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禅語の前後

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禅の言葉をテーマに何か書いてみよう、という試み。
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2020年1月の記事一覧

禅語の前後:知足(ちそく)

禅語の前後:知足(ちそく)

 知足は「足りているのを知っている」という意味合いで、古代中国の老子も「足るを知る者は富む」という言葉を残している。

 足るを知る…、自分がこれ以上には大きくなれないだろうと思うようになったのは、いつ頃からだっただろうか。なんというか、少々経験値を稼いでもレベルが上がらない、ゲームの終盤にさしかかっているような気がする。
 歳を取ることと、足るを知ることは、いくぶんか近しいのかもしれない。歳を取

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禅語の前後:明歴々露堂々(めいれきれき ろどうどう)

禅語の前後:明歴々露堂々(めいれきれき ろどうどう)

「明らかにはっきりとあらわれていて、少しもかくすところがない」ということで…(中略)…仏教の極致は何か神秘的なもののように思われているが、実はそれは「明歴々露堂々」たるものだ、というのである。
(芳賀幸四郎「禅語の茶掛 一行物」)

 この言葉は、よく晴れた野っぱらに居るような気分にさせてくれる。
 何も隠されてはいない、それはそこにありのままにある。当たり前のようにそこにあるのに、そのことに気付

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禅語の前後:日日是好日(にちにちこれこうじつ)

禅語の前後:日日是好日(にちにちこれこうじつ)

 禅の言葉というのは、本来なら言葉にできないものを言葉にして伝えようとする矛盾をあえて行うものなので、必然的に矛盾をはらんでいる。

「日日」は毎日、「好日」は良い日で、そのまま読むと”Everyday is a good day. ”という程度の意味になる。
「良い日」は「悪い日」があるからこその「良い日」だろう。もしも毎日が良い日であれば、それはもう普通の日であって、「良い日」ではなくなる。そ

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禅語の前後:喫茶去(きっさこ)

禅語の前後:喫茶去(きっさこ)

 五百年ほど昔、伝説の茶人である千利休は、茶の湯の極意を聞かれたとき、「ただ湯をわかし茶をたてて飲むばかり」と応えたという。

 さらに千年ほど時代を遡って、本場中国の伝説の禅僧である趙州は、仏教の極意を聞かれたとき、文脈ぶっちぎって「喫茶去(まぁ茶でもお上がりなさい)」、と返したという。

 怖い。

 お湯がわいたら茶をたてて飲んでただそれだけのことをするのが利休さんの仕事だったんなら、「オフ

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禅語の前後:莫妄想(まくもうそう)

禅語の前後:莫妄想(まくもうそう)

 禅の言う「莫妄想」は「妄想するなかれ」という解釈をよくされるが、中国語の原意としては「妄想は無し」、ノー妄想、という表現のほうが近いようだ。
 禅の言う「妄想」というのも、無駄な幻想というような通常の意味合いでの妄想とは異なる。

生と死・善と悪・美と醜・得と失・勝と負・悟と迷というように、物事を相対的にみて、一方を取り他方を捨てようと分別し、それに執着する念慮をすべて妄想というのである。簡単に

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禅語の前後:無(む)

禅語の前後:無(む)

 禅の言う「無」というのは、たんに何にもないということではなく、もっと深いものだそうだ。
 「どんなものでも仏なんですよね、じゃあ、あの犬も仏なんですか?」と問われたときに、趙州という禅僧は、ただ一言「無」と答えたという。
 どうも、あるとかないとか、そういうところじゃない何か、を言いたいがための「無」なのだそうだけど…わかったような、わからないような。

 漱石先生の言う「趙州曰く無」というのは

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