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(9) いづみ ー 誠からの手紙

「新宿ー。山手線、地下鉄線はお乗り換えください。新宿ー」

まるで波が引くかのように、混み合っていた乗客たちが下車すると、車内は一瞬でがらんどうになった。四谷から乗り込んだいずみは、やっと扉から近い席に腰を下ろした。新宿からはこの時間大して乗る客がいないのか、立っている客はいない程であった。いずみは、何気ない様子で車内を見渡しながら、ひとりひとりの乗客たちにはその人なりのかけがえのない人生があるんだろうな、と、日頃思いもしないことをふと考えた。弟、誠からの手紙がそうさせたのか、正直いずみにもわからなかった。ただ、昨日届いた誠の手紙を読んで以来、心の中で得体の知れない何かが動き始めているのは確かだった。

ーーー 誠からの手紙 ーーー

小渕沢は短い秋を終えて、真冬の気配です。四、五日前にもかなり雪が降りました。つい先日まで、健さんと二人で足りないといけないと思い、この冬の薪割りをしていました。ほとんど三週間ほど、山と工房を行ったり来たりして、大量の倒木、立ち枯れた木を運び、斧を振る毎日で木こりをしていました。山は酸性雨の影響か、立ち枯れの木々が目立ち悲惨なものです。

姉貴、元気ですか?
ホルベインの絵の具、送ってくれてありがとう。まるで絵の具が無くなってきてることを、姉貴が知っているかのようなタイミングだったので驚き、ありがたかった。

小渕沢へ来て、健さんのお世話になるようになって三度目の冬を迎えようとしています。いつも何かに追い立てられたように生きていたそちらの生活に比べて、ゆったりとした時間の流れの中にいると、自然のヒーリングを受けているかのような気になります。

今から思えば、僕はとても不自由な生き方をして来た気がする。T大の医学部へ入ることだけが、中学・高校を通じての目標で、それが不可能なら生きていく価値がないとまで思っていた。受験に必要なことだけに力を入れ、学校では友人も作らず、休み時間もほとんど自席を離れたりすることもなかった。体育や音楽、美術は見学したり、眠る時間だと決めていた。姉貴も知っているように、家ではほとんど誰とも口をきかず、部屋に籠って勉強ばかりしていた。僕には解けない問題はなかったから、そんな勉強の仕方だったけど楽しみでもあった。

姉貴、覚えているかな?全国統一模試でT大・理にAランク評価を貰って帰った日、何気なく姉貴がお袋に話していたこと・・・。
「お母さん、誠はT大に合格すると思うけど、私、何だか心配だわ。あの子、ぶつぶつ独り言を言ってるの知ってる?少し変だと思うの」

僕、あの時トイレの中にいたんだ。出るに出られなくて、お袋と姉貴の会話、全部聞いてしまった。不自然な生活をしていることに、僕はもちろん当たり前だと思っていて気づいていなかったから、姉貴の僕に対する嫉妬ぐらいにしか思えなかった。けど、あの時全身に冷や汗が滲んだんだ。自分の身体の変化の意味も知ろうとしなかった。

今、健さんからコーヒーブレイクの時間だとか言われて、キリマンジャロを淹れて飲んで来たところです。健さん、もう二年も散髪してなくて縄文人並みだから、コーヒー飲む為にうつむくと前髪がバサッと音まで立てて・・・そう、汚ねぇんだ。
「何とかしたら?」
って言うと、
「馬鹿野郎、自然に逆らって何がええ?伸びるもんは勝手にしといたらええんや」
と言いながら、髭は毎日綺麗に剃っているんだから矛盾してるよ。あれでちょっと二枚目だから、顔は髭で汚れた感じがするのが嫌なんだと思うよ。

ごめん、話は戻るけど、周囲の予想通り僕はT大・理に当然のごとく合格した。通える距離だったけれども、家族の勧めもあって、本郷に下宿して大学生活が始まった。僕が自らの不調に気づいたのは、その後すぐだった。朝起きられないことに始まって、食事をすることも億劫になり、一日中寝ていると言う生活だった。当然何もする気になれないものだから、大学へ行くはずはなかった。

夕方に起き、髪はボサボサのまま何日も着替えてないシャツを着たまま、パチンコにだけ出掛ける毎日だった。空虚で実感のない日々は、次第に僕自身さえも危うくさせた。

姉貴の勧めもあって、親父の友人であった斉藤先生の診察を受けることになった。自分でも何かが変だと思っていたから、診ていただくことに抵抗はなかった。斉藤先生との出会いは、僕の人生を大きく変えた。先生は毎回、診療所の中庭へ僕を誘い、ベンチに座って池のフナやコイに餌を撒きながら、時にキャンバスに絵の具を重ねながら、ぼそぼそと話された。スローなテンポは何とも言えない独特なものだった。先生の話は昔話が多く、生前の親父とのことが多かった。

お袋や姉貴から聞かされていた親父とほぼ重なった話だったけど、いくつか聞いていない話もあって興味深かった。次第に何か、そう身体の奥深いところから湧いて来るようなものを感じ、僕も先生を真似て絵を描いてみようと
思ったのは、その頃からだった。

いつ頃からか、僕の中では大学に戻ることより、この身体全体で生きていることを味わいたいと強く思い始めていた。姉貴にお金を借りて出た旅で、僕は大きな収穫にめぐり会った。今現在、大学のことは保留にしたままだけど、来春には結論を出すつもりです。

今、僕は”嬉しい”。”幸せ”を感じる。

健さんの木工の仕事はとてもヒューマンな仕事です。使い手の気持ちを考慮して、ひとつの机や椅子、家具が完成していく工程は、実に人間味のある温かなものです。余程、現代の医療現場よりヒューマニズムに満ちている。木工だけではもちろん食べていけない健さんは、別荘地の家屋の修理などを請け負ったりもしている。僕も間に合わないけど助手をしているんだ。結構な収入になる。ここには目標も計画もない。あるのは圧倒的に豊かな自然とゆるやかな時の流れだけです。どのようにそれと自身を活かすかは、自分のスタンスに掛かっている。絵を描きながら自分の生き方を問い直してみたい。

姉貴、色々と心遣いありがとう。黙って僕を受け入れ見守ってくれたことに心から感謝しています。正月には一旦、親父とお袋の墓参りも兼ねて八王子に戻ります。

                                  いづみ様   誠                                   

誠からの手紙を読み終えると、いづみは目を閉じた。八王子まではあとしばらくだ。いづみは車輛の揺れに身を任せ、昨年誠のことを心配しながら亡くなった母のことを思い浮かべていた。医学部を卒業しながら、臨床医にならず詩人の道を選んだ父を見守り、苦労した母を思うと涙が溢れた。

「まもなくー八王子ー、八王子です」

車内アナウンスにふと我に返ったいづみは、誠からの手紙をバックの中にしまうと、立ち上がり扉の前に立った。

扉に映る自らの姿の向こうに、八王子の夜景がキラキラと輝いていた。
一瞬のことであったが、
「おねえちゃん、おねえちゃん」
と、後ろからついて歩いた二歳の頃の誠の姿が浮かんだ。

いづみはあの頃の自然で無邪気な誠に戻りつつあることをうれしく思った。


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