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山と雪と水に耽溺 「奥村厚一 光の風景画家 展」 京都市京セラ美術館

二ヶ月に一度の定期的な帰郷。今回の楽しみのひとつが京都市 京セラ美術館にありました。話題の村上隆氏ではなく、Webで見かけた雪の山の作品。「浄晨(じょうしん)」と名付けられたその作品の作者である奥村厚一氏の展覧会。

いつもの狛犬にただいまと声をかけ

八坂さんにご挨拶をし、

知恩院で蓮を愛でる

と言ういつもの散歩道を辿って岡崎へ。

ご家族連れも混じって随分と賑わっていると思えば、ほとんどの方のお目当ては村上隆氏。奥村厚一氏の展覧会は人もまばらでゆったりと鑑賞ができました。

私のnoteではよくあるのですが、奥村厚一氏を事前に存じ上げず。前述の通り私ホイホイな雪景色に惹かれての訪問。
チラシはこちら

浄晨と言う聞き慣れないながらも、心地よい語感と漢字のこの作品。

浄晨(部分)

この作品を観られただけでも来た甲斐があった。それほどに私好みの雪景色でした。描かれているのは厳冬期の唐松の林。
下の写真の橅の森とは空気の異なる針葉樹の、しかし冬に葉を落とす唐松の雪景色。

越後の冬の橅の森

静謐でありつつ峻厳では無い。浄晨と言う言葉の表現の妙。
一通り作品を巡った後、再び戻って耽溺しておりました。今年の冬は唐松の雪の森に入ろうか。

作者はこの作品以外にも山の作品を多く描いてらっしゃることも、会場からなかなか離れられなかった理由のひとつ。タイトルの写真などは、北アルプスこと飛騨山脈の南の端に位置する乗鞍岳での写生とのこと。山でこんな絵が描けるのなら、山歩きの楽しみは深みを増すだろうなと憧憬することしきり。
会場内は一作品を除いて写真撮影可となっておりましたので、取り分け感銘を受けた作品の写真をいくつか並べてみます。皆様が会場を訪れられるきっかけとなりましたら嬉しく思います。

「樹海」
「林道」
「林道」部分
足下にはきのこがたくさん
「瀧」
「夕映」
「夕映」部分

この↑作品など、本展覧会のタイトルにある「光の風景画家」の面目躍如といったところでしょうか。山に入っている時の朝の光と相対する夕暮れ時、その少し前の光が作る山の陰影が見事に表現されていて、どこの山が描かれているのか分からないのに、以前に自身が歩いた際に眼前で輝いて見えた山の雄大な風景が思い起こされます。

スケッチ「比叡山より北望」

こちら↑の作品でも、どこかで観た景色を思い起こさせるなと思えば、実際に観たことのある景観でした。

「笠ヶ岳」
「白緑の白樺」
小下絵「白緑の白樺」

奥村氏は上述の通り光の風景画家と呼ばれていたそうで、水面の光の反射もその類型に当てはめられるのかもしれません。こちら↓の作品のように。

「橋立」

しかし、私は光だけではなく、水面と言いますか、水の表現になんとも言えぬ感銘を受けたのです。
それが最も印象的で作品の前から動けなかったのがこちら↓の作品。

「川」
「川」部分

私には、実際に大河が流れているかのような錯覚に駆られました。絵画について素人の私ですので単なる印象にすぎませんが、こちらと対岸にある家並が淡く描かれている一方、川の表現が荒々しく角の立った描き方をされているので、その表現の差により生まれる錯覚なのかもしれません。私の思い込みかもしれませんけれど。。

山以外の水の表現は他にも印象的な作品がいくつか。

「浪」
「五月雨」
「海」部分
スケッチ「那智ノ瀧」
「早苗晴」

無節操に写真を並べてみましたが如何でしょう?
会期は9月8日までとあと僅かですが、機会がございましたら是非とも会場に足をお運びになってください。
結局、図録も買ってしまって会場を後に。

開場してすぐの入場でしたが、外に出るとすっかり真夏日の猛暑。。あれ?暦の上では立秋を過ぎて処暑のはず。。元々二十四節気は中国華北のもので輸入品なのですが、地理的な誤差を大きく凌駕する温暖化で、既に歴史の彼方の骨董品となったのかもしれませんね。そろそろ縄文海進の再来でしょうか。

皆様もどうかご自愛下さい。

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