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コロナ禍の幼稚園でパントマイムして感じた、新しい場の必要性について

少し前、3月頃のこと、ある幼稚園にパントマイムの出張パフォーマンスをしに行ったら、園児達がとても、とても喜んでくれて、ぼくのささやかなパフォーマー生活の中でも、充実感に満ちた時間を持つことができました。
その節は皆様、大変お世話になりました。

さて今、ステージの世界はどうなっているのでしょうか?

コロナ禍に見舞われて、ただでさえ脆弱だったその基盤が揺らいでいるのか。
公共劇場や芸能人が出演するような大きなプロダクションは徐々に公演が戻ってきているような気配もありますが、依然として困難が付き纏う状況に変わりはないようだ。

今のような状況で、パフォーマンスの在り方に、何か別な形はないのだろうか?
と考えている。
が、これといった答えも、ぼくの足りない頭では中々思い浮かばない。

ただ、ぼんやり思うのは、ぼくはこれまでのような形態をとるのは違うかなと思っている。

これはあくまで、ぼく個人の嗜好なのだが、
昨今、なんでもかんでもソーシャルという言葉を聞く。ソーシャルネットワークサービス=SNS、ソーシャルディスタンスとか、海外ではソーシャルサーカス、なんてのも試みとしてあるようだ。

要はもっと社会的な繋がりを、何かをきっかけに増やしていきましょう、ということのようだ。

世の中のソーシャルの流れを汲むと、独創的な作家性に富んだ作品作りに挑戦するのも良いけど、ぼくはパフォーマンスを通して、何か社会の需要に答えられないものか、と思っている。

コロナ禍で幼稚園に出張パフォーマンスした時に、芸能人でも、アニメのキャラでもないぼく達の細やかなパフォーマンスをこんなにも必要としてくれるものか、もっと社会の需要に答えられるパフォーマンスの形があるんじゃないかと、久しぶりのイベントに狂喜乱舞する園児達を見て、強く思ったのです。

前述の幼稚園のケースを考えてみても思うのは、舞台の世界も、これまでのようにお金と時間を頂いて、劇場という密室空間に限られたお客さんをお招きする、というスタイルから、発信する側が、劇場に通う習慣のないお客さんの生活に入っていく、何かの形で役立て頂く、というスタイルをもっととれないのかなあと思います。

これはもちろん、ぼくがやっているセットも大きな道具も必要としないパントマイムならではのミニマムな表現の利点を考えてのことなのですが。

うーむ…
とりあえず思いの丈を書いてみただけのまとまりのない文章になってしまった。

というのも昨日、家の近くの幼稚園を通りがかったら、園児達がバケツを裏返して、シャベルで叩いて、まるでどこかのシャーマンであるかのような遊び方をして、それに合わせてクネクネ動く子がいたりするのを見かけて、なんて独創的な遊び方をするんだろ、いいなあと思ったんです。こんな時代だから、尚更ね。

「社会の需要とパフォーマーのスキルやキャリアが、新しい形でマッチングする場」

これについては引き続き考えていきたいと思います。
なにか妙案やご意見のある方がいらっしゃれば、コメント頂けると嬉しいです。

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