何事にも必死になれなかったぼくが、夢中でスタートアップの採用支援に取り組む理由
一夜でいじめっ子から、いじめられっ子へ
ぼくは愛知県名古屋市の工業地帯で育ちました。
とにかくやんちゃ坊主で、まいにち日が暮れるまで野球をして小学校ではイタズラ三昧。いわゆる「一軍」ってやつで、スクールカーストではぼくらが圧倒的上位でした。
ところが、思いもよらない事態になったのは小学校4年生のときです。
ぼくらは、クラスメートをロッカーに閉じ込めたりして遊んでいました。
今思い返すと、悪ノリが過ぎて完全に調子に乗りすぎてしまっていたのですが、それがクラスメートの親御さんや両親にばれて大騒動になったんです。
母は、いままでにないくらいぼくを激しく怒りました。
その勢いは元々かなりやんちゃでいつもはとんでもなく怖い父が止めに入るほどでした。
そこでようやく気がついたんです。
ぼくがやってたことは、こんなにいけないことだったんだ。
クラスメートと親御さんに謝罪をして、母とは二度としないと約束をしました。だけど、「野球部にいて、二度としないってできるの?」って。
当時の野球部は悪さばっかりする問題児の集まりだったんです。
どうにか、大好きな野球だけは絶対に続けたい。ぼくは野球部を続けさせてもらう代わりに、彼らのグループからは抜けると約束をしました。
次の日、俺はもうお前らとはつるまないって言ったら、
いじめの対象が僕に変わったんです、その瞬間から。
一夜で学校の中心のいじめっ子から、いじめられっ子になりました。
車にひかれて死にたい。逃げるように中学受験
小学校を卒業するまでの2年間は悲惨なものでした。
友達だと思っていたやつ全員から無視されて、誰もいない廊下でボコボコにされたこともありました。
いじめって、こんなに痛くて辛いことだったんだ。
される側になってみて、初めてわかりました。
学校にいくのが毎日辛くてたまらなくて。それなのに母は熱が出ても休ませてくれませんでした。
たぶん、一度休むともう行けなくなることをわかっていたんでしょうね。毎日送り出してくれてた母も辛かったと思うんですが。
登校中に車にひかれて死んじゃいたいとか、病気になって寝込みたいっていつも考えてました。野球部でも仲間はずれにされるから練習もできなくなって、レギュラー目前で退部しました。
もう、このままじゃ無理だ。
彼らと同じ中学校にだけは絶対に行けない。逃げるように中学受験をしました。
なんとか中高一貫校に合格して、そこからは全然別の人生になりました。
サッカーや陸上ホッケーをしたり、オンラインゲームにハマったり。
中学2年生で初めて彼女もできました。
いじめられてたときは図書館で歴史の本とか読みあさってたのが良かったのか、勉強もできるほうでした。
国際学校だったので生徒の多くはハーフか外国籍だったのですが、みんなすごくオープンマインドで、いたずらっ子はいてもいじめっ子はいませんでした。
先生たちも尊敬できるかっこいい先生が多くて。
逃げるようにこの学校にきたけど、やっと自分らしくいられる場所ができたんだなって。
その頃から将来は教師になりたいって思うようになりました。
辛かった小学生の頃に守ってくれたのが先生たちだった、自分もそんなかっこいい先生になりたいなって。
ぼくは先生になったらダメだ
名古屋の大学に進学して教員免許をとりました。そして母校の中学校に3週間の教育実習に行ったんです。それ自体はめちゃくちゃ楽しかったです。
ただ、先生たちのレベルの差に愕然としたんです。
すごく頼りになるかっこいい先生と、そうじゃない先生にキッパリ分かれていました。
その違いは、社会人として一般企業で働いた経験があるかどうかだったんです。
やばい、このまま先生になったら、ぼくもイケてない先生になってしまう...
