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春よ鯉

鯉が跳ねた。
僕の15mくらい先で、おそらく鯉が跳ねた。

しかし、僕はそれを見ることはできなかった。
視線の先には少しずつ大きくなっていく波紋しかなく、既に鯉は川の中へ戻ってしまっていた。
「ああ、見てみたかったな」と残念がりながらスマホに目を戻すと、もう一度鯉が跳ねた。
今度は僕と川の間にある障害物が邪魔で、体半分しか見えなかった。
そして、また波紋だけが僕の目に映った。

2度跳ねたら3度跳ねるだろうと、僕はスマホをベンチの上に置き、1度目と2度目の波紋の位置から、3度目に選ばれるであろうポイントを予測し、狙いを定めた。
もし他の場所で跳ねたとしても反応できるように意識しつつ、つまり柔軟な態勢で鯉が跳ねるのを待った。

しかし、それから鯉が跳ねることはなかった。
コンディションの悪いときの辻和馬なら「なんでだよ!!」と、少なからずイラついていたはずだが、今は春だ。
どこか時間がゆっくり過ぎているような気がする春という不思議な季節の間は、僕の頭の中でさえもポカポカ陽気な気分にしてくれるし、心に余裕を持たせてくれる。

「はー、鯉なんかに弄ばれてやんの!」と自分を小馬鹿にしながら、またスマホを手に取ろうとしたとき、ポカポカ陽気な気分を切り裂くかのように僕の頭の中で鯨が大きく跳ねた。
煌々と黒く光ったその巨体は、大量の水飛沫を伴ってダイナミックに跳んだ。

いつか夢の中で見た鯨か、はたまた昔小説で読んだ印象的な鯨のシーンが再現されたのか、たった数秒前の出来事であるはずなのに、もう一度その跳躍の様を思い返そうとしても既にその映像は消え去ってしまっていて、影も形もなくなっていた。

それぐらい僕の頭の中に現れた鯨は、あっという間に跳んで、あっという間に海へ戻り、波紋も残さずに消えて行ったのである。

また、数メートル先で鯉が跳ねた。
そう、おそらく、だ。
今度はイメージではなく現実世界で起こったことに間違いはないが、僕はまた見ることができなかった。


僕の好きな作品に鯨はよく出てくる。
タイトルに「鯨」というワードが入っている作品に惹かれるというのもあるが、物語の中で突然鯨と出会うこともしばしばある。

これまで読んできた物語の中では、登場人物たちは鯨と出会い、彼らを取り巻く諸問題や悩みがあれよあれよと解決されていく、というような展開が多かった、気がする。
あまり詳しくは覚えていないので(反省!)、これ以上の言及は控えておいた方が良さそうだ。
ただ、確実に言えることが一つだけある。

彼らは鯨に救われるのだ。

鯨が彼らのために何かをしてくれたわけでもなく、ただ泳いでいただけ、ただ跳んだだけ、にもかかわらず、悩める子羊たちはその鯨に救われるのだ。

しかし、僕は鯨はおろか、鯉の跳躍すら目にできないでいる。

「ああ、俺の人生では及ばないのだろうな。彼らのように苦しんでいるわけでもなく、のほほんと生きている僕なんかに鯨を見る権利はないんだろうな。鯉を見ることすら許されないんだろうな。」

先程まで僕を取り巻いていた春の陽気はどこかへ吹き飛ばされていったように、僕の気分はは落ちるところまで落ちた気もするが、そこはさすが春だ。

「ん、いや、今の俺では、かな。」
と、自分をちょっとだけ立ち直らせることがてきたんだから。


僕は自分のことを悩みなどない明快な人間だと思い込んでいた。
周りの友人たちの方が多くの悩みを抱えている気がしていたのだが、思い返してみれば「いや、なんでそんな勘違いをしていた!?」と自分でも驚いてしまうくらいに僕は多くの悩みを抱えていた。

大学を卒業して、つまりフリーターになって、僕の悩みはさらに増えた。
そして、その悩みは僕の頭からついて離れないものになっていった。

新社会人になった友人たちに比べて多くの事柄が全て自分に依存するのだから、悩むことは至極当然のことであるし、無いといけないものであるようにも感じる。
しかし、ここで僕は、雑誌か小説か、はたまたInstagramか、どこで見たのか全く覚えていないのに全く頭から離れない言葉を思い出す。

「悩むと自分をその場に止めてしまう。前に進みたいのなら、悩むのではなく考えないと!」

しかし、それがなかなか難しい。
理解はできるけど、実行するのはなかなか、だ。

だって僕には目標がないから。
いや、大学の先生の言葉を借りれば「北極星」がないから。

もっと正確に言うならば、北極星を見失ってしまったから、だろうか。

ひょっとしたら僕が僕を明快な人間だと評価していたのは、勘違いでも何でもなく、正当なものだったのかもしれない。
そのときの僕には、僕を迷わず突き進ませる何某かの北極星があったのかもしれないからだ。
だったら、僕は何か壁にぶつかってしまったとしても、「悩む」のではなく「考える」明快な人間で間違いなかったはずだ。

しかし、今の僕にはその北極星がない。
いつの間にか見失ってしまったそれを再び宿すことはおそらく不可能だし、その正体すら思い出すことはできないだろう。
だから、僕はまた新たな北極星を見つけるしかない。

