見出し画像

(37) プロパガンダ

英語が苦手である。
そんな私であるが、さすがに「プロパガンダ」だけはこのご時世でもあるからか、よく知っている。ロシアによるウクライナ侵攻(いや単に侵攻などと言っている場合ではなく、まるで大義のない妄想からの侵略戦争である)などから、「プロパガンダ」に無知ではいられない。

ベルリンの壁崩壊に始まり、湾岸戦争・イラク戦争などに至る国際紛争が衛星放送やインターネットを含む情報戦であったことから「プロパガンダ」という言葉がクローズアップされ、市民権を得たのだと思う。定義は、「特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する意図を持った行為のこと」と、ある。怖いの一言だ。これは正に、情報戦であり心理戦であるのだ。宣伝戦として世論を一定方向に誘導するのである。”我が国”が、”我が企業”が、”私”が有利になる為の悪意を持った強力な戦略なのだろう。実に愚かであると同時に恐怖である。

しかし、残念なことに我々大衆の圧倒的多数は冷静に熟慮することなく、むしろ感情的な感覚で”考え””行動”を決めるという、非常に単純で閉鎖的なものでしかない。そこには物事の差異を識別しようとせず、”愛か憎しみ””正義か悪””真実か嘘”かだけしかないのが現状ではないだろうか。まぁ、私たちが入手できる情報は限られているし、”正しく判断”することが難しいのも事実であるのだが。

ひとつそんな「プロパガンダ」に対抗すべきことは、せめて”誰”が?どの”組織”が?どの”国”が?どの”政党”が?発信元であるか考えてみることが、ただただ大切であるのだ。しかし、考えてみるにしても、限られた情報源しか持たない我々にとって難しいことではあるのだが、それをせずに鵜呑みにすることは怖いことである。

「プロパガンダ」に近いものを意味する言葉がある。「アジテーション」と呼ばれるものだ。定義は、「世論を喚起する活動やキャンペーン」と、ある。これは「アジ」と略して呼ばれている。「アジ演説」などがそれである。例えば街頭で宣伝カーの屋根で行う選挙演説などがこれにあたる。また、デパートやショッピングモールの片隅でタワシ(今時タワシはないか?)を売るとか、フライパン・包丁・洗剤を売ったりする時の口上などもそれである。これは発信源が誰なのかはっきり目の前にいて容易にわかる訳だから、まず安心と言える。その人物への情報は山程あるし、公表されているのが普通だから、それほど用心することはない。そのタワシやフライパンを気に入って買おうが自己責任で簡単に済むし、世界平和や戦争などと大きな問題ではないのだから、どちらでも良いのだ。そもそも必要なのなら、用心せずに買えば良い。「アジテーション」の場合は、発信元が見えるし、容易に判断できるから安心だ。問題なのは先の「プロパガンダ」である。身分を注意深く隠している組織が背後に必ずあり、何かを意図して大衆を一定の方向に誘導するものであるから気が抜けないのだ。ロシアによるウクライナ侵攻が正にこれによるものなのだ。ウクライナ侵攻前からロシア国内にはこの「プロパガンダ」が放送・インターネットなどを通じて当たり前のように流された。まるで大義があるかのように流され、国民を騙し続けた。今も尚である。これだけ全国的にテレビ放送・インターネットが普及し、西側諸国の声が届いているはずであるのに、ロシア国民はこの侵攻に否定的ではないのだ。人の命が失われているのにだ。

「プロパガンダ」の怖さは、発信元が見えないことと、我々の受けとめ方に冷静な熟慮がないことである。”発信元組織の悪意が見抜けない”ということなのだ。

日本は独特な国である。治安は世界一良いと言われて久しい。四季があり美しい国土である。子供たちの登下校に親が付き添うことは今のところ必要ない。細かい所では足りないことが山程あるが、まぁ安全な国ではある。しかし、世界から見て過剰に甘い、無警戒な国であることは確かであり、世界から揶揄されているのだ。「プロパガンダ」に一番弱い国であるということなのだ。学者の先生方曰く、「日本人は歴史的、地政学的、文化的背景から、たやすくプロパガンダに引っかかりやすい傾向になる。”性善説”が社会の前提になっている珍しい国だ。なんでも大丈夫と思い込むからだ」と、分析される発言も多々ある。

国家的に日本に掛けられる「プロパガンダ」は多い。それらを仕掛けるのは現状の日本を否定的に考える国々であり、日本をさらに素晴らしい国であり続けて欲しい、と思う国々ではないはずだ。正体を隠して「プロパガンダ」を仕掛けている。あれもこれもそうだと思うことが多い中、私たちはどんな
スタンスを取れば良いか悩む。先述の学者の先生方の言われる”性善説”と言うのは、「人間の本性は”善”であり、”悪”は物欲の心にこの性が覆われることで生ずる”後天的”なものである」と、孟子が唱えた説である。

私は、日本人の本質にあるこの”性善説”は命懸けで守るべきものだと考えている。それをどの立場で、”日本人の愚かな点”だと言い張るのか・・・これこそが、正しい日本人に仕掛けられた「プロパガンダ」だと思うのだ。確かに私たちは仕掛けに弱い。しかし、知恵もあり思考も正しく出来る。何が正しく、何が間違っているか、私たちは十分に考えていくことで「プロパガンダ」を見抜いていける力はあるはずだ。持ちうる力で仕掛けを見抜いて行きながら、孟子の唱えた”性善説”を大切に生きて行きたいものである。何故ならこれは、私たち日本人のアイデンティティーの一つだからだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?