先生という職業はすこし特殊だと思うんです。
教員免許を取得して教員になると、大学卒業後すぐに「先生、先生」って言われる。社会経験がなくてもいきなり先生です。
もちろん、社会人1年目で立派な先生もいると思いますが、ぼくがその当時接した先生たちのなかには残念ながらいなかった。
もっと、社会の波に揉まれなきゃ。
先生をあきらめ、さっそく就職活動をはじめました。
社会の波に揉まれるなら大手企業じゃない方がいいな、これからはWebだなと的を定め、見事Web関連のベンチャー企業の内定を獲得しました。
入社3ヶ月で営業しながら新卒採用、社会人ってスゲー
最初は、先輩たちの話してる言葉の意味がひとつもわかりませんでした。
ドメインって何?httpって何?って感じで。
3ヶ月後には営業として独り立ちしなければいけません。
わからない言葉を調べて、その解説にある不明な専門用語をまた調べて...そんなペースなんですぐ夜中になっちゃう。
なんとか1人で営業に出られるようになって、受注してきたWeb制作案件を自分で取材してきて制作側にわたしても、
「こんなんじゃ作れねーよ、もう1回聞いてこい」
って、制作部長に突き返されて。
何時間もかけてヒアリングしたのにすごい腹が立って、なんで作れないんですかってケンカみたいになって。
「このお客さんの課題は?悩みは?なんでこれを作りたいの?」
部長の突っ込みに、ひとつも答えられませんでした。
ひよっこのぼくはまだまだ「他人ごと」で、御用聞きみたいなヒアリングしかできていませんでした。
そんな感じで、目的や課題の本質を理解しないとだめなんだと学んでいきました。すごく大変だったけど、あぁ、これが社会人か、スゲーって、どこか楽しくて。
そんなとき、入社3ヶ月の新人だったぼくが新卒採用のプロジェクトを任せてもらえることになりました。会社説明会の企画からなにから全部。
わからないことだらけなので、当時のお客さんで、学生から大人気の企業の人事責任者の方に聞いたりしました。
その次の年も採用を任せてもらっているうちに、採用って面白いな、営業よりもこっちがやりたいって思いはじめたんです。
常務に人事部を作ってくれって直談判しに行きましたが、うちの規模じゃ無理ってそのときは断られました。当時20人弱の会社に専属の人事部作ってくれって、そりゃ難しいですよね。
当時は入社3年目で年収300万円くらいでした。
営業成績もそこそこいいし、自分的にけっこう成果出してるって思ってたんですけどなかなか給料も上がらないし、やりたいこともできないなら「よし!転職しよう」って決めたんです。ちなみに、当時の会社はたくさん成長させてくれて、今でも恩人だと思う人もいるくらい感謝しています。
余裕だと高を括った面接で撃沈
ぼくは昔からすこし調子に乗りやすいところがありまして。
前職では営業成績もよかったしコミュニケーションスキルも悪くない、面接は余裕で受かるだろうって高を括ってました。
ですが、面接ではめちゃくちゃ厳しくフィードバックされました。
適性検査で虚偽性が強く出てる、自分をよく見せようとしすぎることはないかって、想像もしていなかった所をすごく突っ込まれました。完全にパニックになってなにも言い返せなくて、ただただ受け止めることしかできませんでした。
面接の途中から頭が真っ白になって、正直なにを話したかよく覚えていないんです。
放心状態で帰路につきました。
でもよく考えると、あんな風にフィードバックをもらえる機会は滅多にないよなって思えてきました。
ぜったい落ちたけど、いい時間だったな。
だから、帰宅してからお礼のメールを人事の方に送ったんです。
そしたら合格したんです、素直さがいいって。自分からみた評価と他人の評価はこんなに違うのかって驚きました。
そんなこんなで決まった転職先が、エン・ジャパンでした。
受注がとれない...毎朝トイレで嘔吐して出社
ぼくが最初に配属されたのは、エン転職という求人広告の営業でした。担当したのは、三河エリアという工場が多い地域で、効果が出にくく厳しいエリアでした。そこで、新卒くんとコンビを組むことになりました。
