【挑戦という生き方:3】 自分のラベル
ラベル。洋服や商品に付いているラベル。
人々は、このラベルでその商品をその商品として認識する。
「この洋服は、カシミヤ100%で、イタリア産の高級素材だ」
「この惣菜は、化学添加物が入ってない、体に良い商品だ」
大半の人が、ラベルに書いてあることを信じて商品を選んで買うし、実際に間違っているかどうかなんて、僕たち素人には分からない。
10年くらい前だっただろうか。食品の偽造表示が問題となった。
ラベルには「〇〇というお菓子」と書かれてはいたが中身は偽物。
その時は、ラベル表記を偽り、「社会をごまか」そうとした経営者の不正が直接の表面上の原因だった。
しかし、こうした問題は、食品だけの問題なのだろうか?
世間や周りの目を気にし、自分に偽装のラベルを貼っていないだろうか?
それは、社会の目ではなく、自分自身の目をごまかすために。
なぜ、そう思うか。
それは、実際に僕がそうだったからだ。
今回の記事は、クラフトチョコレート事業立ち上げの本題とは直接が関係ない。
事業立上げの周辺ストーリーだし、おまけに僕の超個人的な内容で赤裸々な内容だ。
事業立ち上げまでのノウハウとしては為にはならないかもしれない。
ただ誰においても直面するかもしれない、新しいことを挑戦する際に遭遇すること、僕個人の場合でも直面した「人生の偽装ラベル」という話を、もしかしたら誰かに役に立つかもしれないと思ったので、やや本題から逸れるが、今回紹介しようと思う。
■挑戦なくしてワクワクなし。ワクワクなくして人生の意味はなし
僕は挑戦が好きだ。挑戦を通じて味わえるワクワク感、成長、新しい価値観や考え、そして達成感が好きだからだ。
僕が初めて社会人として新卒で入社し、3年間を過ごしたアクセンチュアでは挑戦の連続だった。
アクセンチュアでは色々な貴重な経験をした。優秀で大切な同期や後輩とも出会えたし、尊敬する大先輩や、パッションがあり頭も切れ行動力も凄い方にも出会うことが出来た。
仕事にしても、自分が憧れていた企業(○二クロというクライアント様)の最先端のコンサルティングプロジェクトに、初めての仕事として参加することができた。
また、興味があった教育分野のプロジェクトにも、全くの無経験にも関わらず、寛大な上司との出会いもあり、主要メンバーとして関わらせていただいた。
(超絶Sキャラのスーパー女性マネジャーKUGAさん、スーパー戦略コンサルのFJさん、The江戸っ子べランべえ口調の天才頭脳なMD海老原さん、お元気なのだろうか)
そして、その過程で、ビジネスパーソンとしての基礎力を身につけた。だから、勢いで退社した感があったのが、心残りなくらいだ。
アクセンチュア退社後は、実家の建設業の会社に入ったが、特別な思いや理由があったからではない。実家は公共インフラ業界の会社だったが、重厚長大的で安定的で変化が少ない(求められない)業界と、僕の性分が合うはずがなかった。
■思考と感情の狭間:人間は感情の生き物だと思う
それでも実家の会社に戻ったのは、長男であった僕に、家業を継ぐことが当然の期待としてあり、それに従うことが良いことだと“自分自身に思い込ませていた”からだ。
そして僕も周りからの期待に自分を合わせようと努力をした。
星野リゾートの星野さんや、ファーストリテイリングの柳井さんのように、イノベーターとしての「次世代のかっこいい後継ぎ」の姿を目指そうとしたり、仕事自体に誇りを持つように考えるようにした。
しかし、人間は感情の生き物だと思う。頭で納得させようとすればするほど、自分の感情とギャップが大きくなる。そして人間は感情の生き物だから、頭だけでは、良い思考も、良い行動も、良い結果にも繋がらない。
その結果僕は、実家の会社に戻ってから、誰にも相談できないような孤独感や苦しみが、徐々に自分の中で大きくなっていくのを、感じるようになっていた。周りからの期待、自分自身の感情のギャップにも苦しんでもいた。
■選択において納得感と損得勘定は、どっちが優れている?
