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サくら&りんゴ #125 不幸って何?

カナダ人のある知り合いのことである。

1991年生まれと言うから31歳になったばかりである。今は健康であるが内臓に奇形を持っている。遺伝的な不具合も見つかって新たに子供を作ることがためらわれている。一人目はまだ10代の時で、二人目の子どもが障害を持って生まれてきたことで初めてそのことが判明したらしい。その二人目の子どもの時に結婚をしたが、現在は破綻している。
両親は結婚せず、父は昔からのアル中で離れて暮らしてきた。そして母は重病である。

たまにうちに来てそんな自分の身の上話を単なるおしゃべりの合間に置いて行く。
私が驚くのはこの知り合いの大変な境遇の事ではない。
私の単なる思い込みの31歳の若者とはまるで違うという事である。

経済的にはもちろんであるが、精神的にとても自立している。私が見習いたいくらいに。
色々な事を知っていて、私にとってカナダはまだまだ新しい環境であることを差し引いたとしても、教えてもらうことがたくさんある。

そして何より人の事をよく見て考えている。自分の困難な状況への不満どころか、人の困難に手を差し伸べている。
日本語でいうところのどうして自分ばかりがこんな目に、と言うような言葉を聞いたことがない。もちろんもっと身近な人にはそんなこともこぼしてきているのかもしれない。私の知らない部分もたくさんあるだろう。
でも自分の人生をそのままに受け入れるその柔軟で強い精神そして優しい心に、私は尊敬の念を持たずにはおれない。

私が再婚を決めた時、娘は30歳、息子は29歳だった。二人とも家を出て独立していたが、結婚はしていない。そんな状況に母が私に、再婚をして育児放棄をするのかと非難した。

え?ふたりともとっくに成人していますけど?

子ども達が結婚して家庭を持つまで親としての責任があると。

母だけではない。姉からも、子供たちが30代と言う大変な時期に、(30代って一般的に大変な時期なの?人や環境によって違わない?)再婚してそして苗字まで変えて、どうしてそんな嫌がることをするのかと。子どもたちの事を考えろと
そう言って責められた。
姉の夫、義兄は、私の夫が日本に来た折に会ってもらういいチャンスかと食事に招待したが、ただの友達ならまだしも、子ども達が結婚もしないのに再婚した相手とは会わないと言って、食事会に来ることはなかった。義兄が直接言ってきたわけではなかったので、姉の意見だったのかもしれない。

彼女たちが考えるところの、こうすることになっていることを私がしないので、彼女たちにとって私はわがまま放題の育児放棄の母、子供たちを不幸に陥れる張本人であった。

カナダにいると、そんなこんなのそうすることになっているが 完全に覆される。

姉に価値観が違うからと一度言ったことがあったが、ずいぶん経ってから私に価値観が違うと言われたと大変憤慨したメールが送られてきた。

人はそれぞれに価値観が違うという価値観ではなかったらしい(ややこし)私に言われてから、ずっと根に持って怒っていたのに違いない(笑

あるときから自分の価値観だけで勝手に人のことを判断する眼鏡を引き出しにしまうことにした。
この歳になってやっとそんなメガネが無用であることがわかった。姉の価値観もこのカナダ人知り合いの価値観も、私の価値観で判断することはできないのだから。

きっと不幸に違いないと私が勝手に決めつけたこのカナダの知り合いからは、ひとかけらの不幸感も感じられない。私の狭い考えで勝手に不幸像に仕立て上げていたとは何とも愚かな私。
もちろんいろいろな対処で生活が大変だったりするだろう。けれどそれと不幸とは別なのである。

もちろん本当は不幸だと自分で思っているかもしれない。しかし彼女が不幸せかどうかなんて、私が決めることではない。。。。と言う価値観に至っている私である・・・(あ~ややこし)

カナダに帰国してすぐに植えたキュウリの種から芽が出てきた。
私はといえばこのキュウリが育ってくれることが、今は結構な幸せである。

土の中から出たばかりの芽に眩しいばかりの命を感じることができるから。


日本とカナダの子供たちのために使いたいと思います。