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33さいの幸福論ノート②「君たちはどう老いるか」

とかく歳をとるというのは
この時代ただ悲しいだけで、
長生きなんかするものじゃないと思う。

長生きが長「寿」だったのは、
昔の人が短命で希少価値があったからで、
今みたくそこかしこに老人がいる時代には
何のめでたさもありがたみもなければ、
老害だの社会のお荷物だのと蔑まれるだけだ。

これからの時代は、
老人の数が増える分、価値が減り、
若者の数が減る分、価値が増える。
要は需要と供給の問題で、
老人がシビアに評価される時代になってくる。

そもそも若いって、
本当はそれだけで価値が高い。
それは昔から変わらないはずなのに、
「年上の人間や老人は偉い、敬え」
という儒教の教え(長幼の序)で
若さの価値を不当に抑圧して、
下がる一方の老人の価値を担保してきた節がある。

でも実際、老人の叡智というのは
旧来の社会ではすごく重要で、
危険予知や災害対応、生活やコミュニティの維持には欠かせないものだった。

ところが今の時代ときたら、 その役割は
コンピュータやAIに取って代わられ
巷には老人が溢れかえり、
彼らが各々の経験智を語り出すと
うるさくって聞いていられない。

しかも体は動かないのに口だけは動く。
自分は動かないのに文句だけは言う。
さらに感情の制御までできないとなると
もうどうしようもない存在になる。

けれど科学的に見ると、
それは仕方がないことなのである。
身体機能は加齢とともに衰えていくが、
言語機能は加齢とともに経験値が蓄積されて
ある程度の年齢まではむしろ高まる傾向らしい。

そんな状況なのに、
加齢とともに社会との結節点が減り、
体力も能力も居場所も楽しみも失うなかで
「寂しい」という感情が増幅する。

そのうえ、
幸せを感じたり、怒りの感情を制御したり
睡眠を促したりする「セロトニン」は
加齢とともに分泌できなくなるので、
どうしても怒りっぽくなってしまう。

だから役所や駅、携帯ショップなんかで
スタッフを怒鳴りつけている客や
やたらとクレームの電話を入れるのが
老人ばかりなのも致し方ないことなのだ。

これは老いゆくほぼ全ての人が避けては通れない。
その点、昔の人が云った
「子供叱るな来た道だもの、
年寄り笑うな行く道だもの」
というのは真理そのもの。

老人を見て
「あんな風になりたくない」と思っても
気付いたらあんな風になっている。
今時の若者は…
なんて言いたくないと思っていても
気付いたらそんなことを言っている。

太古の昔からその繰り返しなのであって
この輪廻からはそう簡単に逃れられるものではない。
周りがそうなっていくことを諦め
自分がそうなっていくことを覚悟し
受容していくしかない。

それにしても年を取るだけで敬われて、
勝手に出世していた時代は羨ましい。
羨ましいけれど、それが正しいとは全然思わない。

年上だから偉いのではない。
若さばかりが素晴らしいことでもない。
年齢に関係なく、個人と個人は常に対等で
尊重し合える社会であってほしい。

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