これまでの「私」の人生。そしてこれから…
私は自分自身がよくわからなくなることが多々ある。それゆえに、憂鬱になることがこれまで生きてた人生の中で何度かある。しかし、それは自分への成長の壁であり、乗り越えなければならない試練でもある。私は昔から集団の中で揉まれて生きるより、個々の世界で生きるほうがどちらかというと好きであった。それゆえに自分自身と向き合う時間がたくさんあり、自分を知ろうとしてきた。現在21歳であるが、これまで生きてきた人生の中で、壁を乗り越える度に、「私」という一人の人間の変化を受け入れ今まで成長してきた。そして二十歳を超え成人し、ある程度我が身の胆も据わり、「私という人間がどうあるべきか?」など少しずつ自分自身を理解してあげれるようになってきたこの頃である。
とは言え、要するにめんどくさい性格である。こういう性格上たまに病む時があるのだが、不謹慎にもそういう時に思うのが…
自分はどうして人間として生まれてきたのか?人間ではなく他の動物として、この世に生まれてきたかった…
こういった、人間として生きて行くこと自体に否定的になることがある。
このような人間になってしまったことのひとつの原因とも思っていることがある。それは幼き幼児の時に体験した事件である。その事件以来、幼き日の私のまだ何も知らず汚れのない心の隅に、人間の闇を開花させてしまった。そのことについては目次にもあるように後々語っていく。
そうした中、この21年間で私というひとりの人間はこれまで幾度も変化してきた。それは良くも悪くもあり、これから語ることはそんな21年間の人生の中での一部のストーリーでしかない。けれども、多くの人に私がこれまで生きてきて体験したことを共有することは良いことだと思っている。他人の人生を知ったところで自分には関係ないと思う人もいるだろう。けれども、私自身が誰かの人生について調べてり、聴いたり、観たりすることが良くある。それは単純にその人がこれまでの人生でどう生きてきたのか?どういう価値観を持っているのか?という単純な好奇心による興味からがほどんどである。しかし、それらを知ることにより少なからず私は大きな刺激を受けてきた。「同じことを私もしてみよう!」だったり、「将来こうなろう!」など様々である。人の良いところは誰かの影響を受けて、それがキッカケで自分自身を変えることができることでもあると思っている。だからこそ、私がこれまでに多くの人の人生に触れて影響を受けてきたように、多くの人に私の人生の一部を共有し何かしらの影響を与えればと思いこの記事に至る。
▼目次
01.幼き幼児期の"とある”事件
02.人間関係0からの小学校生活スタート
03.はじめて起こした「自分革命?」
04.青春を捧げた高校生活
05.そしてこれから…
・幼き幼児期の"とある”事件
私は元々通っていた幼稚園を辞め、家の近くの保育園に通うことになったことがあった。その時、なかなかみんなと打ち解けれずにいた。しかし、そんな私でも近所に住んでいた子がおり、その子とよく遊ぶようになった。いつの間にか仲良しになりよく家で遊んだりしていた。そんな中、あるひとりの同じ学級の子が僕に話しかけてきた。それをきっかけにその子とすごく仲が良くなり、一緒に遊んだりして楽しい日々を送っていた。そんな中、事件は起こった。
それはある日、突然その子が…
【今日でA君(私)とずっと遊ぶのは辞める。明日からはB君と仲良くするから、B君と遊ぶ。他の人と遊んで!】
あまり不鮮明であるがこのようなニュアンスで突然言われた私は…何言ってるのか理解出来なかった。深く理由を聞くと、みんなと仲良くするために仲良くなる期間を決めて、一週間ごとにローテーションしていたらしい。つまり、たまたまその期間が僕だったそうだ。
その時の言葉、顔、そして言われたときの感情は21歳になった今でも覚えている出来事である。それ以来、私の中の心の隅に、人間の闇が染み着いた。
そんな出来事があったが、なんやかんやで楽しく幼児生活を過ごしたと思う。そして幼稚園を卒園し、小学校に進学することになった。しかし、引っ越しの関係でみんなとは違う小学校に行くことになり、人間関係0からのスタートになった。
・人間関係0からの小学校生活スタート
小学校に入学したての頃はドキドキで一杯であった。不安と期待の入り交じった緊張だった。小学校にもなると、少しずつ体も心も成長していく。おまけに、思春期とやらが芽生える時期でもあり、何かに対して恥ずかしいと思ったり、当然誰かを好きになったりと恋心を芽生える時期でもある。要するに成長という名の心身が複雑化し始める時期である。
そうした中で、小学校生活もそれなりに楽しかった。
はじめて誰かを好きになる「初恋」
はじめて習い事をやる「サッカークラブ」
はじめて学ぶ「勉強」
はじめて食べる「給食」
はじめて経験することは自分自信へ大きな影響を与える。そして自分自信への変化も齎す。それは良いこともあれば、当然悪いこともある。本来ならば良いことだけならいいが、そういかないのがこの世の中。試練を乗り越えることで人は成長するが…
