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魅惑的な「植物と歩く」展 ー 練馬美術館

天気予報で大気が不安定とあり、昨日に引き続いてロードバイクで走ることを断念した日曜日。開催前から訪れたいと思っていたもう一つの展覧会、「植物と歩く」展を鑑賞に練馬美術館を訪問。こちらの美術館は小規模な美術館ながら、魅力的なテーマの企画展が多くよく訪れます。学芸員の方が私のような素人の感情をよく把握されているのでしょうか。その恩恵に今日も浴します。

私を惹きつけたのはタイトル写真の左側の作品、佐田勝氏作「野霧」でした。
しかし、それ以外にも多数の心惹かれる作品、そしてテーマが散りばめられていた期待を大きく上回る展覧会でした。
作品は全て撮影禁止ですので、いつもながら拙い私の文章で素人の感想文など書き連ねてみます。僅かでもその魅力が伝わればと思いつつも、半ば以上は自身の備忘的な散文。

1階 プロローグ 「植物の観察」

我が家にはテレビが無いので観ていないものの、ドラマのモデルとされて再び極光を浴びている牧野富太郎氏。同氏の「大日本植物志」の原画が数展、そして実際に収集された標本が数展展示されています。前者の中では特にヒガンバナが、後者がクサイとオオバコが特に私には印象深かった。
美術ではなく研究対象としてのものなので、例えばヒガンバナなどは根や花びらの詳細、実の断面なども詳細に記述されています。想起されるのは円山応挙氏作「写生図巻」。しかし、対象への愛情がそうさせるのか、あるいは、茶花で言うところの「花は野にあるように」すれば自然と美しくなるのか、それは分かりませんが、素人の私が見ても描画も標本も共に美しい。
特に標本の実物はなかなか眼に触れることが少ないと思いますので、是非とも訪れて見て頂きたい。採集場所の多くが、私が好んでよく訪れる「東京大学大学院理学系研究科附属植物園」、俗称「小石川植物園」であったのが興味深い。

小野木学氏
いろいろな草花のイラストが展示されています。牧野氏の正確で細密な表記ではなく、なんとも親しみのある大枠の特徴を捉えた、さりとて抽象では無い表現。中でも、アカツメクサ、ゼラニウム、オオバコ等々は枯れた姿が描かれており、特にアカツメクサには惹かれました。
全ての草花ではありませんが、私自身、美しく枯れた風情を好んでおり、雪の中にある紫陽花などは花の盛りよりも好むほど。山で見るヤマハハコや今時分の枯れゆくハルジオンなども好きです。
小野木学氏の「枯れたシリーズ(?)」はそんな素人の勝手な共感と共に惹きつけられた作品群でした。

2階 1章 「花のうつろい」
前述の枯れゆく草花。そんな姿もテーマとして設定された作品群となります。
是非とも、いきなり作品を観るのではなく、入り口に描かれた但し書きを読んでいただきたい。あるいは、先入観なしに一通り作品を観た後、但し書きを読んだのちに改めて作品に臨んでいただきたい。練馬美術館の学芸員の方が、いかに豊かな感性を持って企画を立て、作品を選び、展示されているのか、素人の私でも感じ取ることができます。著作権もあるでしょうから一部だけ抜粋すると、「花の美しさは花屋に並ぶ切り花のような観賞用に整えられたもののみには留まりません。」
その通りだと私も思います。
部屋の中には、例えば福井爽人氏作「冬の静物」。画風そのものはさほど好みでは無いものの、私の好きな枯れた紫陽花、そして枯れた向日葵がテーマに作品が描かれています。そんなテーマ室の中で私が気になったのは次の作品群。

須田悦弘 氏作 「チューリップ」

この大きな看板の作品。私は絵画だと思っていたのです。
しかし、これは木工になるのでしょうか?木と岩絵具で作られた彫刻作品です。
実際の展示では、写真のような無垢床の上に置かれているのではなく、どちらかと言うとのっぺりとした板の上に置かれています。ただ、照明により描かれるその影が、上の看板の写真よりも作品の魅力を増しています。表現されているのは枯れて花びらの落ちたチューリップ。その空間は緊張感を伴って時が静止し、観る人を作品空間に引き留めます。

