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壁にぶつかった時の為に

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沢山のクリエイターさんからあなたに合う記事を探して下さい。誰か1つでも、いくつか選んでも。読めばきっと少し変わるはず、それだけの為に選びました。
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#これからのライター

信頼できる書き手は「声」を聴ける

信頼できる書き手は「声」を聴ける

苦しい文章と苦しくない文章がある。書いてても読んでてもね。

じゃあ、その文章はどこから生まれるのか。そんなの書き手の中からでしょと思うかもしれない。

たしかに文章生成的なAIを使ってなければ、書いてる人の中から生まれる。のだけど、そうやって生まれる文章にも息ができてるのと、息が上手くできてないのがあって。

息が上手くできてない文章は、なんていうか文章そのものの呼吸が浅い気がする。読むのもちょ

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ちゃんとした孤独を持つこと

ちゃんとした孤独を持つこと

「ふみぐらさんも孤独をちゃんと持ってますね」

正確には覚えてないのだけど、この前そんな感じのことをある人に言ってもらえてうれしかった。

孤独がうれしいって変に思われるかもしれない。そうだよね。世の中的には「孤独」はネガティブに扱われがちだから。

だけど、なんだろう。この場合の「孤独を持ってる」は、なんていうかもっとフラットなものだと思う。孤独は個性みたいな無理のあるネガポジ変換じゃなく、良く

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文章の「いい違和感」は捨てなくていい

文章の「いい違和感」は捨てなくていい

きょうは「書くこと」についての短いメモ。最近、つらつらと考えている。違和感について。

体調とか人間関係とか、環境とかの「違和感」は結構センシティブな問題をはらんでたりするので、基本、違和感は解消すべきものとされてる。

文章もそうだ。ビジネスに近い文脈の文章、あるいは「情報」としての価値が大事になる文脈では、文章の違和感はあまりよろしくない。ときには書き手と読み手の双方に致命的なことにもなる。

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書くことで疲弊しないために

書くことで疲弊しないために

100%の自分で書くことは本当に救いなのだろうか。

noteで書いていて矛盾するように思えるかもしれないけど。

ライターとして仕事で日々ものを書いているのは、変な言い方だけど半分の自分で書いている。自分が100%で書くのはほぼない。

もし、100%の自分で書き続けるとしたら、どこかで筆が止まるか倒れると思う。それぐらい書くことは自分を使うことだから。

こういうふうに書くと、半分しか自分を使

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書くことで迷子になったひとへ

書くことで迷子になったひとへ

なぜ文章を書くのだろう、とたまに思う。

ずっと文章を書いている。純粋な仕事でも、その枠を超えて生き方としての仕事でも。

一応、プロとして名刺を持って文章を書くようになってまあまあ長い。いや、べつにいまの時代だから物理的な名刺はあってもなくてもいいし、それより「自分の見せ方とか見え方」のほうが大事って話もあるのだけど。

で、ライターの場合、書き続けてポジション的に「偉く」なることはごく一部の書

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