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#13 ミャンマー、マンダレー、失われた古代都市を追う

とある麗らかな春の日。
久しぶりに丸一日の休みが取れた僕は、
国立国会図書館で古い文献を読み漁っていた。
”東南アジア史”の棚にあるビルマ関連の文献。
僕が追っていたのは、とある人物だった。

ミャンマー最後の国王

皆さんはミャンマー最後の国王をご存じでしょうか?
それは彼、ティーボー王です。

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厳密にいうと、イギリス統治下になる前、コンバウン王朝(1752-1886)の最後の国王です。
ビルマは三次に渡るイギリスとの戦争に敗れ、1886年に英領インド帝国に併合されました。
最後の王様であったティーボー王は、妻のスパラヤッ王妃と4人の王女とともに、インドへと幽閉され、そこで一生を終えました。

なぜ、僕が彼を追っているかというと、日本語で彼以前のビルマ史についての本が少ないからでした。
イギリス統治のあとは、当時の日本軍が関わるなど、日本との関係が色濃くなっていきます。
当然ビルマ関連の本は、その辺りの近代史がメインになっていました。

僕はヤンゴンにある国立博物館で彼を知ってから、ビルマ史について勝手に調べていました。
コンバウン朝の都マンダレー周辺には、ビルマ史の中でも埋もれてしまっているような古代都市がたくさんあります。
僕は、そんな古代都市にロマンを感じ、いてもたってもいられず、マンダレーへと旅立ちました。

ミャンマー第二の都市マンダレー

ミャンマー第二の都市マンダレー。
ミャンマーのほぼ中央部に位置するこの都市は、コンバウン朝の首都が置かれた街だ。
マンダレーはさらにミャンマー北部に向かうための支点となっており、マンダレー中央駅や街道を通っていく必要がある。
街の中心には昔の王宮があるが、王宮を含め旧市街は、第二次大戦時にほとんど破壊されてしまい、現在は復元されたものが残っている。

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僕は、マンダレーに到着した後、ホテルでぐったりしていました(笑)
ちょうどそのころマンダレーでは乾季の真っただ中で、平均気温38℃を超える暑さでした。
部屋のエアコンをMAXにしても汗がにじみ、水はペットボトルの中でお湯になっていました。
TVから流れる天気予報は、「Hot=熱い」ではなく「Scorching=灼熱」と表示され、僕のやる気と体力を奪っていきます(笑)

今回、マンダレーに来たのは、マンダレーを含む旧王朝跡を見に行くためでした。
マンダレー付近には、さらに昔の王朝跡が残され、遺跡のみがたたずんでいます。

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マンダレー付近は、ビルマ最後の王朝だけでなく、ビルマの歴史に欠かせない王朝・国々の史跡が集中しています。
僕は、コンバウン王朝だけでなく、歴史に埋もれ日本語の文献も少ないサガイン王朝・アヴァ王朝を目に焼き付けようと、灼熱の大地へと歩みを進めました。

マンダレーの街並み

マンダレーを訪れたのは4年ぶりで、当時と比べて都市化が非常に進んでいました。
初めて来たときは、空港から市街地までの距離に驚いたし、土埃が舞っていて荒野にある街という印象が強かったです。
今は、市内には外資系のフランチャイズ店が点在し、KFCでチキンだって楽しめます(笑)

ただ、街も人も中国色が強くなっていることを改めて感じました。
もともとマンダレー空港の開発には中国が関わっているし、アジア屈指の翡翠の産地であるマンダレーには、それを求めて多くの中国人が在住しています。
人が増えればトラブルも増える。
ニュースでは大きく報道されていませんが、現地民と中国人の間でトラブルも増えたのだとか。

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(町の中心にあるデパートの最上階。翡翠の取引が盛んです。もちろん中国語しか聞こえません笑)

そんな僕は、マンダレー中央駅近くのわりと小綺麗な宿に滞在していました。
この辺りは治安も良く、生活の要所となっているためか、現地人の生活を垣間見れる絶好の場所でした。

近くにあるマンダレー中央駅に行くと、人でごった返していました。
列車の出発を待つ人、そこに住む人、駅で商いをする人、とりあえず涼みに来る人、何をしてるかわからない人(笑)
ただ、駅にいる人たちはみんな笑顔で、ここは ”安全な場所だ” とすぐに僕に認識させてくれました。