本橋雅美 氏作 「立葵」
この時期によく見かける立葵ですが、純白のものを除いては、その派手派手しい花の色合いと姿を私はあまり好みません。しかし、この作品は、モノクロで描かれている故か、立葵のそのすっくと直線的に天に伸びる姿と花と雀が舞う姿に格調の高さすら感じさせ、絵の前からなかなか立ち去りがたい作品でした。


佐藤多持 氏作 「尾瀬沼の水芭蕉」「水芭蕉曼荼羅」
そのままの姿でも清楚で気品に溢れた姿を見せる水芭蕉。その水芭蕉を象徴的に描かれた作品群です。一番手前の作品「尾瀬沼の水芭蕉」はまだ水芭蕉の痕跡を残した作品で1952年の作。そして奥の屏風絵「水芭蕉曼荼羅」は、既に水芭蕉の形象を留めず、色彩のみを残しつつそのメタファーが描かれた作品です。
単に私が水芭蕉が好きだと言うのに止まらず、その作品のある空間に心地良く身を置いておきたくなる、ポスターでも構わないので部屋に飾っておきたくなる作品たちでした。


2階 2章 「雑草の夜」
どうです?作品名から取られたテーマですが、このテーマを設定された学芸員さんのセンスに嬉しくなってきませんでしょうか。こちらも、是非とも作品鑑賞前、鑑賞後のいずれでも構いませんので、但し書きを是非とも読んでください。

この部屋に、タイトル写真の佐田勝 氏作 「野霧」が展示されています。
ただ、ここで一つの疑問が。この作品は二つの絵で一対となって作品が構成されているのですが、展示会場では一面にまとめて展示されているのではなく、L字方の壁の右と奥に展示がされています。それが止むを得ないとしても、作品の並びが逆では無いかと思うのです。違和感の正体は画集を購入されてご覧になればお分かりかと思います。意図的なのかどうなのか。少しそれが残念に思いました。私の思い込みなのでしょうか。。

渡辺千尋 氏作 「線の繁み」
広い空間の一部に描かれた枯れ草の線描です。しかしその空間がなんとも言えず広がりと存在感を持って、絵に描かれていないキャンパスの上空の月明かりを思い起こさせます。お世話になっている京都の料理屋さんで、月そのものを描かずに月の存在を描いた漆器で何度かお吸い物を頂いたことがあります。描かれたものは全く異なりますが、同様の風雅を感じさせてくださいました。


2階 3章 「木と人をめぐる物語」

小柳吉次 氏作 「茲(じ)」
枯れた木の根が描かれた作品。それだけで枯れた根の好きな私(何でも枯れたものが好きと言うわけではなく、多くの場合はフレッシュな方が好きなのですけれどね。。)には魅力的な主題で絵の前に引き寄せられたのですが、この根の隙間のそこここに多くの生き物が住まいしている。メッセージ性の強い作品でした。

2階 エピローグ 「まだ見ぬ植物」

麻田浩 氏作 「蝶の地(夜)」
暗い、でもよく観ると多様な土の中に生きた蝶、死んだ蝶の羽根、貝殻、太古の化石、水の滴などが描かれている作品。
正直、素人の私には何を表現しようとされているのかは皆目分かりません。しかし絵の色調と描かれているものの割に、なぜか気味の悪さなどは感じず、なぜか穏やかな心地になる、不思議な魅力のある作品でした。

繰り返しになりますが、事前の予想を遥かに超える濃密さと心地よい余韻に溢れた展覧会でした。そして、もう狭い我が家の書架は溢れ返って居住域を侵食していると言うのに図録を買い求めてしまいました。しかし、練馬区立美術館では画集を作られていないことも多いように思うのですが、珍しい。

今、その画集を眺めつつ、作品を見た時の感情を脳の中に戻しながらこのnoteを書いていますが、改めて図録を買ってよかったと感じ入っています。と申しますのも、練馬区立美術館の木下紗耶子氏の「「植物と歩く」こと」という後書きに加え、植物名索引や作家の紹介が読めるから。こちらではその内容に触れませんので、是非とも美術館を訪れ、作品を愛で、図録も買い求めてください。

画集を買ったのち、再度展示室に戻り、ここで挙げたお気に入りの作品達の前に張り付いてしまい、美術館の方々にはかなり怪しい人間に映ってしまったかもしれませんが、決して(多分)怪しいものではございませんのでご容赦ください。


美しく枯れる草花は良いよねと帰路に近くの公園で撮影したハルジオン。やはり怪しいか。。


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