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ベストかどうかは過ぎてからしか分からない。だから僕は、ベターな方を選択する。

安倍元首相の銃撃事件が、世間をザワつかせている。
政治については、そこまで詳しい方ではない。安倍さんの人柄についても。

安倍さんが、良い人なのか悪い人なのか知らないし(6,7年くらい前に報道番組の生中継にて多忙で余裕がなかったのかニュースキャスターからの質問に角が立つ口調で返答していたのはあまり良い印象を受けなかったが)、見知らぬ男に銃で殺害されなければならないような酷い罪を犯したのかどうかも僕にはよく分からないが、

いずれにせよ、今回の事件は絶対に起きてはならない事であったことに変わりはない。

長年、国民のトップに立ち、持病を患いながらも、辛いときも大変なときも闘って来られた方の“人生の最期”と考えると、なかなか割に合わない死に方だったのではないかと大変お気の毒に思う。

今回の安倍さんの一件で、「死」や「別れ」について考えさせられた国民は多いのではなかろうか。

この事件が起こる数日前、僕はある人のことを考えていた。

奇跡かと思えるくらい沢山の共通点があって、まるで“もうひとりの自分”のように思っていたその人。

一年間応援し続けて、会えたのは“たったの一度だけ”のその人のことを。

その人は、安倍さんのように死んでしまった訳ではない。いまもどこかで生きている。

その人には、人生を懸けて叶えたい夢を追い掛けながらも同時に自身と引き換えにでも守りたい愛する我が子がいた。困難な状況下でその両方を抱え葛藤しながらも、僕らの前では明るくて元気な姿を見せてくれた。

少し心配にはなったけど、頑張ってるその姿を遠くから見守っていて、僕は幸せな気持ちだった。

しかし、その人は僕らの前から消えてしまった。
理由の説明も別れの挨拶もなく。

僕の心には、ぽっかりと穴が空いてしまった。

裏切られた訳ではない。
その人自身も、きっとその場所にいたかった筈だし、周りの仲間たちもきっとその人のことを助けようとしただろう。

しかし、それでもどうにもできない何かがあったのだろう。

せめて相談してくれれば、話してくれれば、即解決は無理でも僕にも何か力になれることがあったんじゃないかという悔しさと虚しさがない訳でもない。

だが、僕らには事情を話さず“黙って消える”ことすらもその人の意思である限り、尊重するしかない。

幸い、その人には、消えてしまう前に精一杯の想い、感謝、応援の気持ちを伝えることができたので、僕には後悔は一切ない。

幸せでいて欲しい。
ただただ無事に、生きていて欲しい。
時が来たら、また頑張っている姿を見せて欲しい。


人生には、出会いも突然やって来るし、同じくらい別れも突然やって来る。

いつも、当たり前に会えているその人に、明日も会える保証なんてどこにもないのだ。

だから、

会いたい人には、会いに行けば良い。
伝えたい想いは、ちゃんと言葉にして伝えた方が良い。

もし会いに行ったら、
胸の奥のその想いを伝えてしまったら、

嫌われてしまうのではないか?
ギクシャクして気まずくなってしまうのではないか?

そう迷うこともあるかもしれない。

どちらを選べばベストなのか?と、悩むこともあるだろう。

しかし、ベストかどうかは過ぎてからしか分からない。だから僕は、ベターな方を選択する。

後悔しないために。

人生は一度きり。ひとの一生なんて、たかが知れている。

だから、ある程度は自分よがりに生きていても良いのではないかと、僕は思う。

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