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【SEL】ノンジャッジメンタル(Non-Judgmental) 評価していることを受け入れる

最近、株式会社roku youさんのSEL勉強会に参加させていただいてます。
おかげで非常に学びの多い日々を過ごしております。
実はノンジャッジメンタルも、その勉強会で出てきたワードです。

ノンジャッジメンタル、日本語に置き換えると「判断(評価)しないこと」と言えるかもしれません。
この言葉を聞いた時、僕はすぐに
「相手を評価しないことだよね?」と判断(ジャッジ)しました。笑

しかし調べれば調べるほど、そんなに簡単なことではないことがわかってきて、ノンジャッジメンタルの奥深さと難しさ、面白さと重要性に気付かされました。
今回はそんなノンジャッジメンタルについて書いていきたいと思います。

🔶心は常に判断するもの

ノンジャッジメンタルと聞いた時、『相手の意見や行動』を評価しないことだと思われがちですが、私たちが常日頃に判断しているのは何も『相手』だけではないのです。
私たちは日々体験していることを全て全自動で判断しています。

もう少し具体的にいうと、
日頃体験しているありとあらゆるものを「良い」「悪い」「中立」の3つにカテゴリー分けしています。
そして、
「良い」と判断したものは、より多く求め、それに固執します。
「悪い」と判断したものは、拒否し、抵抗し、逃げようとします。
「中立」と判断したものに限っては無視します。笑
(こう聞くと、身勝手な生き物に聞こえますね笑)

上記の通り、このカテゴリー分けを心は常に自動的に行います。
これは悪いことではなく、
人の性格(好み)や価値観(モラル・道徳心)を育む上で重要な機能です。

しかし、お気づきのように(もしくは経験上わかるように)
極度にカテゴリー分けされた価値観は自分自身を疲れさせる原因にもなります。
例えば「こだわりが強すぎて自分の中で折り合いがつけられない」という方もいるのではないでしょうか?
また、固執した思考は他者との間に軋轢を生みやすいものです。

🔶ノンジャッジメンタルとは何か?

全自動的に判断するのが心の機能であり、それが悪いものでないとしたら、
ではノンジャッジメンタルとはなんなのか?

誤解されがちですが、ノンジャッジメンタルとは
「判断することをやめる」ことではありません。
「判断する心との関係性を変える」ことです。

ジャッジメンタルとは「判断」していることに自分自身が気づけていない状態です。
この状態の時は「判断」すると同時に「反応」してしまいます。「良い」と思ったら固執し求め、「悪い」と思ったら拒絶します。
その結果トラブルになったり、理想の状況から遠ざかってしまうことはよくあるのではないでしょうか?

では「判断する心との関係性を変える」とはどういうことでしょうか。
常に判断している自分に気づき、判断する自分の心を第3者目線で見れるようになることだと僕は理解しています。

判断する心を認知し、その心をありのまま全て鵜呑みにすることなく、
「自分の心はこう判断しているな」と客観視します。これにより「判断」と「反応」の間に思考のスペースを作ることができます。
その判断の背景にはどのような感情、原因、価値観があるのでしょう?
絶対の真理のように正しいと思っていた判断も、実は立場や見方を変えたら違う印象を持てるかもしれません。

反応を手放し、物事をありのまま見ることができるようになった状態がノンジャッジメンタルな状態です。

物事をありのまま見ることには様々なメリットがあります。
例えば、
「良い」ものを「良い」と判断していることに気づければ、その価値観に必要以上に固執することや、排他的にならずに他者の良いものに気づくこともできるようになります。

「悪い」ものを「悪い」と判断していることに気づければ、目の前で起きた物事に強い悪感情を感じることもなくなります。これにより日々の中で強いストレスを感じることは少なくなるでしょう。

「中立」なものを無視していたことに気づければ、今までは価値がないと感じていた物事に意識を向けて、楽しむことができます。 

🔶ノンジャッジメンタルと教育

さて、ここまでノンジャッジメンタルについて書いてきたのは、
この概念が教育には非常に重要だと感じているからです。

以前「全ての教育は洗脳」という記事を書きました。

教師や親は日々、言語/非言語問わず、様々な方法で価値観を相手に伝えています。
それは時に「私個人の意見」の枠を超えて、「世間一般的に」「常識」「正しさ」という強制力を持って相手に伝わっていきます。
意識・認知しているかどうかに関わらず、毎日毎日発し続けることで
教育には大きな影響力があると思っています。

だからこそ、自分が日々の体験をどのようにジャッジしているかを知ることは非常に重要な意味があると考えています。
自分の判断を客観的に理解することで、必要以上に相手に強制力を与えることなく、教育を行うことができるのではないでしょうか?

🔶どうすればノンジャッジメンタルを身につけることができるのか

まず、何よりも重要なことは人間はジャッジする生き物だということを受け入れることではないでしょうか?

「いやいや、他人も自分もジャッジしている自分に気づいているから大丈夫」と思った瞬間に
「本当に、、、?」と自問自答する癖をつけるのが僕のおすすめです。笑

そして次に難しいのが、
「ジャッジしている自分に気づくことができない」
という課題ですね。

ノンジャッジメンタルトレーニング:瞑想

これは色々な方法があるようですが、
一番多く紹介されている方法は瞑想でした。

瞑想にも色々あるので一概には言えないのですが、
思考を手放す方法でも、呼吸に集中する方法でも、
意識が逸れるたびに繰り返し自分の意識を元に戻すことが基本的な動作だと思います。

これを行うためには、自分を主観的に見るのではなく、絶えず意識が逸れる自分を客観的に見ることが必要になります。
この「自分を客観的に見る」練習が判断する自分に気づく練習になります。

やってみるとわかるのですが、
僕なんか、注意しててもすぐに意識が別のものにいきます。何度も何度も意識が逸れるので、これを繰り返し元に戻すのは結構いい練習になります。

ノンジャッジメンタルトレーニング:もう1人の自分(解説者)

これは最近人から聞いた話なのですが、とてもいい方法なので共有します。

ジャッジメンタルな状態でトラブルになる場合、自分が感情的が大きく揺れ動いていることが多いと思われます。
この方法は、そんな自分の感情が揺れていることを客観視する時に役に立ちます。

具体的な方法としては自分の感情を(可能であれば声に出して)実況中継するという方法です。
例えば、時間がない朝に焦ってイライラしていると感じたら
「かずきさん焦ってますね〜!非常にイライラしているようです。なぜこんなに焦っているのでしょう?」
と口に出します。

すると、口に出したことで一旦自分を冷静にみることができます。
これは最初慣れないうちは、忘れがちになったり、焦ってるよ!とイライラが続いたりしますが、
徐々に「なんでこんなに焦ってるんだっけ?」「急ぐ必要はあるけどイライラする必要あるっけ?」と客観的に自分を見ることができるようになります。

🔶まとめ

今回はノンジャッジメンタルについて書かせていただきました。
いかがでしたでしょうか?

ノンジャッジメンタルという言葉はコミュニケーション方法や相手を対象にした内容が多いのですが、
その根本は自分の思考に対して「常に判断していること」にどれだけ気づけているかでした。

簡単ではないですが、
判断している自分に気づき、一歩引いて考えられるようになった時
相手や物事を判断している自分に気づくことができるようになり、
最終的には、その判断を傍に置いた状態でコミュニケーションが取れるようになるのではないでしょうか?
ぜひ、試してみてください。

また、今回の記事についても
ご感想やご評価、皆さんのご経験などを伺えると大変ありがたいです!!
ぜひ、自由にコメントお書きください。

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