

「平成」だって、良い時代だったのか、悪い時代だったのか正直よくわからない。

世界を震撼させるような事件がいくつも起きたり、

日本でも未曾有の大災害が発生して、今もまだその爪痕は残っている。

僕が高校生くらいの頃には売り手市場で将来の心配なんていらない、ラッキーな世代だと大人たちに言われてけれど、大学に入ってからしばらくして、リーマンショックが起きて、一気に就職氷河期と呼ばれる世代になった。

年金ももらえるのかどうか怪しいし、将来の自分がどうなっているのかイメージできない。

ネガティブなことばかり書いてしまったが、良いことだってたくさんあった。

YouTuberやインスタグラマーなど、SNSを利用して自分な好きなことを職業とする人たちが出てきたり、起業やフリーランスや複業など、多様な働き方や生き方がより許容されてきた流れもある。

手のひらに収まるスマートフォンで世界とつながることができるし、テクノロジーの進歩は昨日のできなかったことを明日には可能にしてくれる。

ただ、それらの変化は当たり前に起こりすぎて、まだ客観視できていない。

「平成」が10年後だが、20年後だかに社会学者や歴史学者にしたり顔で「良い時代だった」「最低の時代だった」などと言われるかもしれないが、そんな評価はどうでも良い。

ただ、自分にとって「平成」が「良い時代」か「悪い時代」かは「令和」の時代を生き、「平成」と距離ができて、遠くから見つめられるようになって初めてわかることかもしれない。

そして良くも悪くも「平成」の時代で学んだこと、得たことを「令和」のために活かしきたい。

感覚的には「平成」が終わる、というよりは生まれた時からともに歩んできた「平成」が「自分はこれ以上進めないから前に進め」と言っているようだ。

「平成」の輪郭が見えてくるのはこれからだ。

少し寂しいけれど、ここでお別れ。でも終わりじゃない。

遠くから見つめた時、僕たちは新しい「平成」と出会うことになるのかもしれない。

こんにちは、平成。

一緒に歩んできて僕は嬉しかった。

令和元年。5月1日

新しい時代の幕開け。

答え合わせはもっと先。


もし良いと思ってお気持ちをいただけるとやる気がでます。コーヒー代にします。