見出し画像

学校への希望と絶望

一昨日かな、
娘の話を聞いて、感情が荒ぶって、
もう学校が嫌い!ってなりました。私が。笑

私は元教員で、
小3娘が登校しぶりからフリースクール×学校のハイブリッドしていて、
学校教育今のままではいかんだろうということから始まり、

でもここ2年学校とやり取りしてきて
すごく学校も変化してるし娘のためにと考えてくれてるのを感じ、

あとほんの少し、掛け違えたボタンに気づきさえすれば
娘が行きたい学校になるはず。

学校に希望はある!

そんなふうに思っていました。

だから、

学校なんか行かなくていい
学校がこんなだからダメなんだ

みたいなネガティブな気持ちからではなくて、

希望があるからこそ学校教育へのアクションをしていこうと決めました。

決めたんですが、、
あの日の朝は怒りがこみ上げてきました。

そして

やっぱり無理かも…
私はが思っていたことは幻だったのかも…
私は間違っているかも…

って弱気になりました。


何があったかというと、

娘のランドセルを買ったときに
ミニランドセルがついてきたんですね。
娘はそれを気に入っていて
ランドセルにミニランドセルを付けていました。

いつなのかわからないのですが、
それにミニ学校セットを作って入れていたみたいなんです。

ミニ国語の教科書とノート、ミニ算数教科書とノート、
ミニ漢字ドリルにミニ自由帳にミニ筆箱。
紙で細かい物を作るのが好きで得意な娘らしい。

それが床に散らばっていたので、
何の気なしに「これいらないの?」って聞きました。

そしたら、口をとんがらせて

「うん、もういらない」
「だって学校に余計なものは持って来ちゃいけないって言われた」

友だちに言われたそうです。

余計なものって・・・
しかも子どもがそれを言うのか・・・

悲しいし怒りがわいてきました。


学校がそれを子どもに言わせていて
そして子どもを傷つけてる


そのことがめちゃくちゃ腹立たしい!!!


娘がどれほど傷ついていたのか、
正直このことに関してはそんなにではない感じでしたが、

でも、こういうことの積み重ねと繰り返しが
学校で毎日起こってるっていうことが、
ものすごく嫌だったんですね、私自身が。


何より、
娘の素晴らしさは学校のルールより下だと見なされてしまっていることが悔しい。

だって、ミニランドセルにミニ学校セットなんて、
発想が素敵すぎません???

ミニランドセルを見て、あっ!って思いついて、
あんなふうにこんなふうにしようと考えて、
材料集めて、夢中になって制作したんだと思うんですよ。

この時間の中に、どれだけ学びがあるか!!!

自分で発想したことが形になった喜びが、どれほどのものか!!!

(ここで涙が出る私は、きっとここに深い想いがあるんでしょうね)


その大切な時間、娘の成長や喜び、純粋な気持ちの表現が、
「学校に余計なものを持って来てはいけない」
というルールに押しつぶされてもいいのか!?

いいわけがない!!!


ルールありきになれば、
思いついたことも「なかったこと」になりかねない。

言われたことだけしかやらない、やれないようになってしまう。

そんなんでこれから生きていけるのか?
自分の人生に責任を持てる人になるのか?


娘の友達が家に遊びに来ることもあるんですが、
漫画を楽しんでいる娘に、
「漫画なんて読んじゃダメだよ、先生がいいって言ってないよ」
って言ってました。

その子が悪いんじゃない。
それを教えた大人(社会)が悪い。
でも大人も気づいていないだけ。
図らずもそう教えることになってしまった。
悪い人なんてそういない。

じゃーどうする?

私が言ったところで、
もちろん耳を傾けてくれる人もいるかもしれないけど
ただの普通の人、もしくは変人の戯言としてスルーされることもある。


これが怖いからなかなか言えないんだろうな。
だからまず子育てや教育の分野で物申せる人になりたい。
ここで書いてるだけじゃなくて、
面と向かって大事なことを大事なんだ!と伝えられる人になりたい。


これは修行ですな。

実は授業参観で感じたことがあって、(これもまた記事にしたい)
その後の懇談会でタイミングがあれば発言したいと
勝手にドキドキしながらいたけど、何も言えなかった。汗


やばい、私の課題の話になっていた・・・汗


話を元に戻すと、
今の学校という存在が教えるくれることは
学校のルールを守れない人はいけない人だ、であって

学校や先生が言ったことを守れる人を育てるところになってしまっている。

そこに「図らずも」というのを付け加えたい。

ここにこれを明示することも憚られるのだけど、
今の私の考えはそこに行きついた。

誰もそんなふうにしようとは思ってない。
一人ひとりを大切にしてくれている。
本当にそれはそう思う。

ただ、
集団生活や集団行動をどれだけ「きれい」にやるか、
そこに意識が向いているんじゃないかな。

かつての教員だった私もそうだった。
保護者にも管理職にも教育委員会にも見られている
っていうのもあったしプレッシャーが半端ない。

きれいにしようとするのもわからなくないのだ。

でも、それ以前に、
教師の仕事は子どもたちに力をつけること。
それは学力や集団を乱さない力だけじゃない。
もっともっと大事な力がある。

それも先生たちは気づきながらもやっている。
今を見ても過去を振り返っても、そう思う。

だからこそ私は
希望をもって進んでいこうと思ったんだった。


でも、やっぱり根深い。
そう簡単じゃない。
希望と絶望が隣り合わせなのを感じてしまった今回。

それでも思ったならやってみる。
娘の純粋な気持ちの表現を大事にするように、
自分の純粋な湧き出る想いを引っ込めるわけにはいかない。


芽生えた気持ちやそこからの行動こそパワフルなのに、
なんで決まった枠の中に収めないといけないのか。

思いついたことをまず実行してみることは最重要。
うまくいけば自信になるし
うまくいかなければ修正する力もつく。


子どもたちにそう思っているのなら、
自分が体現しないでどうする。

もちろん、不安やこわさも抱えながら。
それすらも大事にして進んでいきたい。

みなさんの学校に対する想いや考えも、ぜひ聞かせてください!


教育への想いシェア会オフライン開催


「教育への想いシェア会」
昨年までのべ100名の方と教育について語り合ってきましたが、
こちらも再開しようと思います。

私の想いも語りますが、みなさんのこともぜひお聞かせください!

日時:6月11日(日)10時~12時
場所:オンラインZoom
参加費:無料

⇩ お申込みはこちらから。

https://bit.ly/42BPG5B


また、
子育てのこと、教育のこと、これからの生き方のことなど
公式LINEでコラムやイベントなどお届けしています。

⇩ ご登録はこちらから

https://lin.ee/cBFMgtX


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?