月夜の雪景色に耽溺 木島櫻谷展-泉屋博古館
梅雨らしく朝からしとしとと雨の降る6月11日、とある絵画をお目当てに泉屋博古館東京を訪れました。泉屋さんは銅屋さんですね。京都の永観堂近くに同じく泉屋博古館があるので、こちらは末尾に東京と付く。
泉はしを渡って、雨露に活き活きとした紫陽花の植栽も美しく、整えられた美しい緑の中に泉屋博古館東京が佇みます。
お目当ては京都市美術館所蔵の「寒月」。作者は木島櫻谷さん。
今回の木島櫻谷展は6月3日から7月23日までの開催ですが、「寒月」は6月18日(日)までの展示。こんな素人の書くnoteでも、少しでも関心をお持ち頂けたようでしたら、展示期間にご注意ください。
尚、この展覧会は入り口の部屋を除いては全て撮影禁止。
ですので、展示作品の何かで惹かれた作品について、文章で感想を述べたいと思います。ただ、度々書いていますが、私は美術を愛でるのは好きであっても、絵の巧拙や社会的な価値は全く分からない素人。基本的には自身が好きか、嫌いか、興味が無いかのみの独善的な記述となりますことはご容赦ください。
「寒月」
お目当ての作品です。繰り返しになりますが、所蔵は京都市美術館。
私がことさらに好きで、定期的に愛でて心を満たしたいと思う作品がいくつかあります。例を挙げると次の作品。
「松林図屏風」 長谷川等伯さん作 東京国立博物館蔵
「藤花図屏風」 円山応挙さん作 根津美術館蔵
「山雲」 東山魁夷さん作 唐招提寺蔵
「落葉」 菱田春草さん作 永青文庫蔵
「名樹散椿」 速水御舟さん作 山種美術館蔵
今回実物を鑑賞することができたこの「寒月」は上記の仲間入りをする、そんな強い印象と共に惹かれる作品でした。
描かれているの情景を私の感じまま書きますと、深雪に音の消えた静寂の月夜の山中。森の闇が切れるて空間の開けたせせらぎの水辺。朧月夜にうっすらと浮かぶ竹や木々、枯れた草の空間は寒々としているのだけれど何故か引き込まれる。
雪山装備を整えて、この空間に身を置いてしばらく心を自然に同化させたい。そんな心地にさせてくれる。
私がその作品を敬愛して止まない夏目漱石先生は、この作品を「写真家の背景」として酷評されたようですけれどね。
この作品の前にちょうど長椅子がありましたので、最初に一度、他の作品を愛でたのちにもう一度、それぞれ30分ほどもその空間に耽溺しました。
ただ、主題となる狐には目が行かず、むしろ脇に描かれた枯れた草の葉の風情に惹かれ続けていたのは私の普段の好みの故で、他の方とはおそらく関心の対象が異なるかもしれません。
絵葉書や画集も買い求めましたが、屏風絵ならではの奥行きも含めて、実物の僅かしかその魅力を再現できていませんので、是非ともこの機会に訪れてみてください。
「飛瀑」
その名の通り、山中の巨大な滝を描いた作品。こちらは掛け軸です。
小さな作品、しかも水墨画ではありますが、複数並んだ掛け軸の中で、こちらの前から動けなくなった作品でした。
滝は一般的によく描かれる題材です。私自身、実際の山中で滝を愛でるのが好きです。愛してやまない東山魁夷さんの作品群にも滝を描いたものが多い。ただ、どちらかと言うと、東山魁夷さんの滝の絵は、滝そのものよりも滝を抱いた山肌や森の姿に惹かれます。しかし、この作品は、周囲の渓谷や木々が描かれているものの、滝そのものとそこから噴き上げる水の霊気が強い力で私を惹きつけるのです。
山の自然がことさら好きな私の妄想かもしれません。是非ともご自身の目で確かめてみてください。
尚、こちらの作品は木々の描き方、その筆使いも魅力的なのですが、ガラス越しの小さな作品でもありますので、明るい単眼鏡を持参の上でご覧になった方が良いかもしれません。
私の好みの故だと思うのですが、他の作品群に多く描かれた主題の鹿や猿など動物よりも、その周囲に描かれた草木に眼を奪われることが多い展覧会でした。
そう言えば、「細雨・落葉」という屏風絵の鹿の脇に描かれた藤の木。その幹の描き方や構図は、上述の円山応挙さん作「藤花図屏風」を写したかのようでした。
隣のカフェで余韻を堪能しつつ時間を過ごし、再び美しく整えられた緑を抜けて帰路につきました。
充実した梅雨の休日。やはり梅雨は嫌いではない。
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