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なぜ、障害者の兄は換気扇を描くのか


自閉スペクトラム症状のある兄には、子どもの頃にこんな課題があった。

『人を信頼する』

これは、自閉スペクトラム症状を持つ人にとって、なかなかに理解し難い摂理である。

なぜならば。


人とは、機嫌の良し悪しで態度が変わったり、体調の良し悪しでクオリティが変わったり、昨日言っていた事と正反対の事を言う。

それが”人”なのだ。

そんなめちゃくちゃ不安定な「人という存在を信頼せよ」、だと。


改めて”人”というものを率直に見た時に、その不安定さは明らかである。

私は自分自身の不安定さもよく知っているが、朝計画した事をその日中に終えられず挫折することはよくある。

生理前後で気持ちの乱高下で、周りに当たり散らす事があることも知っている。

その不安定さを飲み込んでも「人を信頼せよ」、とは改めて考えてみると、自閉スペクトラム症がどうこうではなく、誰にとっても無理難題のような気もしてくる。


だからこそ、兄は、機械をこよなく愛していた。

特に、『換気扇』を愛していた。

幼児期から小学生の頃は、大量の換気扇の絵を自由帳に描き続ける兄の姿があった事をよく記憶している。

5年以上は描き続けていたから、何十冊という自由帳に換気扇が描かれたのだろう。


なぜに換気扇なのか、と当時は思ったものだが、今にして思えば至極当然の事なのである。

あれほどまでに規則的に一定の動きを維持し続け、確実にそこに有り続けるものは、換気扇の他に身近にはない。

換気扇と似たような動きをする、扇風機ではいけないのか。

あれはダメだ。
ちょっと目を離したら、どこかに移動させられている扇風機ではいかんのだ。


兄を含め、自閉スペクトラム症状がある人は、環境の変化に弱い人が多い。

現状維持を好み、変化に不安を感じやすい。

これは人間なら誰しもある感情だが、自閉スペクトラム症状のある人はこれがものすごく強い。

だから彼らにとって、一定である事、そこにあり続ける事はとても重要なのである。

部屋の模様替えを極端に嫌がる場合もある。
知らずにやってしまって、兄を苦しめていた家族(私)がここにいる。

同じ場所に同じ物がないとパニックになる姿を何度も見た事があるし、同じ道筋を辿らないと帰宅できず、やり直さないとパニックになる姿もよく見てきた。
同じパターンの会話をする事も好むので、兄と話す時は、いつも同じやり取りになる。

そんな自閉スペクトラム症の兄に絶対的な信頼感を寄せられる換気扇。
換気扇の唯一無二の優秀さには本当に感心する。

どうやっても不安定で、予測不可能な動きをしてしまう”人”という、自分の存在について私は思いを馳せ、あんなにも完璧な換気扇に一生私は敵わないな、と敗北宣言をした。

そんな兄も今では、換気扇という唯一無二の安定感を誇る仕組みに慰めてもらう日々から卒業した。

思い出せば、換気扇から、線路に関心が移っていった時期があった。

線路というこれまた、安定感のある仕組みに関心が移り、けれども今度はその線路が延伸する事を楽しみにし始めた。

これは兄にとって、大きな成長であった。

線路が延伸する、新駅ができる。

これって変化だ。

現状維持ではなく、変化を受けいられるようになったのだ、あの兄が。

当時は、ああ、今度は電車か、としか思わなかったが、今こうして思い返せばものすごい成長だ。

人は誰もが成長したいと願っている、そう言われる。

兄には障害がある。

けれどもやっぱり成長したいと願っていたのだ。

当時はそんな風には思えなかったし、成長の段階はものすごく独特だけど、ちゃんと成長していたんだな。

冒頭の絵に描かれたような、今はお目にかかる事が少なくなった換気扇。

これを見ながら、兄が確実に成長してきた証を見つけたような気持ちになった。






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