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(34) 安全地帯

先頃、ハザードマップが公表された。

”線状降水帯”による集中的豪雨(ゲリラ豪雨)の危険地域予測地図だ。それによると驚くことに、四千七百万人の人口が危険地域に住んでいることになるらしい。国民のほぼ四割の居住地が危険だということになる。困った。自然相手である。誰に文句を言えるわけでもない。私たちに出来ることは、”地球温暖化”に加担するような生き方は改め、その努力を続けること。いざという時の為に、防災用具の準備・避難場所の確認・防災訓練・予測情報の注視をするぐらいのものである。「まぁ、そんなこと起きないだろう」と、高を括っている向きが多い。しかし、現実にそんな地域に大雨がもたらした被害が報告されている。心配し過ぎる必要はないのだが、私達は出来る限り準備をして、正しい情報に注視すること、これで精一杯だ。あとは、”神に祈る”しかない。

一方、自身を守るにはこの方法しかないと固く信じて、それを”安全地帯”だと錯覚している心理的立場というのがある。「自分の問題を他人のせいにすれば、私自身は変わらなくても良い」「問題が自分のせいであると認めてしまったら、私はとても嫌な気持ちになり惨めだ」「他人は無罪放免となり、私一人が変わらなくてはならない。そんなの不公平だ」これらが、自身と向き合うことを避け、変化・変わることが不安なのであろうか、努力を嫌がっているのか・・・本題から話を逸らし続けている限り、私は”安全地帯”に居られる、という錯覚なのだ。

「現状維持を続ければ、少なくともこれ以上酷い目に遭うことはない。でも、もし私が自分の人生をより良いものにしようとしたら、かえって酷いことが起きてしまいそうだ」「自身の足りなさを認め、さらけ出してしまったら、自分を無防備で弱い存在だと感じてしまうに違いない」こう思う気持ちは良くわかる。それら一つ一つ確かに勇気のいることであり、大きな賭けのようなものだと思えるのであろう。今のまま現状維持の中に閉じ籠ってさえいたら、変化はないのだから、おおよそこの先が想像つくことになり、安心だと思っているのである。果たして、それらは本当に自身を守る”安全地帯”であろうか?自分の思考・行動を変えないことに対する正当化ではないだろうか?これは”思い込み”と呼ばれるものである。そう思い込むことで自身を守っているつもりなのである。

三十歳の節目を迎えた青年がいた。生きづらさを抱え、職場で毎日毎日やりきれなさと緊張からか頭痛と不眠を主訴として私のカウンセリング・ルームにやって来ていた。三十歳の誕生日を迎え、このままでは生き直せないから勇気を出して自分を変えたい・・・とのことだった。
「君は強い”思い込み”の中で生きている。私の提案に乗らないぞ、という意志が伝わって来ているけど、その思いは強いね」
と、私は彼に言った。彼は、
「今までは、その強い思いで絶対に変わるものか!変えられるものならやってみろ!と思っていましたが・・・もう意地を張るのに疲れましたし、不安が日々増しているんです」
私は、この日が来るのを待ち続けていたのだ。「(4) 啐と啄」で触れた”啐″なる瞬間である。私が”啄”なる援助をする番となった。百日も二百日も私が待ち続けた瞬間だ。
「君の”思い込み”は非機能的(思ったように機能せず、むしろ逆効果になる)なものだから、うまく機能しづらいよ。それを基に行動を起こしたら、どんな”良い”ことが起きると思っているのかな?」
「もし君がそのような非機能的行動をとらなかったとしたら、どんな”悪い”ことが起きるかな?」
「これはメリット・デメリット分析とも言うんだけど、今の君の姿勢のままでいたらどうなるか、メリット・デメリットに分けて書き出してみないか?メリットの多い道を行ってみないか?」

長い沈黙の後、彼はこう言った。
「初めてのカウンセリングの日からずっと先生の言葉には伏線を感じていました。いつかその日に実を結ぶだろう伏線が・・・。これなんですね。ありがとうございます。やっと生き直せる気がします。勇気は秘かに溜めて来ました。今、それを使い生き直します。メリット・デメリット分析はやりません。その先が僕にはわかっていますから」
その言葉だけで十分だった。一瞬で彼の顔つきが変わった。
「あと二回だけカウンセリングを続けて、卒業してください」
私は最大限のはなむけの言葉を掛けた。彼はそれまで勤めた会社を退職し、その年、私立高等学校の数学の教師に転職した。生徒たちの相談役として休む暇もないらしく、おかげでどこかの誰かさんと同じ様に、仕事を終えてから「酒でも呑むか」という習慣がないらしい。こんなケースが私のエネルギー源になっている。まぁ、酒のことは私の真似をせず呑めば良いから、と思うのだが。

生きづらさを抱えながらも、苦しさを抱えたままで変わる勇気が出ないから”現状維持”に逃げ込み、それを片方でダメなことだと思いながらも片目を瞑り気づかぬふりをする。私もそんな日々を過ごして来たから、痛いほどよくわかる。しかし、決してそれらは”安全地帯”ではないのだ。ほんの少しの勇気を少しずつで良いから溜めていって欲しい。それが溜まった時、その勇気だけを使ってみると良い。本当の”安全地帯”が待っているはずだ。


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