僕はここまでの人生、学校の勉強も、進路も、就職も、趣味も、恋愛も、なによりもキャリアや仕事の選択も、自分が納得したことだけをやってきた。
損得勘定以上に、自分が納得したことだけをやっていた。
それで学校の先生から怒られたりしたし、学校の成績、高校進学の時は苦労した。アクセチュア時代も、出世しやすいビッグプロジェクト、予算も豊富で大規模なチームに入ったにも関わらず、それらを捨て、好奇心だけで小規模プロジェクトに移っていった。
周りから見れば、僕はかなり自分勝手に見えていたはずだ。
浮いていたんだろうし、損得勘定で考えれば、常識的な考え方からハミ出していたように思う。
そして多分その結果、人より苦労や損をしたのかもしれない。だけども、「自分の責任」だと考えていたし、人に迷惑をかけない範囲であれば、特に気にすることなく生きてきた。
**■人生の偽装のラベル
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その僕が、唯一このことだけは、他人の期待に合わせてしまった時だったと思う。
他人の期待、世間の期待、もっというと親の期待に合わせて生きることが善である、だから僕は「親の期待に従う良い息子」というラベルを、それまでの自分から見れば中身は全く異なるはずなのに、自分自身に貼ってしまっていた。
自分に貼ってしまった偽装のラベル。
なぜ貼ってしまったのだろう。
その理由は、父親が、父親の父=祖父と、親子関係として上手く行っていないのを知っていたからだ。
父親との親子関係が損なわないような人生を生きること。
つまり父親の人生のビジョンを実現してあげること。
それが、父親が、他界した祖父に対して抱いているかもしれない罪悪感を取り除くために必要なのではないか
別に父親と直接話したわけではないが、僕はこのように考えていた。
だから「良い息子」というラベルを自分に貼り、ペルソナを演じるようになっていったのだと思う。
つまり、自分の人生の脚本を閉じて、他人の脚本に演じてしまっていた。
僕は逃げていた。この問題から。人生で一番向き合わなきゃいけないはずなのに。
だから僕は、このレールで引かれたようなこの時期が、29年間の人生で最も辛い時期だった。壁にぶつかった時の辛さとは全く違う次元の辛さだった。
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ここまで、僕個人の考えや感情を赤裸々に書かせてもらったが、大半の人に多かれ少なかれ感情的な「しがらみ」はあると思う。いや、僕以上に苦しんでいる人が世の中にはもっというと思う。
「親子」「兄弟」「恋人」「夫婦」「同僚」「上司」
僕の感覚として、人間関係の問題は、近い関係性だったり、普段から多くの時間を共に過ごす関係性ほど、しがらみが多くなると思う。
そして多くの場合、プラスにおいてもマイナスにおいても、自分の人生の非常に大きなエネルギーとなる。
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転機は突然、ある意味では、たまたま訪れた。
ここまで書いてきたような悶々とした時間を過ごす日々、たまたま出会ったメンタルのメンター的な存在。茂木さんとの出会いがそれだった。
心の中で次のステージにいきたいと心から望んでいたのだろう。
僕は、友人や知人という立場とは異なる、単なる慰めや同情や愚痴を言い合うのではなく、第3者として客観的だが適切なアドバイスと、行動への後押しをしてくれるメンター的な存在をずっと求めていた。ただ出会う機会がない中で、たまたま出会ったのが茂木さんだった。
そして、それを機に僕は、行動に移すことが出来た。
自分が自分に貼ってしまった「偽装のラベル」を剥がす作業。
そして、自分の中身と一致した新しいラベルを作る作業。
人は行動を起こすことは難しいし、行動の継続と、行動による自分自身の変化や環境の変化は、やはり相当ストレスフルだし、前の自分に戻されるような気持ちの反動も大きい。
僕自身も一人で行動を起こすことは、できなかったと思う。
茂木さんとの出会いが、大きな背中の一押しだったのは間違いない。
ただ、自分自身、ずっと偽装のラベルに違和感を持っていた。
もちろん仕事において、またはどんな組織や集団内において、例えば営業の仕事など、相手の求める役割を演じることが求められたり必要であるし、それが組織や社会を円滑にする上で、必要な場合があると僕も思っている。
ただ、僕がここでメタファーとして伝えたいのは、もっと本質的なことだ。
食品の偽装ラベルは犯罪であるし、誰が見ても悪いことだと考えるだろう。それでは、人生の偽装ラベルは、どうだろう?
社会的な共通の正解はないと思う。
僕らがいる世界は、常に誰かが誰かにラベルを貼り続けるような社会だ。
自分のラベルが何か考えることは必要だろう。
そしてラベルは1つだけだとも限らない。
時代や環境、人間関係、様々な前提条件の変化で常に変わり続ける思う。
もしそれが自分にとって間違ったラベルだったと思ったら、また剥がして、次のラベルを探せば良いのだと思う。
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