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とりわけ、駅構内は子どもたちのかっこうの遊び場で、かくれんぼや追いかけっこをして走り回っていました。
周りの大人も、井戸端会議をする傍ら、子どもたちが線路に行かないように見張っている感じでした。
とはいえ、電車なんて滅多に来ないし、線路上に椅子を置いてのんびり寝ている人もいるくらい、ゆったりとした時間が流れていました(笑)

サガイン

マンダレー市街地から約15km、エーヤワディー川を越えるとサガインという場所があります。
サガインは、14世紀にバガン王朝滅亡後に、約50年間という短い間王朝が置かれた場所です。
その後、18世紀頃に再び王朝が置かれるなどされましたが、歴史上短命で文献でもあまり取りざたされることが少ない場所です。

サガイン王朝のシンボルといえば、ミングンパトダウンジー(Mingun Pahtodawgyi)だと思います。

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ボードーパヤー王によって建設されましたが、途中で彼が崩御され、完成途中で放棄されました。
予定の1/3らしいのですが、めちゃくちゃでかいです(笑)
道向かいには守護神であるライオン像のお尻も残ってるのですが、こちらもでかすぎて球体にしかみえませんでした。

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ここは有名な観光地らしく、多くのミャンマー人で賑わっていました。
遺跡の上まで登れるようなのですが、あまりの暑さと疲れに僕は断念しました。
その代わり、この雄大な王様の夢のあとを、木陰で余韻に浸っていました。
すると、若い女性二人が英語で声をかけてきました。

『こんにちは、観光客の方ですか?』
正直、物売りかなっと思いましたが、流暢な英語でびっくりしました。

「そうですよ」

『そうですか!私たち近くのインターナショナルスクールの学生で、ガイドのボランティアをしてるんです。よろしかったらガイドしますよ』
遺跡の説明文もビルマ語でよくわからなかった僕には、渡りに船。
ありがたくお願いしました(笑)

それから、この遺跡や近くの遺跡の歴史についていろいろとご教示いただきました(上述した説明は彼女たちから教えてもらいました)。

約30分のガイドも終了し、さすがにチップを渡そうとしたところ、

『チップはいらないです(笑)。その代わり周りの売店で、何かお土産でも買ってくださいね!』

と東南アジアの田舎らしからぬ言葉にかなりびっくりしました(笑)
ふと疑問に思ったので質問してみました。

「何で、ボランティアしてるんですか?」

『これからはビルマ語だけじゃなく、英語も必要だと思います。だから観光客に英語でガイドをして、スキルを磨いてるんです』

「へぇー、確かにここは観光客多いですもんね」

『でも同じミャンマー人か中国人が多くて、英語喋る人少ないんです。正直、お兄さんも中国人だと思ってました(笑)』

「顔じゃわからないですからね(笑)」

彼女らにありがとう。とお礼をしてサガインを後にしました。

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アヴァ(インワ)

サガインのお隣、川を挟んだところにアヴァ王朝、日本語ではインワと表記される古都があります。
1300年頃から1500年半ばまで存在した王朝で、今は2時間くらいで観光でき人気のスポットになっています。
観光用に馬車が使え、風情のある旅ができます。
私の場合、貧乏旅行なので歩きで移動していました(笑)

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ただ、歩きならではの景色が見れて楽しかったです。
現在のインワは、稲作用に区画整理され、水路も整備されています。
田んぼや畑の間にあるあぜ道を通りながら、いろいろと見て回っていました。
農作業しているおじさんたちには、
『お茶飲むかー?』
などと声をかけられながら、田舎町を肌で感じられました。

インワの名所といえば、Yadana Hsemee Pagodaの仏陀像です。

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何百年も前に建立された貴重な文化財が、雨ざらしで残っています。
有名な観光地らしいのですが、僕がいたときは現地の人と僕しかいませんでした(笑)

マンダレーで出会った人々

今回の旅では、本当に現地の人々の温かさに触れられました。
いろいろなところでカメラを向けると、笑顔で撮ってー。とポーズしてくれるし、お茶でも飲むかー?っと誘ってくれるし、本当に居心地がよかったです(笑)

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マンダレー市内から少し離れると、家には水道も電気もない村がまだまだあって、夕方ごろになると近くの川で水浴びや洗濯する光景が見られます。
そんな日本では見られない原風景が、ミャンマーでは見られ、どこか懐かしい気持ちになりました。

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きっかけは、ティーボー王から古代遺跡を見に来ることだったが、
国・都市とは形成している”国民や人”なのだな。と改めて感じた。

世界中で、ミャンマーで、厳しい社会情勢は続いているが、落ち着いたら絶対に再訪しようと思う。


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