小学校にもなると幼稚園の時よりも人間社会は複雑化する。そして、徐々に人の闇の部分も露わになってくる。はたして私にとってそれらの経験はプラスになる経験であったのだろうか?具体的な例をいくつかあげると…
他人と違うことをすることに対して、抵抗を感じ、それを恥ずかしいと思う。
集団でいることが普通であり、独りでいることは変であるという認識を持つ。
なぜ人の悪口や陰口を平気で話したりするのを、本人の前で言うことはなく、必ず誰かに愚痴るのだろう?といつも不思議に思う。
休憩時間にひとり読者をしていると「何で読書やってるの?」と聞かれ、これはダメなのことなのだろうかといつも思う。
などの周りの中での常識に対する偏見を持っていた。
こういった経験は自分を成長させるものなのか?ほんとうにそうなのか?正しくもあるし、そうでもない部分もある。私と同じように思ったり、経験したことがある人も少なからずいるはずだ。しかし、これらは世間一般的にはいけないことという認識であり、本来このような不満や感情を抱いてしまうこの世の中がおかしいのだ。しかし、そこで根暗になり自分を否定し自分を自信を殺してしまっては何も成長にはならない。少なからず今だからわかることではある。しかし当時の私は自分に負けた。これらの小学校生活を思い返し、簡単にまとめると、本来の自分自信を周りの常識に合わせるために無理矢理自分自身を変えようとしていた。楽しいこともたくさんあったが、心の中で窮屈に感じることも多々あった。
そう…自分がおかしいのだから周りに合わせよう…中学校に入ってもその意識を捨てることなく入学して行った。
・はじめて起こした「自分革命?」
中学にも入学すると、環境は一変する。制服、部活、勉強、そして何より人間関係。私の通っていた中学は四つの小学校校区から編成されており、初対面の人もたくさんいて、すごく緊張していた。最初の一年生の時のクラスは、三年間の中で一番悪かった。なぜかというと、入学して早々私を貶す人物が同じ給食を食べる班にいたからである。詳しくは書かないが、まあ給食を食べるときは苦であった。本人は楽しそうに貶してくるが、それを普通のことのように思っていること自体狂ってると思っていた。俗にいう「性格が悪い人」である。
前書きはさておき、本題に入っていく。題名にもあるように自分革命?という言葉に「どういうこと?」と思った人もいると思う。そして、なぜ「?」をつけているのかは、先を読み進めていけばわかる。
これは、私が中学二年生の時の話だが、このクラスは一年生の時のクラスと比べ、とても楽しかった。三年間の中で一番良かったと思う。しかし、どんなに良いといっても明るい部分の裏には闇が潜み、存在するのが、中学の集団社会。そして、自分革命の時は起こる。
当時の私のクラスは月に一度席替えがある。それにより、隣に座る人や給食を食べる班を決めたり、グループ活動の班を決める。そこで、どうやって決めるのかというと、班長というものを立候補制で決め、その班長になった人が月の終わりに集まって、担任の先生と決めるものであった。しかし、私が班長になって、その集まりに参加した時に、そのやり方にとても嫌悪感を抱いていた。そのやり方はまさに、独断の決めつけによる偏見のオンパレード。
ある人は…A君は頭が悪いから、頭の良いB君と隣にするべき…
ある人は…C君はD君と仲が悪いから仲の良いE君と同じ班にするべき…
ある人は…私はAさんと一緒の班になりたいからAさんがいい…
あまり、覚えてはいないがこのような感じのやり取りであった。私はとてつもない嫌悪感から終始何も発言しなかった。何より、先生が何も言わないことにも不満を抱いていた。どうして勝手に決めつけるのか?そして、本人がいない場で間接的に言い合うこの場をおかしいと思わないのか?そして、何よりこういうやり方をしていると順位というものが自然とつく。いわゆる人気の無い人であり、そういう人は最後まで余る。そして、その人気の無い人、または嫌いな人を自分の班に入れないように他に擦り付け合う。当の本人は擦り付け合われていることを知るよしもないが、そこではそれが起きている。実に恐ろしいことだ。
そして、家に帰宅した。しかし、その日はどうもやりきれない気持ちで一杯であった。中学の集団社会はこのようなことはどこでも起こり得ていたことだったのに…そして、夕食時にその日の出来事を母に話した。そうすると、なぜだかわからないが自然と涙が出て、泣いた。他人に対して同情し涙を流すのはこの時がはじめての経験であった。たぶん、いつもの私なら何も言わずに心の中に閉じ込めていつの間に気にもしなくなっていただろうに…話をした後母はそのことを先生に伝えるべきと言って、学校にいる仲のいい先生に電話をした。そしたら、その先生が担任の先生に言ってくれて、翌日みんなの前で話すことになった。ちょうど給食時間の前ぐらいにその時間は設けられ、話すことになった。いざ、みんなの前に出て、教卓から話をするのは緊張した。けれども、思いの丈を話すやいなや、私は号泣していた。悲しくて泣いているのではなく、気持ちが楽になったから泣いていた。体の毒が抜け出ていくよう。そうすると、仲の良い友達や複数人も泣いていた。そうして話し終わり、先生が話した。この時のクラスの雰囲気は団結しているような良い雰囲気だった。しばらくの間は、みんなの意識も変わり積極的に助け合うような関係性だった。でも、それも一時的なものであり長くは続かない。時間が経てば意識も薄れ元に戻っていく。それを実感した時には、病んだ記憶がある。前と同じように誰かを意味嫌い仲間はずれにし、陰で悪口をいいグループで固まり自分の居場所を確保する。こういう風に戻ってしまい「人権学習って何だろう?」「私が前で話した意味あった?」と様々な闇を抱えていた。けれども決して無駄ではないと思っている。