そのために僕はnoteを書いて、写真を撮って、休日は必ずどこかへ出掛けている。
フリーターだから時間はたくさんある。
その膨大な時間をただただ消費するようなことはしたくないから、このようにして生活の中の何かしらに意味を与える努力をしている。

しかし、僕はその手段の中の一つであるnoteすら書き上げられないでいる。

何か書きたいことがあるからnoteを開いているはずなのに、書いている途中に自分を見失う。
noteを書き上げることすらできない自分と、鯉の姿すら見ることができない自分に嫌気が差して、一度このnoteを書く手を止めた。
今回もこれから何を書けばいいのか分からなくなったし、その状態のままに書き続けても無意味な気がしたから、だ。
そして、僕は川を後にした。


家に帰り、一通りスマホを眺めて(僕はスマホ依存症である)、「おまじない」という文庫本を手に取った。
発売してすぐに買ったが、まだ読み終えていなかったその短編集を、今日こそ読み終えてやろうと読書モードに切り替えた。

結論から言うと、この本のおかげで、僕はこのnoteを書き上げて公開するまでに至ったのである。
巻末にある西加奈子さんと長濱ねるさん(好きです!)の対談の中で、西さんがこう言っていたのだ。

最近はとにかく自分に正直であろうというのが指針になってるかな。小説は基本作り話、嘘なわけやけど、でも、嘘をついている感覚で書くことはしない。例えば「この表現もっと賢そうに見せたい」とか「作家として正しい態度であると思われたい」っていう自分の想いを小説に込めるのは、私の中で嘘やん、と思う。

僕はこのnoteを読んでくれた人に、「辻和馬って人は賢いなあ」とか「よく考えてるなあ、こいつ」とか、多少なりとも良い評価をしてほいいと思っていたことは否定できない。
しかし、自分ながらに今の僕が書く文章では、そのような高い評価を得ることができないことを理解していたからこそ、他者に見られることを自分が許さなかった。
noteを公開することは、僕の未熟さを露呈することと同義だった。
完璧主義を拗らせに拗らせていたのだ。

さらに、西さんはこうも言っている。

弱い自分を認めることは怖いけど、そうしないと自分を好きになれないと思う。

大好きな作家さんである西加奈子さんが、今の僕が抱える悩みに対する解を教えてくれた。
自分をできる限り良いように見せようと努力していた僕に対して、「自分に正直でいなさい」「自分に嘘をついてはダメ」と。
そして、noteを書き上げないことで自分の弱さから目を背けようとする僕に対して、「弱い自分を認めなさい」と。

僕は「おまじない」を読み終えた後、居ても立っても居られなくなって、さっきまでいたあの川に戻った。
そして、このnoteの続きを書き始めた。


僕はnoteを書き上げることができなかった。
折角書いた文章たちを公開することができないでいた。

僕は完璧じゃない。
22歳、大学を卒業したばかりの僕はまだまだ未熟だ。
今は、面白い文章を書けなくたっていい。
それを晒してしまって、ダメだったらダメで、次こそ面白い文章を書けばいい。
僕は弱い。
僕は弱い人間だ。
でも、弱いからこそ、僕なんだ。

そう思えた瞬間に、僕はnoteをここで終わらせる決意ができたし、noteを書く本当の理由にも気づくことができた。

僕は自分を救うためにnoteを書いている。
北極星を、目標を見つけるために書いているわけじゃない。
苦しんでいる自分に向かって、noteを介して必死にメッセージを送っているのだ。
西さんだって「誰よりも自分が救われたいと思って書いている」と言っているくらいだ。
僕のこの行為は別に変なことじゃないんだ。
さらに、これを公開しさえすれば、西さんがしていることと同じように、つまり僕が救われたように、どこかで似たような悩みを抱えている人をこの俺が救えるかもしれないもんな!!

と思ったその時、遂に僕はnoteを公開する決心がついた。
最後に投稿した1月末から約2ヶ月半。
僕は自分を自分で救ったのだ。


僕はnoteを書き上げることができなかった。
しかし、今回の僕はこうして書き上げることができた。
いつも通り途中で挫けてしまったし、何を書いたらいいのか分からなくなったけど、西さんの言葉と出会い、絶え間なく湧き出てくる「この文章が面白いのかどうか分からない」という恐怖心に何とか蓋をして、僕はこの文章を終わらせることができた。

この文章で全てが救われたわけではないけれど、ぐしゃぐしゃに絡み合った悩みの中の一本がスッと解けたという手応えはある。
それでいいじゃないか。

「これを続けていけば、いつかまた僕の中に北極星が宿るのでは?」と、これからの僕のフリーター生活に小さな希望を持ったその瞬間、春の温かな風が僕の頬をそっと撫でた。

ああ、そうか、今は春か。

ずっと僕を包み込んでいたはずの春と久しぶりに出会った気がした。
そして、それがなんだか嬉しくて、大きく背伸びをしたその時、僕の目の前で真っ黒な物体が跳んだ。

鯉かどうか分からなかった。
僕がやけに固執したあれは鯉じゃなくてブラックバスかもしれない。
でも、ブラックバスかどうかもわからない。

「あ、俺、魚に詳しくないや!!」

気づいたら、それは音となって僕の口から出ていた。

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