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第4項 ”侘寂の先にある日本発酵論” 4/4

 黒川 和嗣(くろかわ かづし)です。前回は生存戦略という文脈で神道の基礎概念である、カミの概念、ムスビの概念、自然合理主義について触れました。そこでは、神道の本質は西洋諸国に於ける宗教とも、スピリチュアルなAnimismとも違い、”持続可能な社会活動”に軸足を置いた合理的な価値観を元としていると定義しました。

 今回は神道の派生概念を考察することで、今般、話題となっている公共衛生の課題や、詫び錆び文化が、大量生産・大量消費経済の行き詰まっている日本に、新たな付加価値を与えることなど、現代社会の課題へ議論を広げ、第4回に亘った”神道の概念解釈”を終えたいと思います。

「神道のReverse engineering」4/4
第1項 "神道の通奏低音”
第2項 ”Homo sapiensの生存戦略”
第3項 "神道に宿る自然合理主義”
第4項 ”侘寂の先にある日本発酵論”

[Ⅳ.派生概念]

・侘寂(ワビサビ)文化


 ムスビの一概念である”NatureとCultureの狭間”とは、つまり”境界線が溶解する様子”であり、具体的には人工物(Culture)が時の経過と共に自然(Nature)へと侵食される事でもあります。そしてこの刹に”侘寂”が宿るのです。勿論、侘寂は”不足の美”など神道より後発に体系化された概念ではありますが、ムスビの概念やヤシロ(社・社殿)の建築様式など、広く神道Cultureに秘められています。また、流動的な変化を受け入れつつも古き物を崇敬する侘寂は、進化、歴史という対立軸の調和思想として、八百万のカミなどの多様性や、”発酵文化”を育んでいます。
 発酵文化とは”侘寂”の本質でもあり単に、コウジカビによる発酵食品という事だけではなく、”物や空間”すら発酵させ、その”歴史(発酵)の集積にこそ価値がある”としたCultureのことです。秀作で機能性が高い物は後世に幾らでも生まれますが、時間軸の投資が必要な”熟成、発酵物”は後世の努力でも覆る事はありません。この発酵文化は、先進各国の重要な課題である”持続可能性”を強める事に繋がります。
例えば近代化社会は、持続可能性の弱い消費構造の価値観ですが、発酵文化では既に発酵している(伝統的な)対象や価値観を現代社会へ再構成することで、”古くて使えないもの”から、”現代に生きる新しい価値”を付与するのです。
 特に神道では、対立構造ではなく自然合理主義に基づいた調和を重んじる為、歴史を保守的に守ることより、文化を流動的に進化”発酵”させる事が望まれるので、”持続可能性”を守りながら文化的発展へ柔軟に対応が出来るでしょう。

・穢れの思想

 ”穢れ(ケガレ)”とは、後期解釈に於いては”気が枯れる”とも訳されていますが、基本的には”衛生”の概念となります。仏教をベースとした宗教的な価値観としては”精神衛生”を保つ為に用いられ、自然科学的な価値観では”公共衛生”を保つ為に用いられます。この前者が”気が枯れる”の源流となったのでしょう。しかし、神道の慣習を分析する限り公共衛生の概念が強く、その役割はSeamless化する文化の中で形成された”Risk hedge"です。
 元々、集団性の強い組織を形成していた日本では、PublicとPrivateの境目が曖昧であり、”衛生”と言う概念を用い仕分けを行っていたと考えられます。例えば、近親相姦による出産リスクや、死をもたらす疫病や腐敗、血液による感染症などを防ぐことを目的としています。だからこそ、仏教では死や死人を穢れとしませんが、神道では穢れとして隔離を行っています。何より、この概念が確立された平安時代では、町中を疫病が蔓延しており”公共衛生”への対策が、目下の統治課題でした。
 つまり、古来より世界各地で観測される”清め”の概念と、当時盛んに輸入されていた仏教に於ける罪としての”穢れ”を、当時の世情にadjustした思想です。だからこそ、今般世界が抱える医療保険問題や社会医療費の増額問題へ”公共衛生の思想”として現代に再度adjustすることで、寄与出来るのではないかと考えています。

[Ⅴ.総括]


 ここまで”神道の通奏低音” ”神道の分岐” ”基礎概念” ”派生概念"と、神道に於ける根幹部分にフォーカスを絞り考察を行いました。勿論、多くの学者が研究を行っている為、各々の解釈が存在するでしょう。しかし、前述の通り本稿で触れた内容はあくまでも”根幹(本質)”の部分であり、この基礎構造に各文献解釈や宗教思想などが付加される形で、多用な解釈が提唱されていると言えます。
 その中でも殆ど全ての解釈に共通する点は、国際社会から”Fascismの象徴”とされている明治時代の国策神道(国家神道)と本来の神道を明確に分けること、そして”西洋のGod”と”神道のカミ”の概念を分けること、の二点です。この二点のボタンを掛け違った状態で議論・考察を行うと天皇陛下の神格化による過度なNationalismや、Animism信仰以上の宗教化によるCultへと変貌をしてしまう可能性を孕みます。その為、この二点は大前提として押さえなければなりません。
 またAnimismによる信仰はあるものの、戒律、教義、開祖が存在する”宗教”というより、武士道や茶道と同じく文化形態の一種として扱われる意味合いが強い為、宗教や国籍の違いでなどで参拝禁止のような分断を行う必要はありません。何より神道の最大の特徴は、人類Cultureの発展であり単に、感情やSpiritualな幸せ、豊かさを目指す事ではなく、自然合理的に豊かな生命活動を得ることです。
 本稿では触れませんでしたが、日本は一見すると島国である為、単一民族の様ですが実際は米国にも劣らない程の”多民族国家”です。勿論、日本と米国では”多民族”の意味する所は違いますが、本稿で触れてきた分断ではない”繋がり”の思想は、多民族性による集合体の"日本”だからこそ育まれたものでしょう。これらは、今般のPlanetary boundaryやDiversityにも活かせるヒントがある筈です。この辺りの詳細は趣旨が逸れてしまいますし、今後まとめて別途寄稿するとして、本稿で取り扱った”神道の根幹的概念”を現代社会に於いて再発見することで、一つの指標になればと提案します。

「神道のReverse engineering」
第1項 "神道の通奏低音”
第2項 ”Homo sapiensの生存戦略”
第3項 "神道に宿る自然合理主義”
第4項 ”侘寂の先にある日本発酵論”



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