その人の個人に根付いている性格や人格はそう簡単には変わらない。ブームやトレンドのように一時的に火がついて人気になることはあっても、いつかは衰退し変わっていくものであり、私が皆に訴えた自分革命も似たようなものだと思っている。けれども、今振り返ると、小学校までの私なら自分に負けていた。自分で押し殺していただろう問題に真正面から向き合い行動に移した。それだけでもその小さな一歩は私を人として、一段成長させるキッカケにもなった。しかし、その後は実際に起きた一時的なトレンドの現実を知り、あまり他人に対して深入りするのはやめようというマイナスな気持ちになっていった。そしてあまり気にしないように中学校生活を終えた。結果的に良くも悪くもあるため、「自分革命?」と定義している。
中学三年生になると、高校受験がやってくる。そんな中私が選んだのが高専である。高専志望は私一人のみだった。結果的に高専には推薦入試で落ちて、学力入試で入学した。この高校生活+短大生活(高専生活)も人間関係ゼロからのスタートとなった。
・青春を捧げた高校生活
高専は自宅から遠かったため、寮に入り寮生活での学校生活となった。学校生活や寮生活でのことを書くと長くなるので省略し本題に入るが、題名にもある通り、私は高校時代(高専一年~三年の間)にヨット部という風を操り帆で操作して競う競技の部活に入部した。元々小中サッカー部だったが、個人種目をしたいと思い、高専合格してから入学前には入部するのを決めていた。「なぜヨットなのか?」というと単純に珍しいスポーツで面白そうだったからである。けれども、その選択が後々後悔を生むはめになる。
当時、ヨット部は私の学校で唯一強化指定種目に選定されている部活であった。つまり、ガチな部活である。指導者も県の連盟の外部コーチであり、練習もハードであった。基本的に休みは木曜日のみ。土日は朝から晩まで練習だった。このヨット部時代を詳しく書こうと思うといくらでも書ける。楽しいことよりも辛いことのほが多かった。むしろつらい経験しかない。けれども、ひとつ言えることとしてその時の3年間は私がこれまで生きてきた21年の間の中で最も濃い時間であった。なぜなら、辛い毎日であったが思い返せばすごく充実していたからである。
私はこれまでの人生の中で何かに対して本気で取り組むことがなかった。しかし、そこでは私を本気にさせるものがあった。それらは、環境でもあり、コーチという存在でもあり、チームメイトや先輩、そして自分を支えてくれた家族・寮務の方や寮食のおばちゃんでもあった。そして一番に得たものとして、何かに挑戦するということは誰かの協力や支えが必要であり、それらに感謝する気持ちを忘れてはいけないことを学んだ。綺麗ごとのように聞こえるかもしれない。けれども、これは誰もが一度本気になり挑戦すればわかることでもある。人は誰でも今ある環境が当たり前のように思いこむ癖がある。当然私自身もそうだ。けれでも、世の中すべては誰かのおかげで成り立っている。感謝して生きるのは当たり前である。けれども、それを忘れてしまっている。その感謝の気持ちという当たり前のようで忘れがちなものに気づけ感じたことは、ヨット部を辞めずに続けてきて良かったと思う。
そんなこんなで、長々とこれまでの人生について語ってきた。けれどもこれらはほんの一部であり、まだ無数にある。しかし、これまでの自分の人生の中での代表的なものを抽出し語ってきた。そして、これを最後まで読み進めてあなたの何かしらの良い影響になればいいと思っている。
・そしてこれから…
ここまで読み進めたということは何かしら面白かったからここまでたどり着いたと思う。私は現在将来フリーランスとして生きていく目標があり、現在色々なことに挑戦している。当然成功するなんて微塵にも思っていない。しかし、例え失敗し、挫折したとしてもこの経験はわたしのこれからの永い人生の糧になると思っている。そこで厚かましいですが、最後の一文を有料にしているのは、ささやかでもこの文章が面白くてお金を払う価値があると思ってくださった方のご厚意で寄付してくれたらと思っている。寄付していただいたお金は将来のための自己投資金として使わせていただく。
長々と語ってしまいましたが、次からは短編的なものも投稿しようと思います。それでは、どうぞよろしくお願いいたします。
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