前職でそれなりに営業してきたし、すぐに受注できるだろうと甘く見ていました。
ところが、入社して3ヶ月たっても1件も受注できませんでした。
毎日100件近くテレアポをしてもガチャ切りばかり。
同期も新卒くんもみんな受注をとってくるのに...どうしよう。
そのうえ上司は社内でも指折りの厳しい敏腕女性リーダーです。
毎日詰められ、自分の不甲斐なさに言葉が出なかった。ぼくは精神的にどんどん追い込まれていきました。
出社時間が近づくと吐き気がしてくる、毎朝トイレで嘔吐して出社をしていました。
やりたかった仕事を選んだはずなのに、前の会社ではあんなにうまくできてたのに。いまの自分は、まるで会社のお荷物じゃないか。
「仕事舐めてるの?」上司の前で大号泣
入社3ヶ月目の上司との面談。ぼくの精神は限界だった。
「たぶんぼくだけチームに迷惑をかけてますよね。ぼくっていない方がいいですよね」
うつむく僕をみて上司は大爆笑して、こう言った。
「鈴木くん、仕事舐めてるの?」
「最初はできなくて当たり前。鈴木くんが達成できなくても、私含めてチームメンバー全員で鈴木くんの予算くらい余裕でカバーできるから、気にせず営業して。」
張り詰めていたものが一気に緩んだ。ぼくは大号泣した。
大人になって、あんな風に人前で自然に涙が出たのは初めてだった。
「すみません、ぼくっ...頑張ります」
思い返せば、今までの人生で本当に必死でなにかをやりきったことはなかったように思う。
勉強も運動もそれなりに要領良くできていたから、必死に頑張ってはこなかった。
努力して自分を追い抜いていく奴が出てくると、もうそのことには興味が無くなったふりをして、自分から離れることを繰り返してきた。
この会社に入社してからも、
なんで自分がテレアポなんてしなきゃいけないんだよって、どこか不貞腐れながら仕事をしていた。
うまくいかないのは当然の結果だった。
そこからぼくは、テレアポもロープレも本気で頑張るようになった。
心を入れ替えた途端に少しずつ受注がとれるようになって、3ヶ月間受注ゼロだったのがウソのように成績が伸びはじめました。
同期と比べて2倍に設定されていた目標も、徐々にクリアできるようになっていったんです。
天狗になっていた自分に初めての大クレーム
営業として自信もついてきた矢先、大手企業専門チームへ異動になりました。
今までのエリアは、どちらかというと質はそこそこで量を求められるエリアでした。つぎはその逆。量より質が求められ、1社あたりの取引金額を大きくしていくのがミッションです。
いままでのぼくは「THE営業」ではなく、コミュニケーションを大切にしていました。
お客さんと世間話で盛り上がり「で、なんの営業にきたんだっけ?求人?いいよ、出してあげる」なんてことも多かったんです。営業としてではなく、人として接していました。
この大手企業専門チームを経験できたことで、いままで足りなかった論理的思考力がかなり鍛えられました。
気がついた頃には、支店内で一番大きな予算を任されるようになっていたんです。
そんなとき、ぼく宛に1件のクレームがあがってきました。
じつは入社してから一度もクレームをもらったことがありませんでした。3年目ではじめてのクレームです。
隣で仕事してた当時の拠点長が先に気がついて、「おい鈴木、これ大丈夫か?」って。
クレームが入るとすぐにメール通知がくるのですが、その企業さんは応募も来ているしすでに1名採用もできてるからいいかって、フォローの手を抜いていた企業さんでした。
「高いお金を払ったのに期待していた効果も出てないし、フォローもないし最悪の会社だ。こういう会社には正義の鉄槌がくだるだろう。」
え、まじ...鉄槌...内心すごく焦っていました。
ところがぼくは、ここで開き直ってしまったんです。
「まぁ...大丈夫じゃないですかね...もしあれなら、自分が担当だと先方もやりいくいと思うので担当変更してもらってもいいですか」
って拠点長に言ってしまったんです。
