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第2項 "神道の分岐–Homo sapiensの生存戦略" 2/4

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。前回は神道の通奏低音である”構造”について考察を行いました。形式的ではありましたが、神道の根幹に触れるには押さえておかなければならない前提条件です。特に”宗教”を根底においた場合、それは西洋的な”絶対神”なのか、東洋的な"Animism"なのかだけでもCultureとしての取り扱いが大きく異なります。この点に於いては以降の項目でも触れるとして、今回は、”Homo sapiensの生存戦略”としての神道、”外交戦略”としての国家神道について、前回に続き"Ⅰ-Ⅱ.神道の通奏低音”の考察を行い、”神道の分岐”へと入りたいと思います。

「神道のReverse engineering」2/4
第1項 "神道の通奏低音”
第2項 ”Homo sapiensの生存戦略”
第3項 "神道に宿る自然合理主義”
第4項 ”侘寂の先にある日本発酵論”

[Ⅰ-Ⅱ.神道の通奏低音]

概念としての前提

 次に、何を基礎概念としているのか、その前提について定義を行います。但しこの事項でも近代化におけるバイアスを可能な限り低減するため、時代と共に分岐、発展した後発神道は含んでいません。 

・Sustainableな生命活動

 これは、古来の神道において最も根幹を形成し、そして全人類に共通する"如何に生命を持続させるのか"を説いたHomo sapiensの共同幻想です。このSustainable な生命活動は後年にCultureの発展として人類社会に具現化されて行きます。

・NatureとCultureは常に対立軸にある

 前述のSustainableな生命活動を見出だしたHomo sapiensは生命活動を持続し発展させる為に、Natureからの恩恵を享受しながら、石器や土器などの文明化つまりCultureの発展を行う事となります。しかし、Cultureとは自然界には存在しない物質(やシステム)を生成、発展、適応させ蓄積する行為であり、常にNatureとは対立します。その為、生命(文化)活動を高める限り、CultureとNatureの対立位置は、指数関数的に乖離してしまうのです。

・NatureとCultureのムスビ(結び・産霊)

 NatureとCultureは対立軸にあり、極致ではNatureを無秩序的に破壊するのか、それともCultureを捨て自然回帰に至るのか、となってしまいます。そこで”Sustainableな生命活動”を軸とする神道では、Natureとムスビ(結び・産霊)を持つことで、恩恵の享受と乖離の抑制を図りました。
 神道のムスビとは端的に表現すると、生命力の象徴である”交尾・出産”を指します。この概念は神社の構造によって体系化されています。
 そもそも神社とは、鳥居の外にある文明社会と、神社の深部にある自然生命(御神体としての山や蛇など)を繋ぎ・交り合う”接続点"であり”NatureとCultureの狭間”なのです。故に建築様式でも自然との”調和”を重んじています。
 このNatureとCultureの狭間を用いる事で、Natureからの恩恵を享受しCultureを産み出しつつ、更には乖離を繋ぎ抑制することで、”Sustainableな生命活動”を実現させようとしました。この価値観は神道の細部にまで至り、後に侘寂思想を産むこととなります。

 このように本項では、合理性のない"Spiritualism"や絶対不可侵な存在を崇める"宗教"でもなく、”Homo sapiensの生存戦略”としての概念が通奏低音に伺えます。生命活動を支える自然を重んじながら盲信はせずに、危険が迫ったり衣食住など文化発展の為であれば時に、抗う事すら厭いません。神道に於ける宗教性、自然と合理的に向き合う思想は、後世の概念基盤となります。

[Ⅱ.神道の分岐]

 前項でも触れましたが、一口に神道と言っても現代では”全く異なる神道”が数多く提案されています。この事が、日本国内だけではなく諸外国からも”神道”に対して誤ったイメージを与えてしまっている要因でもあるでしょう。その”誤解”を解く為にも、重要な3つの分岐について考察を行います。
 

・国家神道

 幕末期、江戸政府の権威が低下する中、朝廷である天皇の権威が再び強くなります。この流れは大政奉還として顕在化し、明治時代の基盤である”西洋諸国への対抗”として、王政復古(天皇の権威化)、産業革命を軸にした近代化が進められます。
 それまでの日本において、基本的に”神道は宗教ではない”という認識が多く、当初の明治政府も政教分離の概念の元、公権法解釈として神社非宗教論が謳われる事となります。しかし、国内キリスト教への対抗処置として、神社神道(神社中心の祭事活動)を用い、外交上の権威として歴史上権威の高い”天皇”を神格化し更には、教育勅語(事実上の教典)や、社格制度など、事実上の”国教化”が行われました。これが”国家神道”であり敗戦後GHQにより”Fascismの象徴”として扱われました。
 つまり、国家神道とは本来の神道や権威高い天皇とは全く別種の”帝国主義思想”を元に国策で行われた国教であったということです。そして当時、発展途上国であった日本の近代化と、諸外国からの植民地化を抑制させる為の、高度な外交戦略の一つでした。

・皇室神道

 国家神道がこの皇室神道をベースとして制度化されている為、両者は混同され易いですが本来は縄文時代から弥生時代にかけて日本列島へ渡来・支配した民族(天孫族から分岐した天皇系)の神道です。これは古事記にある天津神(渡来人)と国津神(先渡来人)の戦いの末、天津神系譜とされる初代天皇 神武天皇が国を納めた事に由来します。国家神道が国教として帝国主義思想を元にしているのに対し、皇室神道は宗教色が弱く、国内の自治と中国大陸との外交を主体とする政治体制でした。
 元来の神道が”Sustainableな生命活動”を主体としているので、その価値観が皇室神道には色濃く残り、民族・文化の繁栄を重んじつつ、神社や祭事などで、縄文時代や初期の神道観を昇華させる文化となりました。

・新興神道

 尊皇攘夷の影響もあり、江戸時代から明治時代にかけて、日本の伝統を再定義する”国学”が盛んとなります。その”純日本文化”の一貫として、古神道、復古神道、カンナガラ(神道の別称)思想など、新興宗教や学説が唱えられるようになります。また、神仏習合や三輪流神道のように、陰陽道など、儒教、道教などが混在する宗派が多く生まれます。これらの新興神道が多く生まれた背景は、神道に教義や開祖が存在しないにも関わらず、多くの日本人が祭事や価値観を重んじていた為、他宗教、思想との親和性が高かったからではないでしょうか。
 しかし、これらは決して邪教という事ではなく、文化の昇華として神道の脈絡と共に、本来ある神道とは違う発展を遂げて行きます。

 ざっくばらんではありますが、このように神道の分岐を俯瞰すると、現代に於ける国内外でのイメージの多くは、この”分岐した後発神道”を起源とされている事が伺えます。例えば”Fascismの象徴”としてのイメージは、国家神道という明治政府による国策に由来し、”神道は宗教”というイメージは、新興神道や基礎にあるAnimism的信仰に由来しています。特にFascism思想と元来の神道とは全く異なる文脈で扱わなければなりません。何故なら、NatureとCultureのムスビにより”生命の繁栄を重んじる神道”とは、全くもって相反する思想だからです。


 今回はここまでとします。本文と重複してしまいますが簡単にまとめると、神道の根幹にある思想はSpiritualismによる不思議な力ではなく、”Homo sapiensの生存戦略”である点、そしてFascismの象徴として扱われる歴史は国家神道として”外交戦略”であった点、この2つが神道を分析する上のポイントとなります。神道への誤解を解くと共に、”何故、神道が現代社会を補完することが出来るのか”を紐解くフックとなるでしょう。次回は 第3項 "神道に宿る自然合理主義” について考察を行います。


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