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ヒットには「なのに」が必要な理由

感想のなかに「なのに」があるコンテンツは、ヒットすると考えている。
たとえば、「片づけの本なのに、生きるのがラクになる」「過激な発言で注目される人の本なのに、どこか親しみが湧く」「子どもむけのアニメなのに、大人が泣いてしまった」「特撮映画なのに、大人の社会が描かれていて面白い」などなど。
本や映画、ドラマなどジャンルを問わず、感想に「なのに」が入ると、多くの人に広がっていく。

なぜなら、自分の価値観や属性とは異なる人に勧めやすくなるから。
人は誰しも、自分が「良い!」と思ったものは、他の人にも勧めたくなるもの。
でも、たとえば自分が営業だとして、営業の本を読んで「良い!」と思っても、営業ではない知り合いには勧めづらい。
しかしそこに、「人づきあいの根源的な要点」や「商売における成功法則」「顧客とのエピソード」とか入ってくると、どうなるか。

「営業の本なのに、あらゆる人づきあいに役立つコツが載っている」
「営業の本なのに、経営者から見ても共感できる」
「営業の本なのに、なぜか泣けてしまう」

「だから、よかったら読んでみて」

と、自分とは異なる属性の人にも勧めやすくなる。
つまり「なのに」が、自分と他者をつなぐ架け橋になる。

「なのに」は、要するに意外性だ。
「こう思っていたけど、違った」というギャップが、この言葉を生む。
では、「なのに」を生むにはどうすればいいのか。
企画段階で意図的に仕込むという方法もある。

「子どもむけの映画だけど、大人も共感できるものにしましょう」
「サスペンスドラマだけど、コミカルなシーンも入れましょう」

そう考えると「ペルソナ」って一人に決めないほうがいいなと思うけど、それはまた別の話なので、いったん置いておこう。

こうやって意図的に「なのに」を作り出せる人もいるけど、実際、なかなか難易度は高い。
あと、受け手側にその意図が伝わると、シラけてしまう。
「はいはい、ここで泣かせようとしてるのね」
意図が伝わってしまうと、受け手はそのようには動いてくれない。

いちばん良い方法は、「無駄」を大事にすることなんじゃないかと思う。
意図とか狙いとかないけど、「なんかわかんないけど、こうしたい」という気持ちを大事にすることだ。
「営業本にはテクニックが大事なのはわかってるんですけど、それよりも、営業をやっていて嬉しかった瞬間とか、そういうものを大事にしたい」
「ホラーなのはわかってるんですけど、なんかふざけたくなっちゃうんですよね」
本来のテーマに沿わせるなら、そういった「無駄なこだわり」は排除していくべきだろう。
でも、その無駄が、本来のテーマとは異なるギャップ、「なのに」を生むのではないかと思う。
本線から脱線するから、目的地とは違う場所にも届くようになるというか。

自分の仕事(本の編集)に落として考えると、「無駄」を残すって、けっこう勇気のいることだ。
とくにビジネス書は、元来、「結果まで最短距離で行くために読むもの」として扱われてきた。
ノウハウや主張における意外性は必要だけど、「こういう本だと思ったけど、違った」なんて意外性は求められていないのかもしれない。
でも、対象読者が求めるものに特化した内容、つまり無駄のない内容だと、一部の読者には喜ばれたとしても、そこから広がりはない。
そして読書人口が減っている現代では、一部の人にだけウケても、なかなかヒットにはならない。

だから、「無駄」が必要なのだと思う。
これは「余白」とも言い換えられるだろう。
対象読者以外も楽しめる余白だ。
これがあると、「営業の本なのに泣けるから、騙されたと思って読んでみてよ」「文章術の本なのに笑えるから、読んでみてよ」と、人から人へ、本が広がっていくのだと思う。

著者さんのなんだかよくわからないこだわり。
編集者の「こんなことやってみたい」という謎の思いつき。
案外それを大事にすることが、読者の想像を裏切り、一人歩きしてくれる本をつくるには、大事なのかもしれない。

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