そしたら「何考えてんだお前のお客さんだろ、今すぐ電話しろ。お前を信じて依頼してくれたのに、誠実に向き合えないのはやばいぞ」ってめちゃくちゃ怒られて。
すぐに謝罪の電話をしたら、なぜか「お前すげーな」って社長さんに笑われて。
こんなこと書かれてすぐに電話してくるって尋常じゃないなって。
笑って対応してくれた社長さんと話しているうちにどんどん罪悪感が大きくなってきて、
「いまからすぐ謝りに行くんで、次の施策を一緒に考えさせてください!」って、1時間半車を飛ばしていきました。なんと、その日に2回目の受注をいただいたんです。
この事件で、ようやく自分はものすごい勘違いをしていたことに気がつきました。
いままで大きな仕事の失敗を知らずにきて、完全に天狗になっていました。
自分の失敗を認めるのが怖かったんです。
何があろうとクレームを言ってくれるのは期待のあらわれだと学びました。
そのあと拠点長には、めちゃくちゃ謝りました。
支店内で一番の売上を持ってる自分はエリートだって、思い上がっていたぼくの痛い思い出です。
コロナ禍で感じた無力さ
2019年12月、コロナがきました。
どんどん世の中の雲行きが怪しくなって2020年4月には採用がとまり始めた。僕の担当していた企業さんも例外ではなくて、一気にどこも止めはじめました。
すごく悲しかった。
ぼくは”転職を支援する”というサービスを通じて社会に貢献できてると思っていた。でもこういう危機が生じたら何もできないんじゃないか。
こんな自分でいいのかって想い始めたんです。
同じときに妻の妊娠がわかりました。
じつは妻とは同じ職場で一緒に働いてきた仲間でもあったのですが、重度妊娠悪阻で休職をさせてもらうことになったんです。
これから生まれてくる子どもと妻を支えるんだ!と身が引き締まる一方で、正直なはなしをすると金銭的な不安がおそってきました。
いまの会社でマネージャーを目指すか転職するか。そして、もう一つ浮かんだのが独立です。
ぼくの母も父も会社の社長をしています。
そして、親族のほとんどが社長か会社の経営層という家系でした。いつか自分も社長になりたいってずっと思っていたんです。
チャンスは今しかないんじゃないか、一度頭をよぎると、どうしても「チャレンジをしてみたい」という気持ちが抑えられませんでした。
あんなに自信のあった営業が怖くてできない
コロナ禍で妻の出産を控えているということもあり、みんなに猛反対されました。
でも、妻だけが賛成してくれたんです。ガチガチに緊張して会社辞めて独立したいんだって伝えたら「やっと言ってくれたね、やったらいいじゃん」って。
周りに反対されすぎて、本当に独立すべきか揺らいでいるときだったので背中を押されました。
2020年11月、個人事業主として開業しました。
じつは最初は人材系で独立していなくて、他社さんのWebサービスの販売代行をしていました。
今まで転職媒体の営業しかやってこなかったので、採用代行という仕事の存在やニーズがあることにも気がついていませんでした。
さぁ、今日から営業しまくるぞ!とテレアポを開始したのですが、20件かけてやめてしまいました。
テレアポでガチャ切りされることなんて、慣れていたはずなのに。
ぼく自身が否定されているようで、急に怖くなったんです。
組織に属しているという状態は、社会的信用だけじゃなくて、精神も守られていたことがわかりました。
会社の看板が無くなった途端、あんなに自信のあった営業が怖くてできなくなりました。
スタートアップ企業が正しい競争をできる社会にしたい
こんな調子なので、我が家の収入は当時わずか月5万円。しかも、ぼくは事業のため勝手に家庭の貯金を切り崩していました。
3ヶ月たったとき、ずっと黙って見守ってくれていた妻がついに口をひらきました。
「今の状況どう思ってますか?」
すでに第一子が生まれていました。3ヶ月で生活費30万円を稼げるようにする約束で独立したはずが、まったく足りません。
「来月から30万円稼げる営業計画を作って私に出してください」って言われました。そのとき、妻が泣いていたんです。
