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人間の鳴き声はヤベェヤベェになりそうだから怖いと思ってる。

情報過多の時代に、文字表現はより身近になっていて僕らが触るスマホの中には沢山の言葉が溢れている。
誰でも発信できる時代になったが、発信される言葉は単一化されて表現としては簡素化されているようにも感じる。

僕は、この数年で「ヤバい」ってかなり都合の良い言葉へ進化したなと正直思う。
五感で感じたものの良し悪しを表現する上で「ヤバい」を用いることが多くなった。しかも、良しであろうと悪しであろうと「ヤバい」で通じる。

初めて見た景色に視覚が反応し、
その良さに「ヤバい」という。その悪さに「ヤバい」という。
初めて聴いた音楽に聴覚が反応し、
その良さに「ヤバい」という。その悪さに「ヤバい」という。
初めて嗅いだ匂いに嗅覚が反応し、
その良さに「ヤバい」という。その悪さに「ヤバい」という。
初めて触った素材に触覚が反応し、
その良さに「ヤバい」という。その悪さに「ヤバい」という。
初めて味わった料理に味覚が反応し、
その良さに「ヤバい」という。その悪さに「ヤバい」という。

僕らは五感とその良し悪しを含め十種類の感情を「ヤバい」ひとつで表現していることになる。これはかなり「ヤバい」と僕は思う。
もはやゲシュタルト崩壊をおこしてしまい、「ヤバい」ってどういう表現なのかさえ分からなくなるくらいに。
ヤベェヤベェ言ってたら通じる世の中だ。通じるし良いかもしれないが、どこもかしこもヤベェヤベェと言ってることを客観視してほしい。
僕は動物の鳴き声かと思う。
カラスはカァカァ。スズメはチュンチュン。
人間はヤベェヤベェだ。

PISAの調査により日本人の読解力はかなり落ちている結果が出ている。僕らは徐々に緩やかに言葉の意味を理解することができなくなっていっている。
この読解力の調査が故に分かることも多い。例としてだが、若者の理解力が足りないとか何で分からないのかという話がたまに出る。
これも読解力が落ちていて文章表現の意味を理解できずにいることが一因としてある。※若者をバカにするつもりはないです。例です。
この場合、僕らは関り合う上でスペックが違うことを理解しないといけない。

「以上」「以下」「未満」「まで」「から」
僕らはその数字が含まれるか否かをしっかりと把握できているだろうか。
そしてそれが重要なことと思っているだろうか。

正直、こういうのが曖昧でも問題ない感じがあったりするよなと思う。

日本語は主語がなくても通じる言語であることも結構怖い。

”私は” ”〇〇さんが” ”嫌いだ”
”□さんは” ”〇〇さんが” ”嫌いだ”

主語をぶっ飛ばせば ”〇〇さんが嫌いだ” となる。
通じる。こういうのってフェイクニュースで多い内容だし、その人の発言を文章化して、都合の良いように切り貼りすることが御家芸のようになっている。

YouTubeが掌にある時代。音声系メディアも流行ってきている。
僕は言葉の表現が狭くなっていくことは避けたいなと思う。

みんな本を読まなくなるのは寂しい。素敵な表現があって、それは言葉で発すると言葉もとても良い響きだったりする。それが教育で養われていた時代から、アートに触れ感受性を磨くことでしか拡張できない時代になる。

良い本を読んで、良い映画を観て、良い絵画に触れることの重要性は大きい。

そして、その感想を「ヤバい」で表現しないことの重要性はより大きい。

今日、美味しいものを食べたとしよう。

今日だけでも「ヤバい」って言わないで表現してみてほしい。

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