たったひとり自分を信じて背中を押してくれた妻を泣かせてはいけないってすごく反省して、すぐに営業計画を作り直しました。
そして、自信のある採用に関する仕事をしようと決意しました。
それから採用代行という仕事と出会い、たまたまスタートアップ企業の支援を多くさせてもらったのですが、いざ採用代行をやってみると、人材業界のある問題点に気がつきました。
この業界では、スタートアップやベンチャー企業の採用が全然うまくいってなかったんです。
まず、スタートアップ企業の採用手法は多くありますが、主には2つになります。
1つ目は、エージェントに紹介してもらうパターン。
2つ目は、ダイレクトリクルーティングや求人広告など求人媒体への掲載です。
自社でこれらを全部やろうとすると、ノウハウもリソースも時間もかかる。スタートアップ企業はとにかくお金や人員などのリソースが不足しているので、なかなかうまくいかないんです。
また、スタートアップは大手の採用に比べすごく難易度が高いので、人材紹介会社からは避けられがちです。スタートアップ企業は、
自社の想いにめちゃくちゃ共感してほしい
スキルや経験はもちろん持っててほしい
大手より給料は安い
そんななか大手も狙っているターゲットか、それ以上の人材を確保しにいかなければいけない。
しかもスタートアップの採用を担当しているのは、ただでさえ多忙な経営陣か、もしくはひとり何役もこなしていて時間がないHRBP・人事なので、できる限りピンポイントの人だけ面接したい。
そしてさらに、採用にかけられる予算も少ない、そうなるとエージェントにしては旨味がないんです。
魅力的な会社はたくさんあるのに、知名度と予算がないだけで同じ土俵に上がれない。
ぼくは、日本の人材業界のけっこうな問題点だと思っていて。
スタートアップだって、自社の魅力や表に出すべき情報を整理して土台を整えたら、十分に大手と競争ができるんです。
これが正しい状況だし、本来あるべき姿じゃないかなって思います。
社長にスポットライトを当てた理由
採用で色々なスタートアップの社長と話す機会があって、めちゃくちゃ魅力的な人が多いことを知りました。
ぼくは昔から好奇心旺盛なので、この魅力の理由はなんだ?いつこんなユニークな事業を思い付いたんだろって質問しまくってたんです。
そしてふと思ったんです。こういうことって、求職者も知りたいんじゃないかなって。
それで一度社長の想いや人柄、プロフィールを詳細に書いたスカウトを求職者に送り始めたら、今までにないくらい反応がよかったんです。
なんだ、こういうことが知りたいんじゃんってすごく腑に落ちて。
それにスタートアップのほとんどが、自社の本当の魅力に気がついていません。
事業のユニークさや社長の個性を表に出した方がいいのに、うちはフレックス制度だとか、事業成長率130%とかだけを書いている。
みんなが興味あるのは、なぜ130%で成長できてる会社なのか?とか、このサービスはどんな社会課題を解決してるのか?、この会社は社長のどんな想いで創業されたのか?とか。自分がその会社で働いてる姿や、どんな魅力のある人と一緒に働くのかをイメージできるような情報が一番知りたいのに書いていない。
スタートアップの社長ってぼくも然りですけど、スキルが足りてないことも多いし、昨日と言ってることは違うしめちゃくちゃな部分も多いんですよ。だけど、自分の仕事に誰よりも愛情と誇りを持っています。
ぼくは採用をお手伝いするときは基本的に社長に取材をさせてもらうのですが、それは社長がどんな人生観でどういう想いでこの仕事をしているのかを発信するべきだと思っているからです。
社長の人生が乗った言葉には、重みや深みが出て説得力がでます。
その言葉を求職者に届けるべきなんです。
人の心を動かすのはきれいな言葉じゃなくて、生々しいリアルな気持ちが詰まった言葉です。
その言葉を語れるのは社長本人だけで、どんなに優秀な人事担当者でも社長の人生が詰まった言葉は語れません。
社長にスポットライトを当てるのが、スタートアップの魅力を伝える最善最短の方法だと思います。
本気で自分の事業を愛してる社長の力になりたい
ぼくが応援したいのは、自分の事業に誇りと愛情を持っている本気の企業です。
課題の大小問わず企業さんが持っている想いが伝わる世界観を作って、今まで出会えなかった人たちと出会えるように支援をする。
その出会いをきっかけに社会が変革を遂げる。
求人媒体の営業をしていたサラリーマン時代のぼくは、数字しか見えなくなっていた時期がありました。
いま考えたら最低ですけど、とにかく人を集めることにばかりコミットしていた。
でも、本当にコミットしなければいけないところは、この企業で活躍できる人たち、事業の成長に貢献できる人をどれだけ集められるかです。
一緒の思いを持って働けることって、すごく幸せなことじゃないですか。
仕事は内容や領域は多少変わっても、本質は変わらないと思うんです。
だとしたら一緒に働くトップの人や同僚の思いが知れて、なんか自分の考えと似てるな、自分が今まで歩んできた人生のテーマと似てるなっていうほうが、よっぽど響きます。
人材は”コマ”じゃない。
どんな仕事をするかよりも、誰と働くかのほうが大切だと思っています。
スタートアップで採用がうまくいっている会社の共通点は、スキル重視ではなく、共感を重視しているところです。
どれだけスキル的に優秀でも、想いを共にできない人は絶対に同じ船に乗せてはだめなんです。
スキルや経験は少し足りなくても会社の想いに共感してくれて事業に熱心に興味を持ってくれている人の方が、入社後かならず活躍してくれます。
想いに共感してくれる人は、世の中にそういませんから。
人材は”コマ”じゃないし”歯車”のひとつでもない。一人ひとりが大きな基盤なんです。
今の人材業界の仕組み自体が、どうしても人材を”コマ”や”お金”として捉えてしまいやすい仕組みです。
ぼくはそれは企業にとっても、入社者さんにとっても不幸になってしまうことがあるのかなって。
自分を必要としている会社は必ずある
いまうちの会社が支援させてもらっている企業数は、ぼく自身が対応できるだけの数に絞っているのですが、これからはもっと多くの企業さんの支援ができるよう、スタートアップの社長の魅力や人柄にフォーカスした、「誰と働くか」で仕事を選べる新しいサービス(プロダクト)を作っています。
お給料は仕事の対価に対してもらうものです。
「誰と働くか」ではなく、いくらもらえるか、労働環境や条件を重視している人のほうがきっと多いでしょう。
「仕事は我慢」だと自分に言い聞かせて、毎日歯を食いしばって出社をしている人もいるかもしれません。これはけっして間違いではありません。
しかし、働くことで幸せになれるなら、それってすごいことだと思いませんか?
ひとは働く楽しみを見失うと孤独になります。かつてのぼくもそうでした。
自己成長を糧に頑張っていたのに、慣れてその先が見えるようになった途端、目の前の仕事が色褪せて見えるようになりました。
自分は社会に必要とされてないんじゃないかとか、人間関係を気にするあまり仕事に集中できない、と悩んでいる人もいるかもしれません。
難しいと言われるスタートアップの採用支援に専門的に取り組むようになったのも、楽しく幸せに働く人を1人でも多く増やしたかったからだと思います。
父親には小さい頃から「強くないと生きられない。だけど優しくないと生きていく資格はない」って教えられてきました。どこかの有名な小説の名言らしいんですが。
この教えは「困っている人に手を差し伸べて、大きなものにも立ち向かっていく」というぼくの生き方に影響を受けた気がしています。
採用はひとの人生に関わる仕事です。
支援した企業さんも入社者さんも喜んでくれて、その人がイキイキと働いているから家族も幸せになって、幸せが波紋のように広がっていく。
そして、その企業が成長していく過程を見られたらぼく自身もすごく幸せです。
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